第40話 親愛なる兄

 エリン先生の指導が終わり、いつも通りの夕食や風呂を済ませ、ようやく寝れると思ったらメラニーの遊び相手をさせられてしまう。


 ただ、遊ぶ場所はいつも俺の部屋になっている。おかげで散らかってしょうがない。しかも今日なんか本棚を探し回り、俺すら知らないグレイドの日記を見つけてしまったほどだった。


 で、日記を見られまいと焦る俺から、楽しそうに逃げ回ること数分。突然ゴロンと横になってしまった。


「ふわぁ……んん」

「やっと大人しくなったか」


 妹を抱き抱えて部屋まで連れていき、ベッドに下ろしてシーツをかけた。それにしても可愛いやつだ。俺は兄というより父親で転生していれば良かったのかも。実年齢大体そんな感じだし。


 だが、もう実年齢が三十過ぎっていうのも変な気がしてきた。誠也だった俺の体とはずっと前にお別れしてる。あの凄惨な最後を思い出すだけで、心の中に吹雪が舞い込んでくるようだった。


 考えてもしょうがない。そろそろ俺も部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、向かい側から手を振ってくる優男がいた。イサック兄さんである。


「やあ、こんな遅くまで起きてるとはね。勉強かい?」

「いいえ。遅くまで勉学に励むほど優等生じゃありません」

「相変わらず擦れているところは変わらないね。でも、幾分優しくなったような気がするよ。どうだい? 久しぶりにチェスでも」

「チェス?」


 え、この世界にあったの? 将棋やチェスは昔ハマったので、今でも多少は腕には自信があった。


「お、その目はやる気だね。じゃあテラスに行こう。あそこで景色を見ながら打ちたいんだ」


 兄に連れられ、俺は久しぶりのチェスに興じることになった。

 そして、まあなんだかんだで勝ちはした。


「あはは。グレイド、君いつの間にこんなに強くなったんだい?」

「負けっぱなしは性に合わない。だから見ていないところで鍛えています」

「奇遇だね、僕もさ。もし遊べたらまたやろうか」


 多分誰であれ、この一言には引っ掛かりを覚えると思う。俺は怪訝な顔をして兄を見つめた。彼はおどけた顔をしているが、どこか影がある。


「レオに頼まれてね。今度北西にあるダンジョンの攻略に行くことになったんだ」

「あの豪放な兄がいれば、あなたは楽でいられるでしょう」

「いや、レオは国王に呼ばれていてね。父上も一緒だけど、今後の貴族達の間で外せないパーティーが開かれるらしい」


 初耳だった。まあ、彼らだけで完結する話であれば、特に俺にまで伝える必要はなかったのだろう。しかし気になるのは、今回二人は別行動になるということだった。


「ダンジョン攻略の日をずらせば良いだけではないですか?」

「ふふ。僕が言ったんだよ。どうしても準備を早く終わらせて、早く攻略するべきだ……そうしなければ魔物が溢れ出て、付近の民に危害が及んでしまう。なんなら僕と部下だけで行くよ、って」


 国は余程の大事にならない限り、辺鄙な田舎のダンジョン攻略などはしてくれない。冒険者を雇うという方法もあるが、依頼が出せないほど経済的に貧しい地区もある。


 そういった所を見つけては、貴族としての義務だとばかりに解決に乗り出しているのがポーン家次期当主だった。だが、流石にもう少し人の調整がつきそうな話だし、多少なら日程をずらしても問題なさそうに思える。


「……不自然ですね」


 イサックは不意に、そのやさしげな瞳に影を落とした。


「僕が知らない間に、君もまた大人になったんだね。誤魔化してもしょうがないか。たまにさ……耐えられなくなるんだよ。兄と一緒に行動することが。わかるだろ?」


 俺は苦笑するしかなかった。確かに、あの堂々たる態度を通り越して、ちょっと傲慢にすら映る男と一緒にいるのは、さぞ心労が絶えないだろう。


「だから、兄とは関係ないところに出て暴れたいのさ。ああそうそう、君のことも考えているみたいだよ。色々と、ね」

「俺のことを?」

「ああ。レオはとことん君を嫌ってる。だから、今後もしかしたら邸から追放することもありえるかもしれない」


 追放か。確かにレオが当主になり、その権力をほしいままにすることになれば、あり得る話だった。だがこちらだって味方がいないわけではない。その辺りも、いくつか対策を考えてはいる。


「あんまり驚いてないね。まあレオだって盤石とは言えない。足を踏み外して転がり落ちることも充分あり得る」

「それは面白いことになりそうですね。例えば、彼は何に躓くのでしょう?」

「彼が成し遂げてきたことが、彼から全てを奪うこともある。一階の部屋に自慢げに飾ってあるアレとかね」


 ダンジョン・ストーンのことか。確かに、いかに人が多くいるからといって、邸の中に誰も忍び込めないわけではない。


 もしあの石が魔具と共に盗まれ、ダンジョンを出現させてしまったら……薄寒い予感に身が震えそうになった。


 細部は説明されていなかったが、ゲーム内でグレイドが学園をダンジョンに変えたのは、間違いなくレオから盗んだに違いない。


 だからあの後、責任を取る形でお家ごと取り潰しになったのだ。


 責任の所在が次期当主であり、悪行を犯したのが三男坊。いかに父ローレンスが名貴族といえど、許されるはずがない。


「グレイド。もし君がレオを憎んでいるとしても、絶対に馬鹿な気を起こしちゃいけないよ」


 そんな俺の心情を察したのか、イサック兄さんは真剣な眼差しを向けてきた。弟より幾分柔和な目からは、どこか悲しげな色が見え隠れする。


 しかしその眼光は、じっとこちらを捕まえて離さなかった。


「……肝に銘じます。ところで、ダンジョンに向かう日はいつなのです?」

「四月二十三日」


 俺は息を呑んだ。運命の日の一日前だ。


「もしかして、心配されちゃってるのかな。大丈夫さ、僕はヘマなんかしない。レオがいなくても、キッチリ役目を果たしてみせる。じゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい、兄さん」


 彼はこちらに背を向けると、軽やかな足取りで部屋へと帰っていった。しばらく夜風に当たった後、俺もまた部屋へと戻った。


 すっかり疲れていたが、一つ気になっていたことがある。

 それはグレイドの日記だ。


 いかにも高級な黒地のカバーに包まれた日記は、ところどころ日付が飛んでいるが、意外とちゃんと書き続けられていた。


 しかし、その内容は怨念に満ちている。どうやらレオが嫌いで堪らなかったらしい。


 優秀かつ立派な兄への怒り……いや嫉妬はすぐに小さな妹への暴力へと変わり、見つけたレオがまたグレイドに怒りをぶちまけるという繰り返しだった。


 だがイサック兄さんのことは、敬愛していると言って差し支えのない表現で書かれている。


 グレイドが辛く惨めな気分になっている時、必ず隣にはイサックがいた。日記は後半に進むほど、二人の兄への気持ちが天と地ほどに差が開いてくのが分かった。

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