キーホルダー

 それから翔太しょうたは、約一時間にわたって心臓マッサージを続けた。しかし狼愛ろあが息を吹き返す様子はなく、彼はいたずらに体力を消耗するばかりだった。彼女の胸部を何度も強く押し、彼は人工呼吸も試みた。皮肉にも、それは彼にとって初めてのキスであった。


 そんな彼に迎えが来たのは、まさにそんな時であった。


 一機の大型ヘリコプターが上空に現れ、地上に着地した。

「迎えに来たぞ、杠葉翔太ゆずりはしょうた

 そこに乗っていたのは、正和まさかずであった。


 翔太は彼を睨みつける。

「大佐……!」

 元より狐火軍がICを集めなければ、狼愛が戦死することもなかった。ゆえに翔太の怒りは、眼前の大佐に向けられている。

「乗りたまえ、杠葉翔太。もう白金狼愛が助かる手立てはない」

「だったら狼愛も連れていく! 医務室に連れていくんだ!」

「ふん……無意味なことを。勝手にしたまえ」

 つくづく、正和という男は冷酷だ。狼愛の死を前にしても、彼は一切の罪悪感を抱いていない。

「狼愛! 今すぐ医務室に連れていくからね!」

 翔太は狼愛を背負い、ヘリコプターに搭乗した。その後に続いた正和はコックピットに腰を降ろし、操縦桿を握る。こうして一人の死人を乗せたヘリコプターは、焼き払われた森の跡地を去っていった。



 数時間後、翔太は医務室にて、現実を突きつけられた。

「彼女にはもう息がありません。これも、戦争のために生まれた命が辿る当然の末路と言えるでしょう」

 それが医師からの宣告だ。翔太は医療器具の乗ったワゴンを蹴り飛ばし、激昂する。

「君たちのせいで! 狐火軍のせいで狼愛は死んだんだ! 僕たちは、ICは、誰一人として戦争なんか望んじゃいない!」

「私達も、何も戦争を望んでいるわけではありません。戦争は起こるべくして起き、我々は戦わなければ祖国を守れない……ただそれだけのことなのです」

「納得できるわけないよ……そんなの」

 今となっては後の祭りだ。彼が何を訴えようと、狼愛が戻ってくることはない。翔太は深いため息をつき、その場でうつむいた。そこで彼は、狼愛の手に何かが握られていることに気づいた。

「これは……」

 翔太は彼女の指をほどき、その正体を目の当たりにした。その手に握られていたものは、一個のキーホルダーだった。

「狼愛……最期まで、これを持っていたんだね」

 そう――このキーホルダーは、かつて翔太が買ったものだった。彼はそれを手に取り、ズボンのポケットに仕舞った。それから彼は医務室を後にし、自室に籠ったのだった。



 *



 翌日、彼の部屋を訪ねてきたのは架神だった。

「邪魔するよ。昨晩は、狼愛が死んだらしいね」

 開幕早々、架神は何の遠慮もなしにそんな話を切り出した。当然、今の翔太にその話をする気力はない。

「放っておいてよ……」

「翔太。お前が狼愛を殺したんだ。言ったはずだろう……ICは感情なんか持つべきじゃないと」

「……! そうか。僕は、取り返しのつかないことをしたんだね」

 思わぬ指摘に、翔太はようやく己の罪を自覚した。事実、狼愛は彼を庇わなければ生還していただろう。彼にはもはや、反論の余地などなかった。そんな中、架神は更なる話を進めていく。

「昨日、孝之たかゆきが失踪した。今頃アイツは、ヴァランガ軍の捕虜になっていることだろう。いや、連中が人質を使った交渉を持ち掛けない辺り、アイツはとっくに死んでいるだろうな」

「そんな……」

「お前にはもう、守るべき者はいない。お前の大切な人は、皆この戦争で散っていったんだ」

 当然、二人は孝之が生きていることなど知らない。しかし架神からしてみれば、真実がどうあっても関係ない。要するに、彼は翔太を焚きつけることが出来ればそれで良いのだ。

「許せない……」

「もう一度言うぞ、翔太。俺と一緒に、人類を裁こう」

 そう提案した架神の表情には、底無しの憎しみが籠っていた。

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