第2話夜叉 part1



「はい、はいーー!皆、起きて、起きなさい!ほら、清君も!早く起きなさい」


けたたましい声を響かせながら学生を起こしていくのは、下宿先である日の出荘の寮母ハルさんである。


「オハヨウゴザイマス……」


半分寝ぼけているオレは、何故か片言の日本語で挨拶をしてから水場へと向かっていく。

田舎では見た事もなかった水道の蛇口から水を出して顔を洗うと、初夏の季節も相まって驚くほど一気に眼が覚めた。


窓から見える草木は、これからやって来る夏を待ちきれないかのように鮮やかな緑を見せ付けている。


「ほら!黄昏てる暇は無いでしょ、早く支度をしなさい!」


ハルさんがオレの後ろで腰に手を当て、〝怒ってます!”のポーズを取っていた。


「す、すいません。直ぐに準備を……」


呆れた顔で溜息を一つ吐き、ハルさんは言葉を続ける。


「清君はもう少ししっかりするべきね。そんなんじゃお姉さん心配よ」


そう言うハルさんはオレより4つ年上の25歳だ。

3年前に1度 結婚していたのだが、事故で旦那さんを亡くしてしまい、今は寮母として働いている。


寮生の中には密かに憧れている者が何人もいるのだが、本人は色恋は当分 興味が無いらしく、良き姉であろうとしているみたいだ。

実は大学に入学する以前にハルさんとは御霊関係で出会った事があり、その時のお陰か今でも他の寮生より少しだけ気にかけてもらっている。


「はいー、直ぐに用意しますー」


ハルさんの小言を聞き流しながら、自室へ戻って大学へ向かうために着替え始めた。


「清。ハルは絶対、お前に気があるぞ。口説いてみたらどうだ?」

「五月蠅いよ。そもそもお前に恋愛の機微が分かるとは思えないんだが……」


「バッ!この夜叉、おなごには事欠かない生活だった。名前と同じ清い体のお前に言われたくは無い!」

「お、おま、清いのは心だけだっつーの!お前みたいなヤツが穢れをまきちらすんだよ!」


御霊は首を振り、呆れた仕草でオレを見ている。


「お前は本当におなごを分かっていない」

「何を分かって無いって言うんだよ!」


「先ず1番は強さ……弱いおなごだからこそ、強きオスに惹かれるのだ」

「……」


「次に優しさ。おなごを守る強さを見せてから、そのおなごだけには優しく接する。おなごは基本、自分以外の者への対応は気にしない。自分さえ幸せな檻の中に居られれば、それ以外はどうでも良い生き物だ」

「そんな訳があるか!お前が人の道から外れた鬼だからそう思うんだよ!」


「我は確かに鬼ではあるが、我の御霊も元を辿れば人由来である。故に人より余程、人らしいとも言えるぞ」

「もう、分かった分かった。ほら、行くぞ」


「待て。お前はせっかちでいかん……だから清なのだ」

「おま、清ってそれ自体が悪口みたいに言うのはヤメロよな」


このオレの周りを漂っている妖しい御霊の名前は夜叉。

元は人を襲う鬼だったが久世先生とオレで、何とかこの大きさまで小さくする事に成功して今はオレの式になっている。




1年前---------




知り合いからの紹介で、とある山間の村で起こっている、神隠しの調査を依頼された。

指示された時間と場所に行ってみると、村の村長らしき者とお付きが3人、それと如何にもインチキ霊能者風の男達が数人立っていた。


その時点で帰りたくなったのだが、ここまで来る汽車の代金を貰わなければ帰れない。

結局、渋々インチキ霊能力者と一緒に話を聞く事になってしまった。


そこからの話……まぁ、結論から言うと被害は本物で、神隠しの原因が妖の中でも獰猛な鬼の仕業だと分かったのだが、当然の如くインチキ霊能力者達の手に負える代物では無かった。


かと言って、未熟なオレに何とか出来る訳も無く、申し訳ないが逃げ出そうとしていた所、たまたま山菜採りに来ていた久世先生にチカラを貸して貰えたのだ。

そうして、何とか鬼を取り押さえる事ができたのは久世先生のお陰は勿論、運も良かったのだろう。


そこから、久世先生に鬼のチカラの大部分を封印してもらったのだが、完全に調伏するにはオレと久世先生のチカラでは難しかった。

結果、しょうがなくオレの式術で無理矢理 鬼のチカラを抑えさ込んだのだ。





実は久世先生との縁は、この件 神隠しの調査依頼で助けて頂いた事から始まった。

この数日後に改めてお礼に伺った中で、先生の封印術のすばらしさを目の当たりにして、迷惑だとは思ったが弟子入りをお願いさせてもらったのだ。


久世先生との出会いと神隠しの調査依頼の件は別の機会に話すとして、実は鬼のチカラを抑えている間は式術を使えない。

これは鬼のチカラがオレのチカラより強い事で起こっている事で、オレが鬼より強くならない限りはどうしようもない事である。


足りない頭をフルに使い、至った答えは“式術の師匠でもある父なら、鬼の調伏も出来るのではないか?”と言う事だった。

考えても他に方法は思い付かない。しょうがなく、オレは急遽 実家のある京都を目指して汽車に飛び乗ったのだった。


「ただいま」


そう言って玄関から入った時刻は22:00を回っている。

祇園などの繁華街から遠く離れた我が実家では、当然ながら家人は全員夢の中でオレの挨拶に帰ってくる声は無い……筈だった。


「よう、清じゃないか。母ちゃんのオッパイが恋しくて帰ってきたのか?」


唯一の返事は父の式である千代丸からだ。こいつは昔からオレの事を格下だと思っているらしく、やたらと揶揄って来る。


「違うよ。父さんは?」

「寝てるに決まってるだろ」


「そうか……どうしようか……寝ると抑えきれないだろうしな……」


そう言いながら久世先生から預かった封印具を覗き込むと、中からオレを睨む眼が……それとは別に鬼の御霊もオレの周りを、恨めしそうに漂っている。


「何か凄いのを連れてきたな……」

「ああ、ちょっとギリギリなんだ。悪いけど父さんを起こして貰っても良いか? 何かあってからでは遅い」


「分かったよ。でもお前、身の程をわきまえないと何時か死ぬぞ」

「分かってるって」


千代丸はオレを心配そうに見てから父の元へと飛んでいく。

オレは久しぶりの我が家で、早速 勝手場に移動し、余った米で作ったおにぎりを見つけ齧りついた。


具は刻んだ沢庵と梅肉をあえた物。久しぶりに食べるおふくろの味は涙が出そうなほど美味く、鬼の件で疲れていた心に染みて行くようだ。

夜中の勝手場で1人感傷に浸っていると不意に声をかけられた。


「清、それはオレの朝飯なんだが……」


声の主はオレの父であり、式術の師匠でもある平田耕助その人である。


「父さん、実は何も食べて無くて、すみません」

「まぁ、そういう事なら……しょうがないか……」


父は言葉とは違い、悲しそうにおにぎりを見つめている。確かにこのおにぎりはオレと父の好物で、実家暮らしの頃はいつも取り合いをしていた。

父は気を取り直して、漂っている鬼の御霊を眼で追いながら聞いてくる。


「これのせいで帰ってきたのか?」

「はい。通りがかりの方に助けてもらい、何とかチカラを抑えるのが精一杯でした」


「この鬼のチカラ……何処かに封じられているのか?」

「あ、この封印具の中にチカラを封じてもらいました」


「封印……久世の封印術か」

「知っているのですか?」


「ああ、噂だけだがな。妖から御霊を抜き取り、封印具と言われる依り代に封印する」

「この封印具が依り代……」


「そして、封印具に呪をかけて浄化し続ければ、どんな強い妖も長い時間をかけて調伏できるのだとか」

「式術とは考え方が全く違うのですね」


「どんな妖でも調伏するために生まれたと聞いている。どれだけ時間をかけてでも妖を調伏する、正に執念の業だな」

「……どれだけの時間を犠牲にしてでも……執念」


「お前に無い物が得られるかもしれん。機会があれば教えを乞うてみろ」

「そう……ですね……」


「では、その鬼を調伏する。神域へ行くぞ」

「はい」


実家である平田家の裏は丘になっており、天辺には神社が建てられていた。

そして、丘全体をいくつもの結界で覆い、人工的に氣を満たしてある。


結界の中を神域と呼び、氣を昇華する技術と能力さえあれば、普段の数倍のチカラを扱えるのだ。

勿論、氣が多いと妖も活性化してしまうのだが、そこは結界の効果で妖には作用しないように作られている。


オレも昔はこの神域で修行を頑張った。式術の修行や怪我の治療、果ては体造りと称されて空手も叩き込まれた。

尤も空手の方は才能が無かったらしく、父も途中から何も言わなくなったのだが……因みに未だに白帯である。


「清、お前はそこに立て」


父に言われた場所は神社の境内にある、4畳半ほどの広さの広場の中心だ。


「千代丸……」


父が千代丸の名を呼ぶと、先程までは小学生ほどの大きさだった千代丸が、8尺(約2.4m)もの巨体へと変化する。

いきなりオレの周りを漂っていた御霊を掴んだかと思うと、そのまま口に運び咀嚼して飲み込んでしまった。


あまりの事態に頭がついて行かない。千代丸……お前でかくなれたんだな。いつもチビ丸ってバカにして悪かった。

しかし、御霊が千代丸に食われて吸収されたなら、封印具の中の鬼のチカラも消えそうな物なのだが、今だに封印具の中からオレを睨みつけてくる。


5分ほどすると千代丸が苦しそうに唸りだした。

改めて千代丸を見ると腹がおかしな形になっている。まるで腹の中から何かが出ようとしているように。


鬼の御霊!と思った時には千代丸は御霊を吐き出し、片膝をついて荒い息を吐いている。


「千代丸でも無理か……」


父の声がやけに大きく響いたのだった。




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