第19話 ゼールの変化
覚醒の儀を終えた後、ゼールは数日ほど引きこもり誰とも会話をしなかった。
しかし、ある日唐突に彼は復活する。勇者としての力を望んでもいないのに開花させた妹に、こう切り出したのだ。
「確かに僕は勇者となる男ではなかった。しかし、勇者の兄ではある。僕はこの人生全てをかけて、君という存在を導いていくことに決めたよ」
数日ぶりに顔を見せた兄の第一声に、ミナは困惑を隠せなかった。彼女は失意の底に沈んでいた兄にどんな声をかければ良いのか、自らはこれからどうしていけば良いのか、何も答えを見出せずに悩んでいる最中だった。
そんな妹の今後を、兄が率先して決めていく。
元々学力的に優秀だった妹は、飛び級的な扱いで兄と一緒に学園に入学することが決まっていた。
ロージアン王立学園の入学式までは、残すところ半年足らず。妹に華々しいデビューをさせるため、兄はこの半年で鬼になることを決めたのだ。
まずは入学までに、ミナに武芸を教えることが必要だ。由緒正しい家柄と結ばれる為に、淑女としての教育や裁縫、料理に園芸といった分野ばかりを覚えていた彼女は、当然ながら体力がない。
武術と魔法の家庭教師をそれぞれ予約してあるが、まだ授業開始までは日数があった。そこで彼は自分自身がまず最初の教師になることを決めた。
庭で木剣を片手に、慣れない武器を手にしたミナを指導するゼールは、まるで別人のようになっていた。
「なんだその振りは? 小さな子供でももっと速いぞ!」
「す、すみません!」
「なよなよと動くんじゃない! 敵に殺してくれと言ってるようなものだ!」
「あ! は、はい!」
「腰が引けすぎている! お前は戦う気があるのか!」
「きゃあ!」
「簡単に悲鳴を上げるな! 情けないだろうが!」
妹の至らない動きを見つける度、兄は木剣で彼女を打った。次第に彼女の体に痣が浮かんでくるようになると、最初は教育という方向で立ち直った兄、という認識で見守っていた両親が黙っていなかった。
「勇者の力に目覚めたとはいえ、ミナはほんの少し前までただの娘だったのだ。お前がやっていることは教育としては度が過ぎている。あれでは虐待だ」
「顔にも体にもアザを作っているじゃないの。回復魔法で消せると言っても、心の傷は治らないのよ」
両親が必死で止めた時は、流石にゼールも承知して一旦は優しくなった。だが日が経つと、また苛烈な指導が息を吹き返すのだ。
庭で繰り広げられる常軌を逸した彼の指導を見て、メイド達は影でミナを励ましつつゼールを止めようとし、突っぱねられては両親に告げ口をする。
「はぁ……はぁ……」
ミナは大抵の場合、心身に限界がくると泣きながら芝生の上にへたり込んだ。ゼールは軟弱さをなじり、叱責するばかりだったが、妹が本当に壊れそうだと感じると一時だけ優しい声をかける。
「分かってくれミナ。君の力が必要な人々が沢山いるんだよ。僕らはまだ見ぬ虐げられた民の為に、強くならなくちゃいけないんだ。本当は僕の役目だったはずなのに、ごめん。本当にごめん」
「兄様……」
ミナは気がついてしまった。兄は何も立ち直ってなどいなかったのだ。代わりの役割を得ることで、自分が失った以上のものを得ようと必死になっている。
彼女は何度も稽古を辞めたいと思った。でも、きっと自分が放り出せば兄は今度こそ終わってしまうかもしれない。もし自殺などを考えてしまったらどうなるのだろう。
兄との楽しい思い出が頭を過り、彼女は結局は投げ出すことをやめた。両親がたまりかねて兄を問い詰めた時、彼女自身もどうしたいかと問われたが、辞めたいとは言えなかった。
「私は、もう少し練習をしてみたいです。勇者の力を磨いて、世の中の人のお役に立ちたいと思います」
「ほら、ミナはこう言ってるではありませんか。娘の意欲を奪い去ることが親の務めではありますまい」
「なんだと、貴様!」
父が露骨に不愉快な声を上げた。父と息子の関係性にヒビが入り始めたのはこの頃からだ。ミナは自分が苦しむことよりも、家族の和が乱れることを悲しんだ。
一体どうすれば良いのだろう。私は変わっても、ギガスラック家の優しい光は消したくない。だったら鍛えるしかないと、ミナは自分なりに必死に考え、必死に弱い自分と戦い続けていた。
戦いから最も縁遠き少女であったはずの妹は、兄によっていずれは戦火の渦中に放り込まれる。そんな未来を誰しもが予想し、誰しもが恐れた。
やがて武術と魔法の教師が訪れ、彼女がようやくある程度の武芸がこなせるようになった頃、ゼールは興奮気味に手紙を握りしめて駆けてきた。
「ポーン家のパーティに招かれたよ。君も参加するんだ! 貴族達が沢山いる中で、新たな勇者の存在をアピールしよう!」
ミナは目を丸くして固まっていた。人前に出るのが苦手な引っ込み思案の自分には無理だと伝えたが、ゼールは引かない。
かくしてギガスラック家の面々は、揃ってポーン家のパーティに参加することになったのである。
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