第52話 運命の日

 四月二十四日。とうとうこの日がやってきてしまった。


 ちなみにエタソの世界でもGWに近い祝日続きの日が五月にある。大抵の生徒達は連休にどう過ごしていくか、という希望を抱いて登校している。


 しかし、俺にとっては今日こそがクライマックスであり、この日を乗り越えられたのならいつだって祝日も同然だった。


 社畜として長きを過ごした身に、学生生活はかなり楽なものに感じられたからだ。というか、実をいうと楽しい。


 でも、もしかしたらそういった日々も今日で終わるのかも知れない。恐怖と緊張と、負けないぞという闘争心を胸に同居させ、とにかくいつも通りに学業をこなしていく。


 そして少々拍子抜けするほどに、あっけなく時間は過ぎていった。気がつけば帰りのHRが終わった。


 だが、実はこのまま俺は帰るわけにはいかなかった。今朝下駄箱を開けた時、奇妙な手紙が入っていたのだ。手紙の主は勇者ミナだった。よりによって今日、放課後に校舎の屋上に呼び出されてしまった。


 しかもミナの手紙には、『全ては屋上でお話しします』という意味深すぎる一言も添えられていた。話すって何を?


 いや、元より話し合いが目的ではないのかもしれない。勇者とはつまるところ、大敵を討ち取る暗殺者のようなものだ。


 だとするなら、今までの可憐さと無垢さ全開だった姿が演技であり、この日俺を倒すために種を撒いていたという考え方もできる。


 考えすぎな気もしないではないが、グレイドという男は悪い噂には事欠かない存在であり、何かしらの冤罪で殺されるというリスクだってあり得るはず。


 だが、まあそれも想定範囲内ではあった。今日俺は鍛冶職人に作ってもらった長剣を持ってきている。


 もちろん普通に持ってきたら先生から大目玉になること必死なので、長い布に包んで偽装していた。部活動の中には、木で作った槍とかで練習しているところもあるので、それと似たような感じにしてある。


 俺は深呼吸を何回かした後、偽装した長剣と鞄を持って屋上へと向かった。普段ならここはロージアン城の次に眺めがよく、生徒達の憩いの場所の一つになっている。


 しかし今日はあまり天候が良いとは言えず、雨がぽつりぽつりと降り出していた。


 俺の命を狙う刺客は、本当にミナになるのだろうか。もし本当に挑まれたとしても、万全の状態ならまず負けない気がする。


 男勇者と違い、女勇者は大器晩成型だと言われている。


 つまり今の時期では相手にならないはずだ。さらには有能な家庭教師をギガスラック家に渡らないようにしたことで、成長はさらに遅れていると思う。


 思案しているうちに、階段を登る軽やかな音が聞こえてきた。同時に心臓が少しずつ高鳴ってくる。その足音は軽快そのものだったが、屋上へ来ると少しずつ鈍り出しているのが分かった。


「グレイド様、お待たせしました」


 名を呼ばれ静かに振り返ると、どう見ても丸腰な少女が一人、心細げな表情で立っている。


「俺も来たばかりだ」

「そうだったのですね。良かったです」


 淡々と儀礼的な会話をしたと思いきや、ミナはすぐ隣にやってきて、眼下の風景を眺め始めた。


「やっぱり王都って整然としているというか、美しい街ですよね。私、ここから景色を眺めるのが好きなんです」

「悪くはないな。初めから計算して作ったのだろう。何処から眺めても景観を損なわないようにと」

「でも、この風景にグレイド様が映ると、もっと美しく見えます」

「俺が?」

「はい」


 こちらに微笑を浮かべつつ、上目遣いで見つめてくる瞳は、全く敵意が感じられなかった。やはり違うのか。


 ……っていうか、これって何の時間なの?


 てっきり命をかけた決闘でも始まるのかと身構えていたのに。しかもこの後、彼女は聞き捨てならない一言をしれっと桃色の唇から紡ぎ出したのだ。


「あの、ところで。大事なお話というのは何でしょうか?」


 ……は? 何それ。まるで俺が誘ったみたいな発言だ。


「ん? 大事な話があるといって俺を手紙で呼び出したのは、お前のほうだろう?」

「え?」


 彼女は目を丸くしていた。そして、何度か瞬きしてから眉を顰める。


「私の靴箱に手紙を入れてくださったのですよね? 大事なお話があるから、放課後に屋上へ来てほしいと。それまでは、何もいうなと……ここに」


 ミナは慌てたように鞄の中から手紙を出した。そして、俺も同じタイミングで手紙を取り出す。


 二人の顔が理解不能な驚きに止まっていると、不意に世界が歪み出した。大きな縦揺れにより、ミナは体勢を崩して転びそうになる。


「きゃあ!?」


 転ぶ寸前のところで、俺は彼女を抱き抱えるようにして助けた。揺れはすぐに収まったものの、今度は視界に変化が生じ始める。


「す、すみません。あの、これって」

「……やられたようだな」


 徐々に学園全体に黒い煙が立ち昇っていった。それらは円を描くように、白亜の宮殿のような校舎全体を包んでいく。


 夕日が沈みかかり夜へと変わっていく中で、学園は悪魔の棲家に変貌を遂げようとしている。


 黒い煙はいくつも昇り、やがて学園全体に奇妙な霧が発生した。霧はさまざまな色へと変化を続けながら視界を侵食し、気がつけば体全体から力が抜けていく。


 意識までもが遠のきかけた時、俺はたった一人、足を踏み入れたことのない部屋に立っていた。

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