第172話 薬

「鞍馬の旦那、プランエーだ」


 七八は、事前に打ち合わせていた指示を鞍馬に大声で伝える。


(考えるのは後だ、今負ければ全てが終わる)


 鞍馬は、距離を取っており鼻から溢れる血を抑え、自分こそが最強、暗示にもいたその思いも、少し揺らぎ負けが頭を掠めていた。

 


 娘あんりの声と、七ハの声が頭に交わる。


 (悪く思うなよ)


 鞍馬は、オープンフィンガーグローブの裏地に隠していたカプセルを観客に見えないように取り出し、口に含む。


 カプセルは歯で押し砕いてから飲み込む。


 頭で七ハから薬を受け取った控室で聞いた薬の効果を思い出す。


 ダメージ、スタミナの回復、筋肉の増強。


 身体機能を爆発的に上げる代わりに、理性の部分のストッパーが外れてしまう、格闘技術においてデメリットになるが、鞍馬はこれには当てはまらない。


 七ハが、鞍馬に目をつけた理由の一つだ。


 飲み込んだ瞬間、筋肉がより隆起し、眼球が激しく動き、その後の瞬きで動きは収まる。


 鞍馬が身体が燃えるように熱くなるのを感じそれと同時に意識が薄れていく。


 「バーサーカーの力を思い知れ」


 七ハは、呟く。


 

 鞍馬は、少し距離をとっていたが、強く地面を蹴り、工藤に体当たりを仕掛ける。

 正確には、思った以上に身体が動き、身体をぶつけるような形をとっただけだが、工藤は集中が途切れていなかったが、予想を超える速さに完全に避ける事は出来ず、自ら後方に飛ぶようにして逃れる。


 それでも、少し痛みが入る。


 (体当たり、低空タックルで足を取られたら不味かった)


 着地と同時にそんな事を思った工藤だったが、目の前に黒い塊が見え咄嗟に頭を反る。

 回避した瞬間にそれが鞍馬の拳と気づく。


 (間を詰めて打撃をしていた、まったく見えない)


 焦りと同時にガードを本能的に上げる、その腕に強い痛みを感じ、ほんの少し身体が浮き上がる。


 会場がその光景にどよめく。



 観戦している多くの選手も、目を丸くする、体格差があるとはいえ、成人男性を片手の腕力だけで浮かしたのだ。


 観戦している選手で、櫂は舌打ちし、一之瀬は嬉しそうに手を叩く。

 矢野も異様な光景に眉をしかめた。


 試合は中盤、勝敗の天秤は微かに鞍馬に傾いたように思えた。

 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る