第58話 兄との連携

 みんなに提案した作戦は、そこまで複雑ではない。


 メラニーが爆発魔法を使ってサイクロプスを攻撃、揺動する。ミナは光魔法で援護、カンタはメラニーの移動を手伝いつつ守ってもらう。


 巨人の注意を三人が引きつけているうちに、俺とイサック兄さんで仕留めるというものだ。メラニー達の魔法では多少の痛手にはなるが、体力が膨大な相手には厳しい。


「メラニー、ドッカンしてればいいんだよね。がんばる!」


 怖いだろうに、勇敢な妹だなぁ。ミナは小さく「承知しました」と決意表明をし、カンタは「うおっしゃぁ! 行ってきます」と気合を入れた。


「責任重大だね。でも、僕と君ならきっといける」


 兄は普段とは変わらない微笑を浮かべて、俺を安心させようとしている。


「決まりだな。ではみんな、パーティを始めよう」


 精一杯キザな物言いをするのがグレイドのスタイルだ。こういうセリフを言うと、不思議と体に力が漲ってくる。


 まずはカンタがメラニーをおんぶし、俺たちとは反対側へと駆け出していった。ミナがそれに続く。やがて小さな手に握られた杖が、巨人の顔へと向けられる。


「ドッカン!」


 メラニーが最も得意とするフレアが、サイクロプスの頭上で炸裂した。巨体が驚きに揺れたが、やはり大したダメージは与えられていないようで、怒りで肩を震わせながら攻撃した対象を追い始めた。


「兄さん、俺たちは奴を背後から突く。狙いは首に絞ります」

「ああ、分かった!」


 力強い返事を聞いて、俺は柄にもなく走り出した。兄の足音が続いている。


 巨大すぎる背中へは、なかなか容易に近づくことはできなかった。途中何度か襲ってくる獣型の魔物をしとめつつ、大きく回るように禍々しい存在へと迫る。


「うおわぁー!」


 棍棒が落とされ、カンタが悲鳴をあげていた。ギリギリのところで回避できたのは、ミナがライト・アローをいくつも魔物に当てて気を散らしたからだろう。今のところは連携が取れている。


 しかし、こうしている間にも新たな不安材料が増えてしまう。少し前から発生していた砂嵐によって、みんなの姿も徐々に視認できなくなってきた。


「早く決める必要があります。兄さん、合図をしたら風魔法で俺を飛ばして下さい」

「分かった! 僕に任せてくれ」


 兄は魔法の詠唱を開始した。どんな魔法も無難にこなせる兄だったが、最も得意なのは風魔法。場合によってはただの送風が、空の彼方へと舞い上がらせる武器になる。


 魔物の数が増えているようだった。灰色の大地は元々足場も良くはない。そのような中で跳躍と共に強烈な風の加護を受けることは容易ではない。チャンスは恐らくそうはないだろう。


 しかし、唐突にその時は来た。ブツブツと呟く背後の詠唱が止まる。俺は絶好のタイミングと距離を手にして、背後の存在へと叫ぶ。


「今だ!」


 この時、温かみのある風が来るはずだった。より大きく広い力が全身を包み、我が身を遥か上空へと飛翔させてくれるはず。


 だがやってきた風は刃のごとく鋭角的で、冷たく重い殺意を伴い、背中を切りつけてきた。


「が……は……」


 小さく呻きながら、俺は何度も地面を転げ回って、ようやく砂に塗れて止まった。


「ぼ、坊ちゃんの声が!? ぼっちゃーん!」

「カンタさん! 敵が!」

「おにーさま? ねえカンタ、おにーさまがどうしたの!?」


 驚き叫ぶ声。どうやらカンタには微かに聴こえたらしい。しかし砂嵐で視界が悪い上に、距離が離れ過ぎている。静かに、頼もしく導いてくれるはずの男が歩み寄ってきた。


 俺は大の字で倒れていた。持っていた剣は半分以上が砂に埋もれている。


「ごめんごめん。間違えちゃった」


 言葉のわりには悪びれていない。いつも優しげな微笑は、悪意の嘲笑へと変わっていた。


「やっぱり……お前だったか」


 荒い呼吸をしながら、刺すように睨みつける。イサックは少しも動じていない。


「おや? 気づいていたのかい。その割には馬鹿な真似をしたね」

「お前は、ゼールにも手紙を送っていたな」

「ん? ああ、あいつのことで気づいたのか!」


 兄はバレたことが逆に喜びへと変わっていたようだ。笑いながらこちらを見下ろす様は、馬鹿な弟を侮蔑する意図しかない。


「君を一番恨んでいる男だろうからね。利用させてもらったまでだよ。今回の事態はアイツが発端ってことでいいんじゃない? 本当はもっと違うシナリオが好みだったけどな」

「俺が……。俺が、ダンジョンを作ったというシナリオか」

「ご名答。僕が君に優しくしていたのは、この日の為だったんだ。なのにさぁ、この一年。本当にどうしちゃったの? 僕は他の誰よりも、君に腹が立っていたんだよ」


 イサックは珍しく怒りを露わにしていた。


「せっかく教育してあげたのに。せっかく暴走する機会を作ってあげたのに。君って奴は大幅に人格が修正されていたよね。しかも、面倒なことに力もつけていた。僕からすればね、ダンジョン・ストーンを盗むのも君にやらせたかったし、それまでに魔道具の使い方もしれっと教えておく計画だった。でも、これは無理だなって思ったよ。歪みが足りなくなってるって。なあ、本当にどうしちゃったの? ……僕が君に費やした時間を、返してくれないかな?」


 しゃがんでこちらを睨む兄に、普段のおっとりした雰囲気はない。俺は苦しい息遣いをしつつも笑って見せた。


「こんな真似をすれば家自体終わるぞ。そうまでする必要が、イサック……お前になぜあったんだ?」

「まだ息があるんだ。しぶといね。僕は最初から、二番手に甘んじるつもりなんかなかったんだよ。なのに父上と母上には過小評価されてたし、あの無能な兄は、僕をいいように利用することばかり考えてる。そうやって生きなくちゃいけない人生なんて、まっぴらだった」


 静かに、彼は懐から小さなナイフを取り出した。


「永遠の二番手なんてまっぴらさ。クソみたいな弟の世話、気難しい兄の奴隷。つまらない家柄。どれもくだらない。こいつらを全員廃してこそ、僕という人間は真に自由になれる。ただ離れるんじゃなくて、滅ぼすことが必要なんだ。そうじゃなきゃ縁なんて切れないだろ?」


 理解し難い話だと思った。しかし、狂人とは所詮、普通の人間には理解できないものなんだ。だが、どうやら悪役貴族たる男は、その点においてだけは鋭敏だったらしい。


 グレイドは確かに、日記にイサックを一番登場させていた。しかし読み進めるうちに気がついた。一見穏やかで慕っているように綴られているが、実は隠れた憎しみに満ちていることに。


 グレイドは知っていたのだ。自分を一番利用しようと企んでいるのが誰であるかを。


 しかし、ゲームでは最後の最後で結局、グレイドは兄の思惑通りになってしまった。学園をダンジョン化させる方法など、元々この体の主は知りようがない。エタソで暗躍している存在は魔王以外にもいたが、ゲームには登場しなかったわけだ。


 俺がイサックが隠れた狂獣であることに気づいたのは、チェスをして語り合った夜だ。


 向かい合った瞳には確かに見覚えがあった。

 転生する前、俺をナイフで刺した男と、イサックは同じ目をしていた。


 自分の歪んだ思想を正しいと思いこみ、最も悪き行動に走ろうとする男と同じ濁った瞳。黒く澱んだ何かが滲み出ているようで、とても正常な人間のそれとは思えなかった。


「お喋りは終わりにしよう。手紙とか書かせたり、本当に面倒なことばかりさせてくれたね。サイクロプスのおかげで、ここで邪魔は入らない。ゆっくりとおやすみ……この役立たずが!」


 イサックは満面の笑みを浮かべながら、ナイフを両手持ちに変えて頭上に構えた。


「兄さん……」


 俺の呟きに、兄は答えない。レオをも凌ぐ隠れた獣は、その本能に任せてナイフを振り下ろした。狂った光が狙うのは喉元か。正確に落とされる刃が、一瞬だが俺とイサックの姿を反射した。


「甘かったな」


 この時、彼の瞳に映ったのはなんだったろう。突然すました顔になった俺か、急激に回る世界か。


 それとも——突然正面衝突してきた隕石だったか。


 細い体をした兄は飛んだ。さっきの俺以上に転がり、無様にも四つん這いになって止まった。俺は体操選手のように、両手を地面につき跳ね起きた。さっきまでの致命傷などなかったかのよう。


「な……死にかけなのに、どうして」

「どうにも奇妙な反応だな。まるで俺が虫の息だったような言い草だが、傷などない。いや、服を汚したことは貴族にとって傷になりえるかな」


 砂を払い、半分砂に埋まった剣を乱暴に引き抜く。


 実はエアーセイバーを受ける寸前に、エリン先生が使っていたマジックバリアを張らせてもらった。おかげでダメージはない。


 奴に尻尾を出させるためには、今が絶好のチャンスだと思わせなくてはならなかった。


「終わりにしよう。偽りの仮面を被った野獣よ」


 悔しげに立ち上がる男を、俺は二度と兄とは呼ばなかった。

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