第3話夜叉 part2
オレと父は神社の中にある書庫で、ある書物を前に苦い顔をしながら、顔を突き合わしている所だ。
「父さん、これは……」
「……平田家に伝わる封印された術を記した文献だ。いわゆる邪法の類を集めた物だな」
「邪法ですか……」
「ああ、この鬼の御霊は封印されて弱っていても、私やお前には手に余る代物だ」
「そうですね」
「今はお前が何とか鬼のチカラを抑えているが、不安定でいつ術を破ってもおかしくない」
「……」
「一か八かで戦ったとしても、勝算は良くて3:7でこちらの負けだろう」
「……」
「で、あれば邪法の類を使ってでも鬼を、どうにかせんとな」
「方法が?」
「何代か前の阿呆が妖を依り代にし、式として使役した事があったそうだ」
「妖を式に?そんな事が可能なんですか?」
「式術は紙から躯まで、どんな物でも依り代として使役する術。理論だけで言えば妖を依り代とする事も可能ではある」
「妖を……」
「その者は生涯に渡って、その式を使役し続けたそうだ」
「生涯?ちょっと待ってください。式は消えなかったんですか?」
「ああ、式は術者の気を吸い続け、生涯に渡って存在し続けた。そして術者が亡くなると同時に、式としての呪縛から解かれたのか暴れだした」
「そんな……」
「文献によると妖は、依り代にした時より強くなっていたそうだ。もしかして術者が死ぬときに術者の魂を食らったのかもしれん……」
「……」
「清……私達は選ばないといけない。この鬼に分の悪い戦いをしかけるか、邪法をもって時間を稼ぎ、調伏する方法を探るか、を……」
お互いの顔を見ては俯き……考え……そんな時をどれほど過ごしただろうか……
「清、時間だ……」
そう言う父の視線はオレの腰に注がれている。そこにあるのは、封印具……
鬼のチカラを封印してある封印具の中から真っ黒な気が滲み出ようとしていた。
オレは父の顔と封印具、それと忌々し気にオレの周りを漂っている鬼の御霊を見比べて呟いた。
「邪法を……使いましょう……」
父がオレに選択を委ねたのには理由がある。
オレが鬼のチカラを抑えている以上、邪法を使うのはオレになるのだ。父が邪法を使うには一度、オレのチカラを解放しなければならない。
これだけのチカラを持つ鬼を開放すれば、オレ達など一瞬で挽肉にされるだろう。
久世という男性の封印術だけでは無く、もしかして鬼はあの土地自体にも縛られていたのかもしれない。
そうだとすれば、鬼をあの土地から剥がしたのはオレの責任だ。
父と一緒に文献に載っている邪法の準備を着々と進めて行く。
結局、邪法を使う準備が全て終わったのは、陽が上り始めてからだった。
「清、良いか?」
そう話す父の眼の下には隈が浮き、疲労もそろそろ限界に近づいている。
「はい……」
そう返すと父は小さく頷き、呟いた。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女……」
父の気が膨れ上がっていく。
「元柱固具、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神、害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る」
更に気が膨れ上がり、体が耐えられなくなり所々、血が噴き出している。
「千代丸!」
父の気の殆どが千代丸へと注ぎ込まれ、千代丸の姿は光そのものへと変化する。
そのまま千代丸は鬼の御霊を捕まえたかと思うと、両手で包み込み自らの気の光で鬼の邪気を浄化していく。
流石の鬼も千代丸、渾身の術に苦しそうにもがき始めた。
「清!今だ!」
父の言葉が響く中、オレは前もって決めていた術を実行する。
千代丸が抑えている鬼の御霊の前に座り、自分の親指の先を嚙み千切った。
血が流れるままの親指で、鬼の御霊に五行の五芒星書き込んで行く。
鬼が抵抗して、千代丸だけでなくオレにも気をぶつけて邪魔をしてきた。
しかし、ここで失敗する訳にはいかない!神域の氣を多く含んだ空気を思い切り吸って吐く。
何度か繰り返すと、オレの中に普段より数倍の気が満ち溢れているのが分かった。
その気を鬼の御霊に触れたままの手に集中してオレは呪を唱える。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女……」
鬼は暴れまわるが千代丸は決して手を離さない。
「鬼よ、降れ!」
その瞬間、鬼の真名が頭に浮かんでくる。
「夜叉……」
頭に浮かんだ鬼の真名を呟くと、鬼が式へと変化していく。魂を直接触られるような感覚の中、残っていた体中の気を奪われオレは意識を失った。
漂うような心地よい感覚……しかし徐々に覚醒していく。ボンヤリと眼を開けると、神域の神社の拝殿に寝かされていた。
ゆっくりと起き上がり気を失う前の事を思い出していく……オレは鬼の事を夜叉と呼んだ筈だ。
夜叉と言えば八部衆の一角のはず。どうなっている。
オレが困惑していると、当の本人である鬼の御霊がフワフワと飛んできた。
「起きたか。我が名は夜叉。どうやらお主の式になったようだ。これも何かの縁であろう、これからよろしく頼むぞ。カッカッカ」
鬼の御霊はつい先ほどまで、命の取り合いをしていた筈なのに、偶然出来た知り合いのように接してくる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。お前はさっきの鬼だよな?」
「まぁ、そうなるな」
「そういえば封印具、封印具はどこに?」
オレが久世という男性に借りた封印具の中には、鬼のチカラの塊が入っていた筈だ。
「我のチカラを封じていたツボなら、ほれ、そこに転がっておるでは無いか」
鬼が言う場所を見ると、確かに封印具が転がっている。
当然の如く中身はもぬけの殻ではあったが……
「ちょっと待ってくれ……これはどういう状況なんだ? チカラが戻ったなら、何で無理矢理にでも術を破らない?」
オレは自分の状況が理解できないでいると、奥から父がやってきた。
「父さん!これはどういう状況なんですか?」
父は邪法が載っていた書物と、2~3冊の本を持っている。
「清、冷静に聞けるか?」
そう問い掛けてくるという事は何か面倒な事が起こっているのだろう、オレは一度だけ大きく深呼吸をしてからゆっくりと頷いた。
「はい、大丈夫です」
「そうか……私もこの状況が理解できずに色々と調べてみた」
「はい、何か分かりましたか?」
「ああ、簡単に言うとお前の魂と、鬼の御霊は融合したようだ」
「……は?」
我ながらマヌケな声が出たと思う。
「御霊がある鬼を無理矢理に式とした為に、お前の魂と鬼の御霊が混ざってしまったのだと考えられる」
「それは一体、どういう事なんでしょうか?」
「お前が死ねば鬼も死に、鬼が死ねばお前も死ぬ。一蓮托生という事だ」
「それは……」
オレは頭を金槌で殴られたかのような、衝撃を受けてしまった。
「じゃあ、寿命でオレが死んだときは?」
「はっきりした事は分からんが、恐らくはお前が死ぬ瞬間に意識と魂は完全に鬼の御霊と融合するだろう」
「そ、そんな……ではオレは鬼になったという事ですか?」
「清、お前が鬼になったのではない。鬼を再び人にまで昇華させるのだ」
「鬼を人に昇華……じゃ、じゃあ、オレの魂はどうなるんですか? 死後は? 来世は?」
「お前の魂は酷く不安定だ。融合した魂に穢れが無ければ人として浄土に……穢れがあれば鬼として現世に留まるだろう」
「オレがどうなるかは、これから死ぬまでの行い次第というわけですか……」
「ああ、そこは普通の人と何ら変わらない。鬼のチカラを使わず、人として善行を詰めば、必ず輪廻の輪へと帰れる筈だ」
鬼の御霊は何も言葉を発さず、まるでオレを心配するかのように周りをフワフワと漂っている。
オレは溜息を1つ吐いて、そんな鬼の御霊へと話かけた。
「ハァ、なんと言って良いのか……オレは清、平田清だ」
「我は夜叉。鬼の王である」
「そうか。良く分からないが、お前とは一蓮托生になったらしい。よろしく頼むよ」
「ああ、お主との縁で、我自身がこれからどう変わっていくのか楽しみだ」
オレが夜叉と話していると父が間に入ってくる。
「清、これだけは肝に銘じておけ。鬼のチカラは荒魂のチカラだ。鬼のチカラを使えば使う程、身も心もお前は人から離れていく」
「……はい」
「術と己の心を磨け。鬼のチカラを頼りにしないほどに……それがお前自身を助ける事になる。こんな事になって本当に申し訳ないと思っている……スマン」
「いえ……元はオレが分不相応の依頼を受けたのが、間違いだったんです。父さんは悪くありません」
それからは書庫に何か少しでも情報が無いかを調べたが、これ以上の事が書かれている書物は無かった。
鬼と融合してから3日目の朝、大学も休み続けるわけにはいかない。
幸いにも夜叉の御霊は一般の人に見る事は出来ず、荒魂を見れる程度には魔学に通じている必要があった。
「では東京に戻ります。父さん、母さん行ってきます」
「ああ、魂の融合を解く方法を私なりに探ってみるつもりだ。清、時間はある。軽率な行動は慎めよ」
「はい。オレも大学の書物で調べてみるつもりです」
「そうか。無理し過ぎないようにな」
「はい」
父さんからの話が終わると母さんがいきなりオレを抱きしめてきた。
「か、母さん……」
「アナタは私の子よ。この体も、この魂も……」
「はい……そうですね……」
「鬼の御霊がちょっと混ざったぐらいで、私とアナタの繋がりが切れたりはしない。どうしても辛い事があったら帰って来ても良いの。それだけは忘れないでね」
「はい……ありがとうございます……母さん」
母さんがゆっくり離れると、眼には今にも零れそうなほどの涙が溜まっていた。
オレの責任では無いのだろうが、オレの事で親を泣かしているのは間違い無い。
胸にチクリと疼く物を感じながら、最後にもう一度挨拶をして足早に実家を出て行った。
「父さん、母さん、行ってきます」
後ろ髪を引かれる思いを我慢し、決して後ろは振り向かない。今、振り向いてしまえば折れてしまうのが分かっていたから。
実家から随分離れ、心の整理も出来た頃。
京都の駅にはこのまま歩き続ければ、昼頃には到着するだろうか。
上手く東京までの汽車が出ていれば良いのだが、そう上手く行くとは思えない。
最悪は進めるだけ進んでどこかで野宿になりそうだ。
「夜叉。東京までは、だいぶかかりそうだ」
「良いではないか。のんびりと歩いていけばいつかは辿り着くといものよ」
「流石に東京まで歩いては行かないけどな。行きと同じで汽車に乗るんだよ」
「汽車……清、スマンが実は鬼の間の事はあまり覚えていない。例えるなら歌舞伎の1場面は覚えているが、全体の内容は覚えていないような……」
「そうか。じゃあ、汽車は初めてみたいな物だな」
「ああ、我にとっては全てが新鮮である。このような心持ちでおれるなど……望外の出来事だ」
「じゃあ、何でも聞いてくれ。分かる事なら答えてやる」
「ん? 分かった。しかし、清の分からぬ事は聞かぬようにせねばな。おなごの事などは絶対に聞かんから安心しておけ」
「お、おま、何言ってるんだ!」
「カッカッカッ。さあ行くぞ」
そう言って夜叉はフワフワと楽しそうに飛んでいくのだった。。
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