第2話 運命の日と夢の女

 なぜゲームの世界に転生してしまったのだろう。

 どうしてよりによってあのグレイド・フォン・ポーンなのだろう。


 ベッドにダイブを決めつつ、この二つの疑問について頭を悩ませていた。


 エタソは俺が十代の頃に爆発的ヒットをかましたRPGだ。以降はナンバリングタイトルが続き、国民的RPGという肩書きさえ手に入れている。


 俺はとにかくエタソが大好きだった。リアルの付き合いで上手くいかなくても、孤独な身の上を全て忘れさせてくれた救世主だった。


 戦略を間違えるとあっという間に全滅するスリル溢れる戦闘。多くのサブシナリオやイベントがあり、他のプレイヤーが手に入れたことがない宝や、一定の条件を満たさないと仲間にならないキャラクターがいたりして、ありとあらゆる要素がてんこ盛りになっていた。


 思えばさっきの馬車のくだりは、初めて悪役貴族と勇者が出会うシーンだったっけ。あの少年が勇者で、恐らく女の子のほうはモブ的な何かだろう。


 奴を見ただけで心が震えてくる。これは俺の怯えか。グレイドの肉体が本能的に奴を恐れているのか。どちらかは分からないが、奴にだけは絶対に気をつけなくちゃいけない。


 なぜなら、グレイドは多くの悪事を働き、最終的には勇者に殺されてしまうことがほとんどだから。


 ほとんど、という表現を使ったのは、勇者が関係せず死んでしまうルートもあるからだ。


 グレイド・ポーンは物語のわりと前半のほうで死ぬ。エタソでは選択肢によってルートの分岐があるが、どんなルートであろうとそれは変わることがない。だからこそ問題だった。


 ふとベッドから起き上がり、日付を確認できるものを探してみる。そういえば、今は何年何月だ?


 確かだったが、主人公とグレイドが出会うのは学園に入学する約一年前だったはずだ。グレイドは十五になる歳であり、勇者も同い年だったと思う。一年後に入学した後は、最初は普通に学園生活を送るはず。


 しかし、グレイドの暴走によって学園全体がダンジョンに変貌してしまう事件が起こる。これによって生徒達はほとんどが死亡。勇者は辛くもダンジョンを破壊し、そしてグレイドを討伐する。


 めでたしめでたし、と思いきや実は黒幕がいたという話になり、勇者は影で糸を引いていた魔王を倒す為に旅立っていくのだ。


 悪役となる貴族についての情報は、そうは多く描かれていない。だが、放っておいても何かが起き、俺は大罪人となって死を与えられてしまう。このまま流れに従って生きていけば、多分そうなるはずだ。


 カレンダーを見つけた。どうやら今日は四月二十四日らしい。そして、嫌な偶然だと考えずにはいられない。


 ゲーム内でどんなルートを辿っていたとしても、グレイドが死ぬ日は今からちょうど一年後、ロージアン暦二十四年四月二十四日だ。


 まるで運命とでも言わんばかりに決まっている。なんだよ。最低な死に方したばかりだっていうのに、またすぐ死ななくちゃいけないのか?


 冗談じゃない。俺は絶対に死にたくないし殺されたくない。ずっと心の中で繰り返しているうちに、不意に眠気が襲ってきた。


 ◇


 今自分は夢を見ている。そう自覚しながら夢を見るということは、極めて稀な現象だと思う。


 奇しくも俺は、その現象を体感していた。

 床とテーブルだけに光が与えられ、周りは真っ暗。まるで演劇のステージみたいだ。


 俺は粗末な木の椅子に座っていた。四角いテーブルで、正面にいる顔の見えない奴とポーカーをしている。全然いいカードがこない。役が揃わずにイライラしていると、背後に誰かがいることに気づいた。


「どうですか? 新しい人生は」


 声の主は、落ち着いた大人の女性を想像させる。軋んだ音がした。恐らく声の主もまた椅子に座っている気がした。想像だが、俺と背中合わせのようになっているのかも。


 ここで背後を振り返ろうとしたが、できなかった。そういう夢なのだと思うしかない。


「どうって言われてもな。っていうかあんた誰だよ。もしかして神様か?」


 俺にしては乱暴な聞き方をしてみた。もしいきなり人の生活を、魂ごとぐちゃぐちゃにするような奴だったとしたら、下手に出る気には到底なれない。


「誠也としてのあなたは死にました。しかし、魂は終わらなかった」


 死んだ、と言われて途端に息が詰まる。もしかしたら全部夢かドッキリで、明日からまた下っ端会社員として働くんじゃないかって、淡い期待を持っていたのに。


「どうしてグレイドなんだよ」

「あなたはもうグレイドとして生きるしかない。一つだけ、アドバイスを」


 質問に女は答えなかった。前世の徳が足りなかったってのか。犯罪はもちろんしてない。人が嫌がることにはとにかく気を使った。そうじゃないと生きていけない社会の底辺、それが俺だった。


「あなたには二つの記憶があります。誠也としての記憶、グレイドとしての記憶。そして誠也として生きてきた人格は、もう心根に染みついている。自然に振る舞えばあなたは誠也なのです。しかし、今のあなたの環境で行うべきではない」

「な……なぜ……」


 ようやく声が出た。掠れた弱々しい問いかけに、背後にいる女はやんわりと答える。


「あなたがグレイドではなく、警戒すべき何かである。あなたの身近でそれを知った時、暗殺を企てる者が現れるからです」


 暗殺……? そうか。確かに死亡ルートの一つに暗殺もあった。


「バレやしないだろ。誰が信じるんだ?」

「魂の入れ替わりは、この世界では全くの世迷言ではありません。信じる者もいます。お気をつけを……」


 すると、後ろで何か布がずれるような音がした。擦れる音とともに、吐息が近づいたのを感じる。こっちに体を向けているのか?


「あなたはグレイド・フォン・ポーンとして振る舞うのです。そうでなければ殺される。何よりも……あなたの体が許しませんよ」


 耳元に響いた声。夢であるはずなのに、どうしてこうもリアルに感じてしまうのか。やがて視界はまたも黒一色に染まり、小鳥のさえずりが聞こえてくる。


「……ちゃん。坊っちゃん! 朝ですよ。起きてくださいよ、坊っちゃん!」


 どうやら朝が来たらしい。あれからずっと眠っていたということか。静かに瞼を開け、声の主と目が合った。


 ……そして絶句した。

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