第23話 グレイドとゼール
ポーン家の庭では、誰もが談笑しつつ平和な時間を過ごしていた。
参加者の一人であるゼールは、緊張と不快感の間に心を彷徨わせ、ただひたすらにチャンスだけを待っている。
ポーン家のパーティに家族で参加をしていた彼は、妹が行動を起こすタイミングを見計らっていたのだ。覚醒の儀でミナが勇者としての力を有していることを知っている者は、貴族の間においても少ない。
なぜミナが勇者の力を持つことを知らない者が多いのか。それはゼールの心情を加味した両親が、公の場で周知することを躊躇っていたからである。噂レベルでは街中でも広まりつつあるが、王族や貴族は噂を容易には信じない。
妹の華々しいデビューの場が未だにないことは、兄の責任でもある。だからこそ、今回のパーティを利用しようと兄は考え、両親からも同意をもらっている。
ただ、父と母は二つのことをゼールに約束させた。一つは最終的には妹の意思に任せること。もう一つは、あくまで自分達はこの誕生日パーティにおいて脇役であり、配慮に欠けた出過ぎた真似とはならないよう細心の注意を払うこと。
だがゼールは、そのどちらも気にする必要はないとばかりに、ミナにひたすら宣言をするよう急かしたのである。
「この後はローレンス伯から挨拶がある。そこに乗じて君は壇上に上り、皆に宣言をするんだ」
兄にしてみればチャンスと言えるタイミングではあったが、妹にはそうは思えなかった。
「あの、お兄様。ローレンス様には、事前に許可を」
「このような緩い場で、別に許可なんて取る必要はないよ。勢いが大事なんだ」
「……ですが」
この時、ゼールはミナから拒否の意思を感じ取った。せっかくの機会だというのに。今回を逃せば名前を大きく売り出すチャンスはない。
実際には勇者の力を持つ彼女は遅かれ早かれ有名にはなる。しかしゼールは今、このタイミングでのアピールで頭がいっぱいになっていた。
「ちょっと来るんだ」
「はい」
ミナは嫌な予感がしつつも、兄の指示に逆らわず邸近くの木陰まで歩みを進めた。目立たない場所に来たことで、先ほどまで上品さを保っていた彼の瞳が鋭さを増した。
「僕のアドバイスに疑問を持っているようだね。早くしないと本当に宣言するチャンスがなくなる。分かっているのかい?」
兄は語気を強めるほど、妹は弱々しく首を垂れるようになってしまう。
「でも、やはりしっかりお話は通してからのほうが良いと思います」
「そういう空気じゃないんだって。さっき言っただろ」
「あの、でも」
何をごちゃごちゃと! ゼールの中で怒りが沸騰し始めていた。
彼がここ数ヶ月で生み出した悪い癖である。マグマのように怒りが湧き上がり、自分でも止められなくなる衝動に突き動かされる。
「この程度のことで躊躇うような奴が、世界を背負えると思うのか」
「……で、でも。皆様はあまりそういったご気分では」
「いいからやるんだ! 宣言するくらい簡単だろう!」
ミナにはゼールの思考が、あまりに強引なように思えた。後退りしつつも、首を縦に振ることはない。
「む……無理です。恥ずかしいです」
「お前という奴は、それでも俺の妹か!」
今度ははっきりと拒否した。その事実がゼールの心の鎖を外した。怒りのままに妹の頬に向け、握りしめた拳を振り下ろしにかかる。
だが、体を硬らせて瞳を閉じた妹の顔面にあざができることはなかった。
「何をしている」
氷のように冷たい声が背後からして、瞬時にゼールは振り返った。そして驚きに目を見張った。ミナもまた瞳を開け、意外なその人物の登場に呆然とするばかりだ。
「お、お前は……グレイド」
「何をしていると聞いているのだが」
右腕をがっちりと掴まれたゼールは、身動きが取れなくなっていた。強引に引き剥がそうとしても、細いグレイドの指先には信じられないほどの力があり、容易に剥がすことができない。
「お、お前には関係ないだろ。離せよ」
「まさかとは思うが、この祝いの場で相応しくない行為を働こうとしていたのではあるまいな」
この一言で、冷えかけていた頭がまたしても沸騰した。
「お前に人のことが言えるのか! 離せと言ったんだ!」
無理を押して体全体を強く捻ると、グレイドは自分から手を離した。しかし、その場を離れようとはしない。
「見た顔だな。たしかギガスラック家」
「ふん……よく覚えておけよグレイド。お前は学園でもデカい顔をするつもりなんだろうが、俺達がいる限りそうはならない。悪事を働くことも、これからはできなくなる」
ふっと悪役扱いされた貴族は鼻で笑う。その仕草は挑発でありながらも美しく、ミナはただ見入っていた。
「僕は……僕らは選ばれた存在だ。やがて魔物の出没に喘ぐ世界を変えてみせる。だがその前に、身近な悪党を倒すことからだ」
「面白い。やれるものならやってみるがいい。ただ……二度とここで暴力沙汰は起こすな。いくつもの目があることを忘れるな。お前の家系に治らない傷がつくぞ」
「こ、こいつ……」
ゼールは言い返せず歯噛みをした。
「悔しかったらかかってこい。俺は逃げも隠れもしない。……勇者よ」
振り向きざまに呟かれた言葉は、ミナに対してではなくゼールに向けたものだったが、二人は気がつかなかった。
ミナはこの後、呆然としていた自分を恥じた。兄の鉄拳から身を守ってくれた男に、感謝を伝え損ねてしまったことを後悔せずにはいられなかった。
またこの時、実は後悔という感情以外に、彼女の心に今までになかったものが芽生えていたことは、本人ですらまだ知らないことだった。
妹の変化に鈍感な兄はこの時、決定的にグレイドを悪役と決め、ぶちのめすことを決意する。
三人は三人ともどこかで誤解していた。
そしてグレイドがこの時期ゼールを勇者だと思いこんでいたことは、後々意外な形で学園生活に影響を及ぼすことになる。
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