第38話 兄の苛立ち

 グレイドがミナと共に邸を出た時、ゼールは教えられた部屋へとたどり着いていた。


 誰かがいる可能性を加味し、ノックをした後、十分な間を空けてからドアノブを握った。


「失礼します」


 入った先にあるのは執務室そのものといった部屋で、とても武器が置いてあるようには見えない。最初部屋を間違えたのかと思ったが、窓から見たインテリアの並びが同じで、何よりこの豪勢さは誤りようがなかった。


「グレイドの奴、僕を騙したのか」


 ゼールは爆発しそうになる怒りを辛うじて抑えていた。ここ数ヶ月、自らが非常に短気になっている自覚がある。


 こちらをからかっていたとしても、ストレートに怒りを見せれば思う壺だ。グッと気持ちを抑える決心を固めると、ふとこの部屋に飾られている品々の特殊さに気づいた。


「これは……ただの宝石じゃない。ダンジョン・ストーンか!」


 この時、彼はいつものストレスなど忘れて童心に返っていた。ダンジョン・ストーンといえばダンジョンを攻略した証であり、たった一つの石が宝石の何倍という価値を持つ。


 色とりどりの輝きを視線で追っているうちに、自然と中央に設置された最も豪奢な石に目が奪われた。


「このサイズ、この美しさ。まさかBランク……いや、Aランクだろうか」


 一見するとサファイアのようだが、大きさも怪しげな輝きも宝石を遥に凌駕していた。


 しかし同時に、この石が持つ力を思うと、彼の背筋を冷たくした。魔道具さえあれば、そして多少の魔法の心得がある人間なら、恐ろしいダンジョンを出現させることができるはずだ。


 ダンジョン・ストーンで生成された空間では、無限に魔物が召喚され続けると聞く。ただ、ダンジョンを生成した張本人は襲われないという不可思議な現象があることも、彼は神話や過去資料で知っていた。


 さらにはご丁寧に、召喚用の魔具も近くに展示されているのである。透明のケースで守られてはいるが、彼には不用心なものに思えて仕方がなかった。


 少しの時間だったが、いつの間にか自分が血のように赤い危険な石を見つめ続けていたことに気づき、ゼールは首を振った。


 危ない危ない。こんなものに魅入ってしまうようでは、僕もまだまだ未熟だ。苦笑しながら庭へと戻った時、すでにグレイド達の姿はなかった。


「やられた……あの野郎」


 その後、ゼールはひたすらにグレイド達を探した。しかしそうそう簡単には見つかるはずもなく、結局は家に帰って妹を待ったのだ。多少は心配だったが、恐らくは問題ないだろう。


 実は妹が何かされないよう、ナイフを携帯するように命じていたのはゼールだった。彼女は嫌がったが、だったらポーン邸に行くのはなしだと言ったところ、渋々従っていた。


 ミナは帰るなり謝罪の言葉を口にしたが、彼は今回のことで妹を責めるつもりはなかった。やったのはグレイドであり、無理やり付き合わされてしまったことは想像に難くない。


 まったく舐めた真似をしてくれる。まあいいさ、次の登校日に目に物を見せてやる。ゼールはしつこく怒りの対象に狙いを定めていた。


 だが彼が持つ怒りは、実のところ力を持てなかった自分自身への感情だった。しかし、彼自身がそのことに気づくことは、今後もないように思われた。


 ◇


 王都より遥か北にある平原で、魔物と人間が激しい戦いを繰り広げていた。戦場を思わせるほど死体が転がっているが、それらの中に人間はいない。


 血を流して現世と別れを告げているのは、いずれも魔物達であった。


「イサック! そっちに行ったぞ」

「オッケー、任せて」


 ポーン家次期当主であるレオは、得意のハルバードを振り回して赤茶けた巨大熊と交戦していた。レッドベアーと呼ばれる、名前のままの凶暴な魔物だ。


 魔石を刃付近に埋め込んだハルバードは特殊な攻撃力上昇効果を受け、ハムのように魔物達を切断していく。


 少し離れたイサックのほうへと向かってきたレッドベアー達は五匹ほどであった。レオの覇気に恐れ慄き、逃げ場を求めて走り去った先に彼はいた。


 戦意を喪失したレッドベアー達は、突然逃げた方向に現れたイサックに驚愕していた。魔法によるテレポートを用いて逃げ場を塞いでいたのだ。


 だが、追い詰められた猛獣達は長く迷うことはしない。たかがひ弱な人間一人、殺して逃げ去ってくれようとばかりに猛然と駆ける。イサックは涼しい顔のまま短い詠唱を終えると、杖を敵に向けた。


 目が良い動物でなければ視認することすら難しい風の刃【エアーセイバー】が、草原と変わらぬ色を纏って水平に飛ぶ。


 赤い魔獣達に刃は見えていたが、まさか自分達を両断するほどのものだったとは予想もしていない。


 あっという間に血飛沫が舞った。人的被害なし、魔物討伐数二百体という破格の戦いに幕が下りる。お抱えの騎士連中が戦後処理に駆け回る中、レオは右腕である弟を労った。


「お前の魔法は、まさしく神業のようだ。テレポートからの風魔法の組み合わせは、敵にとって大いに脅威だな」

「兄さんがいるから、僕はのんびり戦えるんだよ」

「いや、世話になっているのはやはり俺だ。外交にしろ闘いにしろ、優れた助手がいなければ成功は掴めん。父上から正式に跡目を譲り受けた際は、お前にも相応の身分を用意しておく。そして用意した椅子は、座っているだけで高くなっていくぞ」


 跡目を継いだ俺は出世する。だからお前も同じように出世するのだ、そう笑いかける兄に、弟もまた微笑で返した。


「ありがたい話だね。ところで、高くなる椅子はもう一つあってもいいんじゃないかな」

「ほう、お前も言うようになったな。して、誰のことを言っている?」


 弟の冗談か本気かつかない提案に、兄は上機嫌のままで問い返した。


「グレイドだよ。もしかして、本当に考えてなかったの?」


 この一言に、レオはすぐに真顔に戻る。つまらない冗談だとばかりに。


「奴のような男に席は設けぬ。俺の覇道にあのような小物は邪魔だ。自らは決して前に出ず、弱き者にはいくらでも酷い真似をしてみせる。ああいう男になってしまったのは、本当に残念だな」

「でも、最近はすごく変わったんだよ。知らない?」

「知らんな。妹にも手をあげるような下衆の近況など。あいつのことはいい。今日は祝勝会をしてから、父上の元へ帰ろう。国王に献上できる平和な土地がまた増えたのだ。ポーン家はいずれ、大陸初の公爵家になるとお伝えせねばなるまい」


 イサックはやれやれと肩をすくめつつ、兄と並んで馬車へと向かう。


「大陸初の公爵家かぁ。ちょっと飛躍しすぎてない?」

「お前はすぐに考えが後ろ向きになるな。俺が信じられんか?」

「信じてなかったら、今ここにはいないよ」

「素直じゃない奴だ。さて、今日は飲むぞ!」


 豪放さと品性を併せ持つ長男は、自分達が大陸の覇者となることを信じて疑わない。

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