第50話 悪役貴族のプレゼント

 四月二十三日。いよいよ運命の日まであと一日となった。


 早朝にイサック兄さんの出発を見送った後、心の中が騒ぎ立てている。どんどん死に近づいている気がして緊張する。


 だというのに、俺ときたらデートに向かおうとしているのだ。いや、もしかしたら騙されているだけかもしれない。


 どちらであろうとも、今回は引くべきではない。いつになくおしゃれなヒラヒラ付きスーツに着替えていたところで、異変を察知したように妹が突撃してきた。


「ねーおにーさま! どこ行くの?」

「劇を鑑賞しに行くのだ」

「げきって、えんげきのこと!? メラニーも行きたい!」


 やっぱりこうなっちゃうか。ただ、ここで止めに入ってくれる世話係がいるのは幸いだった。カンタは苦笑いしつつ首を横に振った。


「ダメっすよお嬢。チケットはもう完売なんです」

「やだー! ねえおにーさま、メラニーも行きたいの」


 この程度のわがままなら可愛い。俺はメラニーの頭を撫でつつ、どうにか代替案を考える。


「劇場には売店がある。お前が好きなケーキを買ってきてやるから、我慢しろ」


 すると、この一言がどストライクだったのか、やだやだモードのメラニーが笑顔になった。


「やったー! じゃあメラニー我慢する。秘密の調査がんばってくる」

「秘密の調査だと?」

「あ! わわわなんでもなーい」


 なんだそれ。だが戸惑っている時間もない。メイドに最後の仕上げとばかりに胸ポケットにハンカチを入れてもらい、カンタを連れて馬車へと向かうのだった。


 ◇


 大体にして、エタソの世界って娯楽が少ない気がする。まあ、中世的な世界観なワケだから仕方ないのだけれど。


 演劇って言っても、あまり期待はしないほうが良さそうだよなぁ。そう思いつつ劇場前でカンタと二人、勇者の登場を待っていた。


 しばらくして、もうお馴染みとなった青い馬車が優雅にやってきて、一人の少女を優しく送り出した。


「申し訳ございません。お待たせいたしました」

「気にするな。今来たところだ」


 カンタはミナに一礼すると、続いて俺にも礼をして馬車置き場へと小走りで去って行った。


 ミナの装いはさすが貴族というべきか。白い首飾りは肌に溶け込むように似合い、青いドレスが本来彼女が持っている爽やかさをより鮮明にしている。


 ああ、これで宿敵じゃなかったら。きっと俺は可愛らしさに夢中になれていたことだろう。だが、綺麗な薔薇には棘があるように、可愛い女子にも隠されたナイフがある。


「今日の舞台は王族でもなかなかお目にかかれないほど珍しいものなのです。ご存じでしたか?」

「知らなかったな。さて、行くとしよう」


 確かに、あのチケット料金は普通の額じゃないことはすぐに分かった。恐らく大陸でも最高峰の演劇なんだろう。俺達の席はちょうど真ん中くらいにあって、鑑賞するのに苦はなさそうだ。


 数分ほど暇を持て余していると、徐々に照明が消えていった。舞台のみがささやかな明かりに包まれ、幕は余裕を持って優雅に上がる。


 舞台上にいたのは一人の貴族である。なんていうか、いかにも悪そう。


「悪辣な貴族グルドよ。今日こそ貴様を倒し、街に平和を与えてみせる」


 そんな悪そうな貴族に立ち向かう男が一人。手には大きな作り物の剣を持っている。そして貴族は一人のお姫様っぽい女性を抱き寄せ、いかにも小物な笑い声をあげた。


「フハハハハ! 騎士デニスよ。貴様の剣など恐るるに足らず。我が暗黒の魔術の前に平伏すが良い」


 姫っぽい女性の悲鳴が劇場内に響き渡ると同時に、舞台には大きな変化が訪れる。ランプの灯がいくらか消され、さらに暗さを増した舞台上で、呪文を唱えた貴族がマントを翻した。


 すると幾人もの黒子……みたいな黒い影役の連中が現れたのである。なんていうか、どこぞの特撮の戦闘員みたいに側転やらバク転やら、いろんな芸をしていった。


「く! グルド、卑怯だぞ」

「グハハハー! 勝てば良いのだ。さあここからが本番よ」


 騎士デニスは剣で黒い影たちを倒していったが、演出はここで終わりではないらしい。不意に青白い何かが、舞台上のみならず観客席までふらふわと漂ってきた。


 これは光を使ったトリックなのか。いかにも幽霊みたいな気味の悪い何かがふよふよと、唐突にミナの近くを通過した。


「きゃ!」


 これには彼女もびっくりしたのか、思わず体を俺のほうへ寄せてしまった。


「あ、す、すみません」

「気にするな」


 ただこの状況、何気に大変なんですけどね。

 実はこの劇場の椅子、なぜか肘掛けがないのである。


 つまり、けっこうな距離感というか、今は普通にミナに腕を掴まれている。多分だけど、幽霊みたいなものが怖いのかな?


 それからも劇の演出は続き、ミナは怖がりながらも舞台に目が釘付けになっていた。デニスの反撃が始まると豪華な音楽が鳴り響き、戦いはあっという間に終わってフィナーレに。


 現代の映画とかに慣れ親しんできた俺だけど、これはこれで面白い。


 ミナもまた最後まで劇を堪能しているようだ。苦難を乗り越えた騎士と姫が舞台中心でハグしながら幕が降りていくさまを、濁りのない瞳で見つめていた。


 その後まあ定番とも言える舞台挨拶があり、観客たちは満ち足りた顔をして劇場を後にした。俺たちも一緒に出たが、まだお土産を買うというミッションが残っている。


「あ、そのケーキはメラニーさんへのお土産なのですね」

「そうだ。まったく騒がしい奴だからな。これさえ持っていけば機嫌を直すだろう」


 思わず出た愚痴に、ミナはクスリと笑った。


「グレイド様にも、苦手な方はいたのですね。なんだか意外です」

「得意な相手とはいえんな。なにしろ行動も考えも読めない」


 妹はちっちゃい子供ならでの、謎に満ちたところがある。しかし、それだけでもないような。もしかしたら、あれが大きくなったら魔性の女とかになったりして。いや、多分違うな。


 そんな女性には育たないでほしいと願望混じりの結論を出していると、ミナが何かに気づいたように顔を向けていた。つられて視線を転じると、そこには色とりどりの花が収められた店があった。


「少し寄り道していくか」

「え、よろしいのですか」


 俺が頷くと、彼女は嬉しそうに、普段より喜びに満ちた笑顔になる。花屋さんは大抵こじんまりとしているものだが、ここは相当に広い。


 俺たちと同じように演劇帰りの人々が、口々にどの花を買っていくか相談しているようだった。ミナは楽しそうに店内を軽やかに歩き回り、薔薇やガーベラやカーネーションに魅了されていた。


 そして花言葉について色々と教えてくれた。こういう時はすらすらと話してくれるので、気まずくならなくて助かる。


 ただ、俺からすると花の類はまったくわからないので、「ほう、そうなのか」くらいしかいうことは無い。ところがこんな時に限って、急に体が痛み出した。


 うぐぐ……グレイドの体が憎い。ここでキザな行為にではなくてはいけないのか。よし、しょうがないから花をプレゼントすることにしよう。


「さて、せっかくの夜だ。ご一緒した淑女に花の一つくらいプレゼントしなくてはな」

「……え。そ、そんな。悪いです」

「気にするな。これを君に送るとしよう」

「そ……それって……」


 不意にミナのカモシカを思わせる足が止まる。俺が手に取ったのは薔薇に似ているが、恐らくはエタソ世界オリジナルだと思う。


 薔薇のように棘はないが、花自体は似ていて、なんと時間が経つごとに色が変化していく。不思議だ。


「レミアスのお花……本当に、いいんですか」


 やけに真剣な顔になってしまったので、俺もちょっと戸惑う。


「なにかおかしいか?」

「いいえ。むしろその、嬉しいです。とても」


 ミナは瞳を潤ませて喜んだ。俺はちょっとばかり気になったが、まあいいかと二人で帰路に着く。


 カンタが迎えにきたので、ここでお別れだと告げると、彼女はなぜか小さな声で言った。


「私もグレイド様のことを、お慕いしています」

「ん? ああ」

「では、また学園で。お休みなさいっ」


 なぜか逃げるようにミナは去った。どうしちゃったんだろ。それと、カンタがやけに食い気味の顔で遠くから見ていたがそれはスルーした。


 とりあえず俺は家に帰ってから、こそっとメイドにレミアスの花について聞いてみることにした。すると、


「あらー! レミアスの花には、君とずっといたい、っていう花言葉があるんですよ」


 なんて言われてしまったので、俺は大いに狼狽した。勇者とずっといたら殺されかねん。なんという墓穴を掘ってしまったのか!


 まあいいか。明日になれば全ての答えが出る。


 いよいよやってくるのだ。俺にとって最大の試練である一日が。

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