第53話 長兄の焦り

「ど、どうなってんだこりゃあ!」


 カンタは不安げな従者の側で叫んだ。


 優美かつ巨大な白き校舎が、あっという間に黒い何かに変貌していく様子を目の当たりにしている。すぐ後ろではメラニーが「ねえ! あれ! あれなにー!?」と騒いでいる。


「こうしちゃいられねえ! お嬢、ちょっと行ってきますんで」

「メラニーもいく!」

「ダメです! 何があるか分からないんです。おっちゃん、お嬢を頼むぜ!」


 従者は恐縮しながらも返事をした。メラニーの安全を確保しつつ、カンタは棍棒と剣を携帯して学園へと走る。


 全力で駆け足をして正門までやってくると、学園の周りが不気味な霧に包まれていることに気づいた。霧は徐々に広がりを見せており、もしかしたら街を包むほどに大きくなるのかもしれない。


 少しして、先生や生徒と思われる者達が我先にと正門から逃げ去っていった。どうやら相当なパニックに陥っているらしく、誰もが怯えきった顔で叫び声をあげていた。


 だが、その中にグレイドの姿はない。雪崩れのように逃げる生徒達がいなくなると、ようやく中に入れる余裕が生まれる。


 カンタはすぐに正面玄関から中に入ろうとした。


「あれ? まだ誰かいる——って、犬?」


 玄関には何かがいた。暗くなっているためによく姿が見えない。だが、その何かはカンタに気がつくと、唸り声を上げながら襲いかかってきた。


「うお!? こ、こいつ! 魔物かよ」


 近づくほどに歪なそれは、真っ赤な体毛をした虎の魔物だった。


「くそ。ワケわかんねえけど、やるしかねえな!」


 突然の邂逅に驚きつつも、カンタは棍棒を振り上げて戦闘態勢に入った。敵は一体だけではなく、周囲には複数の魔物の気配が漂っている。


 一方その頃、従者は必死になってメラニーを抑えていたのだが、一瞬の隙をついて抜けられてしまった。


 小さな体に大きな好奇心を秘めて、カンタが奮闘する戦いの場へと向かっていったのである。


 ◇


 この時、ロージアン城では豪勢なパーティが開かれていた。大抵の貴族達は暇を持て余していたので、夕方から城内は華やかな活気に満ち溢れている。


 バルコニーで数名の貴族と談笑をしていたレオは、ふと学園から黒い煙がいくつも上がる光景を目にした。同時に多数の学生達が逃げ惑っている姿も、微かだが見てとれる。


「あら、一体何かしら」

「火事が起こっているのかもしれんよ」

「どうやら学園から煙が出ているようですが」

「学びの場で火災とは不用心なことだ。私の母校でなんと嘆かわしい」


 多くの貴族達が他人事のように話をするなか、レオは険しい顔で現場を観察していた。先ほどまでの温和な顔は消え、武人と呼ぶにふさわしい迫力が滲み出ている。


「おや? 妙な霧が出てきてないか」

「どういう現象なのかしら。霧の色がどんどん変わっていくわ」

「あれは……まさかダンジョンが生成されているんじゃないのか」


 黙然としていたレオの目が見開いた。生成型ダンジョン。その存在が彼に衝撃を与える。


(ダンジョン? ダンジョンが生成されているだと? もしそうだとしたら、ダンジョン・ストーンが必要なはずだ。まさか)


 決して起きてはならないことが起きようとしている。


 そう直感したレオはパーティ会場を抜け、自らが連れてきた騎士達数名を強引に引っ張り出すと、すぐさまパーティ用の礼装から鎧に着替えた。馬にまたがりハルバードを背中に預ける。


「諸君。どうやらダンジョンが発生しているようだ。全速力で現場に向かい、これを破壊する。俺についてこい」

「は、はい!」


 騎士達は戸惑いつつも、主の命に従い馬にまたがり後を追った。


 国王や貴族達が事態に気がつくのは少し先になるはずだ、そう考えつつレオは急いだ。彼は自分達が先行できるよう、城の者達には何も言わずにその場を抜けている。


 もしダンジョン化の原因が、自分が所持していたダンジョン・ストーンだと知れたら。もしダンジョンから溢れ出した魔物の手で、多くの命が奪われることになったとしたら。


 責任追求は免れない。最終的にはレオ自身の身が滅ぼされかねない上に、ポーン家も終わってしまう可能性が高い。


 王都の兵士達が何百人と乗りこめば、大抵のダンジョンなどすぐに攻略できる。王が問題を認識し、命令を出せばすぐにでも彼らは魔物達を蹂躙し、ダンジョン・ストーンを奪取して事態を解決させることだろう。


 だが、そうなる前に証拠を潰す必要がある。自分達のところから盗まれた石である、という確たる証拠を。だからレオは死に物狂いで馬を走らせていた。


「くそ、こんな時にイサックがいれば。俺はもう少し冷静に対処できたろうに!」


 頼りになる弟は、今は離れた場所で異なる仕事をしている。イサックもまた奇妙な戦いに身を投じている筈なのだ。文句を言えた義理ではない。


 ただ、あまりにも出来すぎているような気がした。国も貴族達も、誰もが最も隙が生じるタイミングを測っている。嵌められたという気持ちが彼の自尊心を傷つけた。


 だが気にしている場合ではない。騎士達数名と自分だけで、早く事を解決させなくてはならないのだから。何より、学舎を狙うという行為自体に虫唾が走った。


「誰がこのような真似をしおったのだ! 許さん、許さんぞ!」


 レオは学園に近づくにつれ憤慨を露わにする。犯人はまだ分かっていない。


 しかし彼が最も疑っている男は、勇者と共にダンジョン化に巻き込まれ、危険な戦いの場に引き摺り込まれていたのだった。

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