第51話 お見合いの手紙
グレイドの父、ローレンスは夫人であるエライザと応接室にいた。
彼らはテーブルに山のように置かれた手紙を、丁寧に確認しては整理するという作業を続けている。
「あなた。このお嬢さんなんかどうかしら? ルゼリア家の方よ」
「ふむ。その娘も良いが、こちらのアーノルド家もなかなかだぞ」
実はこの手紙達は、全てがお見合いの申し込みであった。ゆうに百枚を軽く超える茶色い羊皮紙は、半分が長男であるレオに宛てたもので、もう半分近くが次男であるイサックへのもの。
ちなみにグレイドにお見合いを希望する手紙は二枚しかなく、辺境どころか別の大陸から寄せられたものだった。
「レオもイサックも、そろそろ結婚してくれればいいのに。どうしてああも渋るのかしらね」
「レオが求めているものは、自分よりも高い地位にいる女性だろう。ごく限られた席だな」
人一倍野心に溢れた男が欲しているのは、この大陸を支配する覇者の椅子だった。その為には王族との結婚が最も望ましい。だが、そんな相手から手紙が届くことはまずあり得ない。
「イサックは欲がなさそうなのに、結婚となると奥手になるわ。あんなに端正な顔立ちをしているのにねえ」
「うむ……あいつにも困ったものだ。ここにいるレオ宛の令嬢達も、案外イサックを見れば態度を変えるかも知れぬ」
だが、二人が本当に気掛かりなのは三男坊である。
「あなた、グレイドに二人も誘いが来ているわよ。これは事件ね!」
「去年までは一枚たりともなかったのにな。ただ、グレイドは自由恋愛をしているようだぞ」
婦人の顔が好奇の色で満たされた。まるで芸能人の色恋に熱くなっている主婦のようだ。
「ミナさんよね。まさかグレイドが自然と仲の良い女の子を作っちゃうなんて。ここ一年で最大の衝撃だったわ。でも、本当にあの子は変わったように見えるわ。そう思わない?」
「うむ。間違いない。男としての成長を始めたようだ」
ローレンスの心配の種は常にグレイドだった。レオは言うに及ばず、イサックもまた優秀な男である。メラニーは末娘ということもあり、伸び伸びと育って良い男に嫁げば安心できる。
だが、ポーン家は三男坊だけが常に不穏な様子だったのだ。街に出れば悪い噂が尽きず、メラニーには暴力を振るっていたという噂(ほぼ確信に近かったが)もあった。
小物という表現では足りないくらい、グレイドは人として、貴族としての資質に乏しかった。しかし、この一年で彼は飛躍したのである。
父と母は、彼が剣に魔法、さらには学問にまでのめり込む姿に驚いた。そして三日程度で飽きるわけでもなく、一年近くの間休まず継続させている努力に感動していたのである。
何より悪い噂を聞かなくなり、メラニーからも好かれるようになった。
多くを語ろうとしない三男だが、内面的にも成長しているのは明らかであり、彼らにはそれが堪らなく嬉しかった。
「案外、ポーン家を背負って立つことになるのは、グレイドかもしれん」
「まあ! あなたったら、期待し過ぎるのも酷というものよ」
婦人は軽く笑ったが、母親なりにグレイドの幸せを願ってもいた。彼女からすれば、元気に生きていてくれればそれで良いという考えだった。父もまた、子供達に多くを望んでいるわけではない。
手紙の山はようやく消えようとしていた。長い作業が終わり、ローレンスは肩のこりが酷くなった気がした。
「目下のところ、レオは姫に夢中か。早くこういった手紙がこないようにしてほしいものだ。丁重なお断りを返すのも楽ではない」
「きっと大丈夫よ。レオは明日、お城でバッチリお嬢様をゲットしてくれるはずだわ」
だといいのだが、とローレンスは肩を回しながら苦笑してしまう。後継ぎ問題や家の発展、それらはもう次の世代の仕事になっている。
ローレンスと婦人の見立てでは、よほどのことがない限り子供達の未来は明るいはずだった。
◇
グレイド達が演劇を楽しんでいる頃、とある酒場で一人の男が酒を飲んでいた。自ら酒瓶を手に取り、グラスに並々とワインを注いでいる。
「あの……そのくらいにしておいたほうがよろしいのでは?」
やんわりと止めるマスターの言葉は、彼の心には届かない。
まだお酒を飲む歳ではない、という注意を本当はしたかったのだが、身分の違いは明らかだ。あまりしつこく止めれば不敬になりかねない。
「今の僕にとっては適量なんだよ。嫌なことを忘れる為に必要なんだ」
彼はふと考えてしまう。栄光に至るはずの道を歩んでいるはずだった。しかしそれは、錯覚だったのではないか。
常に不快感が脳を支配している。だがそんな毎日ですら終わりが来る。
レオ・フォン・ポーンの部屋から盗んだ赤く大きな宝石が鏡のように反射し、彼の顔を映していた。血で全てが染まったように見え、いささか滑稽ではあったが、笑えない。
笑うどころではなかった。明日、彼は絶対に実行すると決意を固めていることがある。それがどれほど罪深いか。どれほど恐ろしいか。
だがやるしかない。全てはアイツのせいだと、苦々しい表情を浮かべる。
「グレイドめ……」
彼は決して、色を失った髪と血のような瞳を持つ男を許しはしないだろう。
もう既に慈悲を与えるかどうかという領域は通過し、選択肢は粛清しかない。視野が急激に狭まりつつある。誰の助言も耳に入りそうになかった。怒りの対象は他にもいる。
だが一方で恐怖があった。この行いはきっと、ロージアンという国全体を揺るがす大事件になるはずだ。
当然我が名家にも致命傷をもたらすだろう。全てを終わらせ、彼は血の池の中心に立っているに違いない。それもたった一人で。
「もう僕は決めたんだ。何があろうとも、後悔などしない」
いくらか時間が過ぎて、瞳は殺意を薄めて哀愁に近いものへと変わっていった。かつての輝かしい日々に思いを馳せているのだ。
思いのほか穏やかな顔になった彼は、静かに酒場を後にした。
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