笑顔

「よし、出来たぞ!」

 無人島に来てから二日目、翔太しょうたは二本の簡易的な釣り竿を作った。彼はその一方を狼愛ろあに手渡し、河原に赴く。狼愛が様々な角度から釣り竿を見つめている傍らで、翔太は近くの落ち葉や岩をどかし始める。何匹もの幼虫を手に入れた彼は、さっそくそれを釣り針に括りつける。

「見ててね、狼愛」

「了解」

「了解……だなんて堅苦しい言い方じゃなくて良いよ。こう……『オッケー!』とかで良いと思う」

 元より、翔太がここに来た目的の一つは、狼愛に感情を学ばせることだ。狼愛は少し戸惑いつつも、彼に提示された言葉を真似てみる。

「……オッケー」

「良い感じだね。それじゃ、釣りの手本を見せるよ」

 さっそく翔太は釣り針を投げ、それから様子をうかがった。彼は息を呑み、物音一つ立てずに構えている。やがて数瞬の静寂を切り裂くように、強い力が釣り竿を引っ張り始めた。

「今だ!」

 眼前の獲物に応戦するように、翔太は勢いよく釣り竿を引っ張った。釣り針には、一匹の小魚が食らいついている。

「獲れたよ、狼愛!」

「腹の足しにはならなそう」

「それでも、釣れたら嬉しいものなんだよ」

 彼はそう言ったが、狼愛にその気持ちはわからない。彼女は無言で釣り糸を投げ、釣りを始める。感情を持たない彼女は常に冷静であり、それゆえに凛とした佇まいであった。それから数分後、狼愛の釣り竿も振動した。それに気づいた翔太は、咄嗟に指示を出す。

「今だよ、狼愛」

「オッケー」

 狼愛は釣り竿を引っ張り、大物を釣り上げた。それでもなお無表情な彼女に対し、翔太は言う。

「凄いじゃないか、狼愛!」

 無論、それで狼愛が表情を変えることがないのは、言うまでもないことだ。しかし彼女は、着実に変化してきていた。

「ありがとう」

 それが本心か社交辞令かは定かではない。いずれにせよ、彼女の一言には何らかの感情が籠められている可能性があった。翔太は安堵のため息をつき、頬を綻ばせる。

「メタルコメットが壊れていた時はどうしようかと思っていたけど、狼愛と一緒ならここで暮らしていくのも悪くないと思う。怪我の手当ては、せいぜい薬草を塗り付けるくらいのことしか出来ないけど。狼愛は、僕の側にいてくれるかい?」

「迎えが来ない限りは、側にいる。貴方一人では、きっと生きていけないから」

「ありがとう、狼愛。それは、優しさだよ」

 翔太は、狼愛に心が芽生えつつあることを確信した。その自覚のない狼愛は、無機質な表情のまま首を傾げるばかりだ。


 無論、先日の戦いで酷く負傷している二人は、迎えが来ない限り長くは生きられない。否、仮に迎えが来たとしても、ICである彼らは先が短い。生まれながらにして短命であることが確定している二人にとっては、この場所で息絶えることもまた一興かも知れない。


 翔太は言う。

「笑ってごらん、狼愛」

 突然の提案に、狼愛は困惑する。

「どうやるの?」

「僕の表情を真似るんだ」

 翔太の指示に従い、彼女は笑顔を作ってみた。

「こう……かな?」

 無論、それは本心からの表情ではなかった。それでも翔太は、彼女に希望を見いだしていた。

「その調子だよ、狼愛!」

「そうなんだ」

「やっぱり狼愛にも、心はあるんだよ!」

 そう信じて疑わない彼は、屈託のない笑みを浮かべていた。狼愛はいつも通りの表情に戻り、釣りを再開する。釣り針に幼虫を括りつけ、彼女は訊ねる。

「心があるということは、どういうこと? あった方が良いものなの?」

 それはお世辞にも簡単な質問とは言えなかった。翔太はしばし迷い、空を見上げた。

「わからない。でも今は……」

 そう彼が言いかけたのも束の間だった。


 突如、空の彼方から、一機の大型ヘリコプターが飛来してきた。

「見つけたぞ」

 ヘリコプターの機内で独り言を呟いたのは、正和まさかずだ。

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