第62話(残り2話) 愚かな行為
俺は初めて長剣の切っ先を相手に向けるように構えた。どこからどう見ても、魔法を放つ姿ではない。
「おいおいグレイド。まさかとは思うけど君。物理攻撃で僕を倒そうとか考えてない?」
「そのまさかだが」
「はぁー……ガッカリさせてくれるよ。ただの自殺行為だって、分からないかな」
イサックは本気で失望したようだった。だが奴が失望しようが、俺には関係ないことだ。
魔力が増幅し、長剣は闇の使者へと変わっていく。かすっただけで黄泉へと引き摺りこむ魔剣に姿を変え、眼前にいる男に狙いを定める。
次に兄が何かを語ろうとしたが、聞くつもりはなかった。蹴り上げられた床が砕け、体は一瞬にして攻撃対象へと迫る。
物理反射の魔法を纏っているイサックは、先ほどと同じようにポケットに手を入れて、俺の一撃を待っていた。
紅い残像を残しながら、ただの一つ突きが彼を襲う。狙いは胸元だ。
刃は触れた瞬間に、決して争うことのできない壁に阻まれたようだった。弾き返されることが当たり前のように、それは力を伴い、殺意すらそのまま返そうとする。
「はあ、かったるい……」
怠そうにしていたイサックは、少々の時間を経て違和感に気づいた。先ほどとは違う現象に僅かに眉をひそめている。
「……あれ? なんだ?」
イサックからすれば計算外もいいところだった。たちどころに反射されるはずの剣が、まだ火花を散らしながら胸の前で震えているのだから。紅い切っ先は徐々に、細い胸板に近づきつつあった。
チャージの効果がきっちり現れている。やはりエリン先生を教師に選んだのは正しかった。
「なぜだ……グレイド、お前は」
「簡単だろう。反射などさせないほどに、強い一撃を見舞えば良いだけのこと」
アタックリフレクションは全ての物理攻撃を反射できるわけではない。術者の防御力から一定水準以上のダメージを誇る攻撃には、貫通されてしまう場合がある。
イサックは元々体を鍛えておらず、防具もまた貧弱そのものだ。しかしレオの攻撃は足りなかった。
つまりこの初見殺しには、ひたすらに強力なパワーを持って対抗すれば良い。簡単すぎるほどの答えだったが、知らない人間には分からないことだった。
剣にはずっとチャージをかけ続けている。だから、徐々にではあるが打ち破りつつあったのだ。俺は剣を持つ手に渾身の力を込めた。絶対の信頼を寄せていた反射の壁が、ひび割れていく感触がした。
「な、なぜ!? グレイドぉおお!」
初めてイサックが動揺して叫んだ。既に二重に魔法を展開しているイサックは、可能な行動が限られていた。
テレポートで逃げようにも、物理反射の魔法を解除しなければならない。魔法には相性があり、同時に使えるものと使えないものが存在する。
もしテレポートを使おうとリフレクションを解除すれば、その瞬間に刃は届く。だが解除をしなくても刃は届だろう。
ガラスが割れたような手応えだった。反射の魔法が貫通され、切っ先が頼りなげな胸に当たった——その瞬間に、俺は違和感を覚えて僅かに目を見開いた。イサックが悲鳴をあげた。
剣によって貫通されなかった細い兄の体は、想像より遥かに強烈な勢いで跳ね飛ばされ、レオと同じように壁に激突した。数秒の間を持ってイサックもまた床に突っ伏したのだが。やはりおかしい。
「ぐ……ぐぅ……ふ……ふふふふ」
苦しみに呻きながらも、兄は笑い声と共に起き上がった。どうして剣が刺さらなかったのか。胸元の服が破れたことで答えが出た。
イサックの胸には魔道具が埋め込まれている。
まだ起き上がることのできないレオは、床に這ったまま驚愕の声を上げた。
「イサック……お前まさか。魔道具を自分に?」
「ああ、そうだよ兄さん。以前から考えていたことがあってね。何の制限もなく魔法を使い続けることはできないか。無謀すぎる考えではあったけれども、長い研究の果てに一つの結論を見つけたのさ。それがこれ」
イサックはふらつく足で立ち上がると、胸元を開いて魔道具を……中に埋め込まれたダンジョン・ストーンごと誇らしげに見せつけた。
「ダンジョン・ストーンは周囲の魔力を吸い上げる石だ。つまり、その石と自分が繋がることができれば、魔法を使い続けることだって可能になるはず。本当はさあグレイド、君を実験体として使う予定だったんだけどね」
そう。グレイドの攻略ルートの中には、確かに魔道具ごとダンジョン・ストーンを埋め込んだ状態で勇者と戦うシーンがある。しかし、それは最も悲惨なルートでもあった。
ほんの十秒ほどでよく分かるほどに、イサックは人間をやめていった。体は青白い発光体とかし、瞳や髪の毛は歪な形に進化をしていく。もう少し時間が経てば、今度は崩壊が始まる。
「馬鹿なことをしおって! 人間の体がダンジョン・ストーンの融合に耐えられると思うのか!」
「事実、僕はもう完成したじゃないか。兄さん、嫉妬はやめてよ」
口元が裂けた笑みを向けられたレオは、絶句するしかなかっただろう。
しかし悠長に見学している暇もなかった。イサックの両手がまるでゴムのように伸びたかと思うと、黒い閃光が何本も同時に飛んできたのだ。
ブラックレーザーという闇魔法が、槍以上に鋭くこちらを狙う。俺はマジックバリアを展開しつつ、身を翻しながら狭い隙間へ退避していく。
しかし、その隙間もまた黒い光に埋め尽くされ、今度は違う隙間へと踊るようにかわした。
「こんなに激しい魔法を使っても、何も消費することがない。僕はとうとう究極を手にした。今回の騒ぎでポーン家が潰えたとしても、この身は決して滅びることはないんだ。僕は僕が理想とする自分になり、幸せを手にする」
「甘い理想だな。死にゆくことが分からないとは」
俺は呆れたように呟く。黒い暴力に争いながらバク宙をし、時には体を潜らせて魔法をかわした。
「死に際の君に言われても、説得力がない」
「確かに、力はついたらしい。だが——」
バク宙をしながら剣に魔力を込め、紅い輝きとともに一閃。黒い光の束は、一時的にまとめて切り払われた。イサックは想定していなかったのか、少しの間だが動きが止まる。
「哀れなものだ。イサックよ。お前は人間のままでいるならば、さほど苦しむことなく死ねた。中途半端に力をつけた者こそが、最も悲惨な死に方をする」
エタソじゃないけど、何かのゲームであったセリフだった気がする。これ、実は言ってみたかっただけです。
「中途半端だと? この僕が! どうして! 中途半端なんだよぉ!?」
感情を抑えられなくなってきたのか、青白い怪物が叫んだ。しかし、俺にとってみれば別に問題など一つもない。
「多少は楽しませた褒美に見せてやろう。俺の本気の戦いを」
足元から紫の光が滲み出る。全身を赤黒い煙が巻き付いてくる。黒と赤の雷が身体を照らした。胸の前で左拳を握り締め、意識を集中させる。
やっていることは単なるバフ魔法。エリン先生から学んだことを忠実に行っているだけ。だが、それとチャージを組み合わせれば効果は飛躍的に高まる。ゲームの中で存在した常套手段の一つだ。
白い髪が風に靡いた。自らの影を見て気がついたが、恐らく赤い瞳が発光している。グレイドもまた、人ではない何かに変貌を始めているようだった。
イサックは静かに揺れていた。既に原型を損ないつつある青い顔は、何とも表現し難い哀れな表情に映る。
「まるで悪魔……いや天使だ。僕が、僕が憧れたあの……」
「さあ、始めるとしよう」
大小様々な雷と光に彩られているのが分かる。レオは言葉も発せずに俺をみていた。
イサックが逆上の叫びと共に、最大限の黒い光を生み出した。それらはゴムのように伸びる両手に巻きつき、異常なほどに黒い暴力として完成した。
怪物と化した兄は叫び、揺らめく体が前進した。握り締めた両手は恐らく、物理的な破壊行為なら比肩するものはないとさえ思える。
しかし、それは悪手だ。
俺はたった一つの魔法を持ってそれに対抗する。
奇しくも彼が初見殺しとして使用した魔法。アタックリフレクションが、彼の暴力に正当な批判を持って答えたのだ。僅かな詠唱であれ、俺は確かに聴いている。
あっという間の出来事だった。イサックの全身は跡形もなく弾け飛び、拠り所であったダンジョン・ストーンにもヒビが次々と走り、やがて砕け散った。
暗く青い世界が終わりを告げる。人々を恐怖のどん底に陥れた学園ダンジョンは、その役目を終える。
徐々に消えゆくダンジョンの中で、哀れな青く小さな塊が風に揺らぎ、儚く消え去ってゆく。
狂ってしまった兄の最後は、なんとも言えない悲しいものだった。
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