妖奇譚

ばうお

第1話始まり

時は現代。


不思議に思った事は無いか?


ほんの百数十年前……爺さんの爺さんの時代、そこには妖と呼ばれる異形の者が、人のすぐ隣に生きていたと言う。


聞いた事は無いか?


凡そ全ての国、民族で神や悪魔の記述が残っているという事を。




ほんの百数十年前には科学と魔学 2つの学問が混ざり合いながら並び立っていた。

2つの学問が陰と陽、光と影に分かれたのはいつの頃か……




科学は表の世界で確かな地位を確立し、人の世の繁栄は全てが科学の恩恵であるかのように錯覚され始めた。

かたや魔学は無い物とされ、人々の間でも錯覚や気のせい、果ては詐欺の如く扱われる始末だ。


本来は表裏一体の物であり、車輪の両輪のような関係であるはずなのだが……

恐らく科学のみが発展していけば、この歪みはどこかの段階で越えられない壁となって現れるのだろう。


その1つが量子力学。観測者がいなければ特定され得ぬ事象、人の意志が事象に影響を及ぼす事を科学が認めた学問である。

本来は魔学が担当する筈である学問を、無理矢理 科学で解こうとする歪んだ学問である故に、研究は遅々として進まない筈だ。


思えば、ほんの百年前にはどの土地でも信じられていた神や悪魔を、何故 数世代程度でここまで忘れ去られてしまったのか……

第二次世界大戦ではナチスが本気で神器を集めていたほど、神と悪魔は身近であった筈なのに。


魔学がこれ程まで簡単に、人の心から忘れ去られた理由。



それもこれも全ては一人の男が原因であった。



この星には元来、万物の魂の元とも言える氣が満ちている筈なのだ。しかし、今は薄っすらと生物が生きる最低限の氣が漂うだけ。

氣とは星の中心から湧き出ずる物。星が子である全ての生物へ送る祝福である。


生物は呼吸により氣を取り入れ、自らの気へと昇華して初めて扱う事ができるのだ。

今は、氣が薄すぎて生命の維持で精一杯ではあるのだが……






時は遡って大正の世。世間では大正ロマン、文化の花が咲き乱れる頃。

和服の子供が裏路地から走り出してくる。


「何だガキ!埃が立つだろ!」


自分の余裕の無さが、他者への攻撃性に転嫁されているのだろうか……

悪態を吐いて溜飲を下げた瞬間、何とも言えない不快感が男を襲った。


男の背中に纏わりつく影……男は子供を見て、一度は静まった怒気を膨らませていく……

本来、男は短気ではあるが竹を割ったような性格で、知人からの信頼も厚い。


子供が走り回るなど笑って済ませる筈が、どうしても怒りが膨らんでくるのを止められない。

そうして怒気が殺意にまで昇華するのに、然程の時間も必要は無かった。


男は内心の煮えたぎる怒りを表情には出さず、近くで遊んでいる子供に背後からゆっくりと近づいていく……

手を伸ばせば届く位置まで来ると、今から行う行為を想像し、厭らしい笑みが浮かんでくる。


子供の背後から首に手をかけようとした所で……不意に肩を叩かれた。

意味も無く怒り狂っていた心は既に無く、普段と変わらぬ心持ちに自分が一番驚いている。


「な、何だ……お、オレは……」


すると肩を叩いたであろう者が、落ち着いた口調で話しだした。


「荒魂だ。アンタの怒りに同調したんだろう。あんまり怒り過ぎるなよ、戻れなくなるぞ」


そう言って意味の分からない事を告げ、去って行く男の手には何かが薄っすらと見える……眼を凝らすと、顔だ!男は怒りの形相をした何かを握り締めていた。





男は手に荒魂と言われるソレを持ったまま、長屋の一室へと入っていく。


「先生、中々に大物を捕まえてきました」

「おお、大きいね。ささ、封印具の中に入れてくれ」


先生と呼ばれた男が、徳利より小さな壺を出したかと思うと、なんと荒魂が吸い込まれていく。

直ぐに栓をして何やら文字や記号が書かれた紙を張り付けた。


「流石は先生の封印術です。この大きさの荒魂でも、こんなに簡単に入るなんて」

「年の功だよ。平田君にも直ぐに出来るようになる」


「そうでしょうか?」

「君は氣を昇華するための丹田が人の何倍も強い。その年で荒魂を見て触れるだけでも凄い才能だよ。現に私の封印術以外にも教えを受けているんだろ?」


「はい……」

「責めてるんじゃない。君のような有望な若者は才能を伸ばせるうちに伸ばすべきだ。それでこそ何時か我らの悲願も叶うと言うものだよ」


「精進します……」


そう言って平田と呼ばれた男は、長屋を出て行った。





オレの名前は平田清。復古神道の大成者である平田篤胤を祖に持つ魔学者の卵である。

現在は東京の神道系の大学に通う2年生だ。


ヨーロッパの産業革命以降、科学偏重の世の中だが、魔学も科学と同じかそれ以上のチカラを秘めていると思うのは、思い上がりなのだろうか。

実際には科学ほどの万能性は無いのかも知れないが、妖の存在と氣と気は科学ではどうしようも無い。


偉そうな事を言ったが実はオレの頭は並みである。魔学の研究は頭の良い連中に任せて、オレは魔学の中でも研究では無く実践。

人の世に害を成す妖や御霊を調伏する事で、人の世の役に立って行きたいと思っている。





実は先程の荒魂とは妖と呼ばれる物の幼生で、人の魂を食らう事で成長し、妖へと至るのだ。

あの男も子供も運が良かった。たまたま封印術を習っている久世先生の下に向かっていた途中で、見つける事が出来たのだから。


荒魂が子供を殺していれば、きっと男の魂と子供の魂は荒魂に食われていただろう。

その時にはきっと妖の中でも禍々しい、鬼が生まれていたかもしれない。


鬼になった者は見た目を元の人に戻す事が可能だ。昼は普通に仕事をして夜な夜な人を殺し、食す。歴史上の殺人鬼の殆どは鬼になった者の犯行と言われている。





実は妖も人に害を成す者ばかりでは無い。


和魂に憑かれた物は荒魂とは逆に全ての事が許せるようになる。裏返せば、全てに興味が無くなってしまう、という事でもあるのだが。

そして、最終的には食事や生理現象さえ面倒になり餓死するのだ。


和魂はそれを何度も繰り返し、魂を取り込み続けると荒魂と同じように最終的に妖へと至る。

和魂の妖で代表的なのは座敷童だ。どこか気に入った家を見つけると何十年、何百年もその場に居続ける。


民間伝承では家を発展させると言うが、家が断絶すると面倒だからという理由でチカラを貸しているにすぎない。

それでも人の利益に叶ってはいるので、オレ達も無闇に調伏したりはしないが……一度など座敷童がいなくなってしまい会社が傾いた、と怒鳴り込まれた事もあったほどだ。





話は変わってオレの幼少期の話をしよう。


普通は魔学を学び気の扱いを覚えてから、やっと御霊や妖を見る事ができるのだが、オレは物心が付いた時には何故か当り前のように妖が見えた。

周りの大人が訝しんでオレの体を調べてみると、氣を気に昇華する丹田が人の何倍も強い事が分かったのだ。


丹田が強いという事は、人よりも気が沢山使えるという事である。

氣を気に昇華しても、人には気を溜めて置く器官など無いのだから。


そこからは他の子供が遊んでいる中、ひたすら式の呪具を作ったり式を操ったり、我が家に伝わる式術を叩き込まれる事になってしまった。


正直、子供の頃は、何故 自分だけ……と家と自分の才能を疎んだ事もあったが、今となっては自分の生き方を早くに決める事が出来て、ありがたいとすら感じている。





さて、ではいよいよ魔学の実践。妖を調伏する技術についての話だ。

オレは我が家に伝わる式術は中伝を許され、久世先生の封印術では初伝を許されている。


この大正の世になって色々な情報が手に入るようになり、ようやく分かった事ではあるのだが、国や土地によって気の使い方が随分と違う。


凡そにではあるが西洋では気を外に使い、何かを動かしたり透視をしたりと、本来、人には無い能力を得る事が多いと聞く。

反対に東洋、志那を筆頭に気を内に使い、身体能力の強化に特化している。


そして我が国 日本では付与。式術を代表に、依り代と言われる物に特殊なチカラを付与し使役する術が発展してきた。


御霊と違って妖は、人から変化するだけあって実体を持っている。

それに対抗するために、それぞれの土地では物質的に妖を凌駕する能力を求めてきた結果なのだろう。





久世先生の封印術だが器に呪をかけ、御霊を吸い込んで閉じ込めてしまう技術だ。


久世先生ほどの使い手になると妖の中の御霊だけ吸い出して閉じ込めるなんて芸当も出来てしまう。

かなり汎用性の高い技術だといえる。


これだけ聞くと妖から人に戻れるのかと思ってしまうが、一度 妖になった者が人に戻る事は無い。

これは妖になった時点で、元の人の魂は御霊に食われているからに他ならない。


体だけは戻っても、魂が食われてしまって無い状態では人は生きていられない。

結果、体は元の人に戻って、後には死体だけが残ると言う訳だ。


しかし、これは久世先生ほどの使い手だからであって、オレ程度の実力では小さな荒魂を吸い込むだけでも必死である。

いつか久世先生のような使い手になるべく修行に励む毎日だ。




そして式術であるが、物心ついた頃から修行してきただけあり、皆伝の二歩手前の中伝を許されている。

式術とは簡単に言ってしまえば依り代に呪を書き、気を注ぎ込んで人造の妖を作る技術だ。


依り代は紙から死体まで様々な物を使い、術者の想像により様々な事が出来る。

例えば空からの偵察。紙の鳥から実際の鳥の躯まで……好きな依り代を使い、空から何かを監視するなど簡単な事だ。


式術はどんな依り代を使うか、どんな能力を持たせるか、術者の想像力と練度がそのまま能力になる汎用性の強い術である。

そして出来上がった式は必ずオレに従い、決して逆らう事は無い。


気を注ぐ量にもよるが、長い物だと年単位で存在する事もできる。

しかし……気が尽きるか依り代が壊れると、回復や気の継ぎ足しも出来ずに最後は必ず依り代だけを残して消えてしまうのだ……





オレがまだ子供の頃、師匠でもある父に手伝ってもらって、子犬の亡骸から式を作った事があった。

オレは式に大五郎と名前を付けて大層可愛がった。それはそうだろう。オレの意思の通りに動き、望む行動をするのだ。


オレの深層心理がそう願ったのだろう、大五郎の仕草は完全に犬のそれだった。

起きてから寝るまでいつも大五郎と一緒で、オレにとって大五郎は仲の良い友達であり、兄弟だったのだ。


師匠でもある父は、オレが大五郎に心を許していくのを悲し気に見て、オレの頭を撫でるだけだった。

そして半年が経った朝、事件は起きた。なんと大五郎は物言わぬ躯に戻っていたのだ。


原因が気の枯渇であるというのは直ぐに分かった。オレも幼いながら式術を習っており、気の枯渇の事は最初から聞いていた事でもある。

オレは泣きながら父に頼み込み、渾身のチカラを込め再び式術を使った。しかし、出来たそれは大五郎に瓜二つではあるものの違う式だったのだ。


結局、オレは泣きながら〝大五郎と同じ姿の違う存在”をどうしても許す事が出来ず、作ったばかりの式から気を抜いて元の躯へと戻した。

そして大五郎だった骸を火葬し、墓を作って弔う事でやっと心の中を整理する事が出来たのだ。


その間、父は何も言わず、最初から最後までを ただただ見ていただけだった。

そして最後に一言だけ呟いた……命の重さは学べたか?と……


後で聞いた話だが、これは式術を学ぶ者は必ず通る通過儀礼だとか。

人によってペットから可愛らしい動物、酷い時には人の死体を使う事もあるそうだ。


式術を使う者は命の重さと、その命を扱う意味を心に刻み込んで術を行使しなければならない。

こんな理由から式術は非常に有用で、今現在も研鑽を詰んではいる技術ではあるのだが、仮初とはいえ命を作る式術を軽々しく使いたくないのだ。


使役した妖は必ず死ぬ。いつかオレが与えた気が尽きて……

式は決して文句は言わず、人や言葉を話せる躯を使えば2度目の生に感謝さえ述べる。


オレにはそれがどうしようもなく辛いのだ。

いっそこんな中途半端な命を、と罵声でも浴びせてくれれば割り切れるかもしれない。しかし、どの式も最後は満足して消えて行く……式と繋がっているオレには、式が本心で満足しているのが分かってしまう。


こうしてオレは式術を学びながらも、他の術に傾倒しているという、どちらの師匠にも不義理を働いている。

父も久世先生もオレの葛藤を見抜いているのか、特に責められるような事は無い。


せめて弟子として、確実に技術だけでも受け継ぎたいと思うのは、体の良い言い訳なのだろうか……




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