第9話 魔法の授業

 朝、俺はひいひい言いたい気持ちを我慢しながらベッドから起きた。


 まったく何だあの教師! いくらなんでもスパルタ過ぎるだろ!


 エリンという、エタソの中でもトップクラスの家庭教師をつけることに成功した俺は、毎日のように剣の練習でしごかれまくっていた。まあ学園に入って災厄の日がくるまでは一年切っているし、望むべき流れかもしれないけど。


 もう彼女から剣を教わって十日になる。最初の頃は話にならない感じではあった俺の動きも、幾分マシになってきたと言えるだろう。っていうか、一昨日あたりから魔法も習い始めている。


 練習中、とにかく集中を切らさなかったことが功を奏しているのか、先生曰くまずまず成長できているらしい。っていうか、魔法のほうはまだ全然なのだが。


 とにかくエリン先生ときたら、最近朝から夕方までうちに居座るのである。忙しいかと思ってたんだけど、意外と暇だったのか。


「はああ……死ぬ。このままじゃ過労死する」


 俺は一度は起き上がったが、すぐにベッドの誘惑に負けて倒れた。このまま今日は眠ってしまおうか、なんて考えていると、ゆっくりとドアが開いた。


 ん? カンタやおばさんメイドが起こしに来るタイミングとしては早過ぎるな。俺は眠ったふりをして、薄目で様子を伺った。


 すると、トテトテトテ、といった足音と共に、メラニーが部屋の中に入ってきた。正直ぎょっとしたが、もうちょっと様子を見てみることにする。


 可愛らしい小さな頭を揺らしながら、でっかい虫眼鏡を持った妹はしきりに俺の部屋を物色していた。


「怪しいモノ、怪しいモノ」


 探偵か何かになったつもりなんだろうか?


 机の引き出しを開けたりしながら、なんか探してるっぽい。やっぱり俺のことを疑ってるんだろうか。子供っていうのはファンタジーを信じがちだし、変に勘が鋭かったりするからなぁ。


 とはいえ、普通は俺がいない時に探すもんじゃない? この子、もしかしてアホなの?


 よし。こうなったら、ちょっとビックリさせてやろう。メラニーはちょこちょこと小さな足どりで、今度はクローゼットのほうへ向かおうとしていた。


 忍足の要領で、ベッドの前を通り過ぎようとしてる。その瞬間!


「アッーーー! よく寝た! む?」


 ガバッと突然起き上がって、メラニーの前に立ちはだかってみた。


「ぴやぁあああー!?」


 予想以上に体を縮み上がらせながら、ちっこい妹は脱兎の如く逃げ出した。その逃げ足の速さたるや凄まじいもので、本当にウサギみたいに速かった。


「ちょっとやり過ぎたかな?」


 しかし、この脅かしはメラニーの恐怖心というより、好奇心のほうに火をつけてしまったことに、後々になって気づくのだった。


 ◇


「では今日も授業を始めます。始めますが、その前に」


 俺とカンタとエリン先生だけでは広過ぎる青空教室。庭でメイドが持ってきた椅子に座って話を聞いていると、先生は後方に設置した黒板に視線を移した。


「今日からはご本人たっての希望により、メラニー様にも魔法の教習を受けていただくことになりました」

「え!? お嬢が! まじっすか」

「ほう……ほう?」


 俺もちょっと驚いた。っていうか、黒板の裏に隠れていたメラニーがぴょこっと顔を出したので、思わず笑いそうになる。


「よ、よろしくお願いしますっ」


 元気よく挨拶をしてみせたその姿。なんだか娘の成長を見ている親みたいな気分になってくる。親戚付き合いもなく、無論子供もいなかった俺だけど、こうしてみると可愛いもんだと感心してしまう。


 そして俺とカンタの間に椅子を持ってきて座ったのだが、やっぱりチラチラとこちらを見上げている。百二十%警戒されちゃってるね、ほんと。


「今日は魔法の教育としては二日目になります。昨日も説明しましたが、魔法を使用するために必要な要素は三つです。まずはご本人が持つ魔力。使用する魔法とご自身の属性の相性。そして魔法に応じた詠唱を間違えることなく唱えること」


 魔法はファンタジーの定番中の定番だ。当然エタソでも登場するわけだが、ちょっとゲームとは設定が異なる部分があった。


 まず、魔力と属性についてはゲームと同じ。魔力は後天的にでも伸ばせるわけだけれど、属性っていうのは生まれつき決まっている。火属性が得意な人は水属性の魔法は使えないとか、そんな感じの相性のことだ。


 上記で挙げた二つは確かに作中でも説明があった。だが、詠唱はゲームの中じゃ出てこない。


「まずは攻撃魔法の基本中の基本。ファイアボールから練習してみましょう。昨日と同じように、最初は私が手本を見せます」


 エリン先生は庭の中央に藁人形を何体も設置していた。その内の一体だけが明らかに百メートルほど離れ、ポツンと立っている。


 彼女は静かに瞳を閉じると、詠唱文字が書かれた魔術書は開かず、黙々と暗記した文字を呟き続ける。静かに右手を頭上に掲げると、徐々に小さな火が姿を現し始めた。


 そこまで早口ではないが、数秒程度で詠唱は終わってしまったらしい。あっという間に小さな火がより集まり、大きな炎の塊へと姿を変えた。


 先生はまるで遠投でもするかのように、勢いよく右手を前に振る。頭上に鎮座していたファイアボールは、まるで草食動物を狙うライオンの如く、百メートルは離れた藁へと飛びかかっていった。


「す、すごーい!」

「うおお! マジ半端ねええ!」


 メラニーとカンタが驚きの声をあげた。藁人形はあっという間に火だるま状態になり、数秒とかからずに灰に変わったのだ。


 これが一般的な攻撃魔法か。剣とか槍とか弓矢で戦うような世界では、かなり強力な武器であることは間違いない。


「はーいっ。じゃあ次、メラニーがやる!」


 元気よく魔法書を両手に持って宣言する娘……じゃなかった妹。いや、なんていうかね。実際の俺とメラニーはお父さんと娘くらい歳の差があるわけで。


「はーい。ではメラニー様。焦らずゆっくりと意識を集中してみましょう。まずは身体中の魔力を高めることを意識するのです」

「高めるって、どーするの?」

「お嬢! 多分気合いっすよ!」

「違います。カンタさんは黙っていて下さい。そうですねえ、まずは瞳を閉じて、イメージしてみましょう」


 あっさりと黙らされるカンタ。俺は熱心に教わるメラニーと、難しいことをなるべく分かりやすく説明しようとするエリン先生の話に聞き入っていた。


「分かったー! じゃあやってみる」

「本当に大丈夫ですか?」

「はい! 大丈夫です!」


 メラニーは返事だけは最高だ。その元気さのままで、魔法書に書かれた詠唱文字を必死に読み始めた。時に辿々しくなり、時に妙に早口になったりするが、とりあえず最後まで読み終えた。


「ファイアーーーーー!」


 同時に両手をいっぱいに広げ、唐突な叫び声をあげる妹に、俺はちょっと吹きそうになった。カンタはさっき怒られたことなんて全く気にしてないようで、メラニーの叫びに盛り上がっていた。


「いっけええ! お嬢ーーーー!」


 出るか!? 五歳にして必殺のファイアボールが!


 すると、ぽふっという音とともに、ふにゃふにゃの火球が空を彷徨い、そっと消えた。

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