詩はいらんかね?

[死体よ]

 止めてくれ 死体よ 俺の前でもう死に続けないでくれ

 止めてくれ 死体よ そんなに楽しそうに俺の傍らを横切らないでくれ

 いつからだろう 死体よ お前が俺に近づいてきたのは

 いつからだろう 死体よ 俺の姿が人々の目に薄れてきたのは

 死体よ 俺はお前を見 お前は俺を見るが

 死体よ 人は俺を見ず 俺は人を探す

 死体よ お前は人を見 人はお前に気づくが

 死体よ 俺が人を見ても 人には俺が見えない

 おお 死体よ お前は俺ではない どこから見たって お前は俺ではない

 ああ 死体よ お前は人ではない だが お前は俺より人に近い

 死体よ この狭い人生というゴミ箱の中で 俺の魂は永久に彷徨い続けている

 死体よ この広い宇宙という物理空間の中で 俺の魂は拡散して消えてしまう

 おお 死体よ 俺は確信が欲しいのではない

 ああ 死体よ 俺はお前に焦がれのではない

 違うのだ 死体よ 俺は俺でありたいなどと思ってはいない

 違うのだ 死体よ 俺はお前でありたいなどと思っていない

 死体よ 俺がただひとつ思うのは俺のことではなく

 死体よ 俺がただひとつ思うのはお前のことでもない

 おお あれの魂は跡形もなく砕け散ってしまった

 ああ あれの魂だけが俺を形作っていたすべてだったというのに

 死体よ お前に喪失は無いだろう すでに死を死んでいるのだから

 死体よ だが俺には喪失がある すぐに死ぬには長過ぎる時間が残されてしまったからだ

 止めてくれ 死体よ 俺のことをそんなに優しい眼差しで見詰めないでくれ

 止めてくれ 死体よ 俺にはもうお前に与える涙なんか一滴も残ってはいないのだ

 いつまでだろう 死体よ 俺がお前とともに世の無情を彷徨うのは

 いつまでだろう 死体よ 俺の姿が人々の目に回帰するのは

 おお 死体よ お前はそれを望むのだろうか

 ああ 死体よ お前はそれを望まぬのだろうか?


[ある夜]

 夜がどうどうと鳴った

 海老茶色に垂れ込めた重い雲の上で

 あのジェット戦闘機は何処に向かうのだろう

 俺たちの平和を守るために

 あるいは俺たちの世界を破壊するために

 過ぎ去り 面影もなくなってしまった過去のおかげで

 現在がしゃっくりをしながら疲弊する

 疲れ果て それでも のたうちまわらなければならない現在のおかげで

 未来は杖を付かなければ歩めない

 希望のカケラは夢の架け橋の材料だが

 それはとても脆くて 一発の爆弾か 一本の空対地ミサイルで簡単に壊れてしまう

 その後 再び 正負の局面を持った希望のカケラに還るのだ

 夜がどうどうと鳴った

 その希望のカケラをひとつ/ふたつ/半分持った名もない民衆の上で

 あのジェット戦闘機は何処に向かうのだろう

 かの国の夢の架け橋をまた壊しに行くのだろうか

 それともあの国の夢の架け橋に初めて材料を届けに行くのだろうか


[あの人]

 あの人はいつも都会を愛していた

 おんなのように彷徨って おんなのように声を上げて泣いた

 あの人は出自の村を嫌っていた

 そこではおんなでいられなかったから 狂っても飢えても死んでも生きても男でいなければならなかったから

 あの人はおんなが好きというわけではない

 あの人は男を嫌っているわけでもない

 どうしようもなく己の中に済み付いた 例の価値感が嫌いなだけだ

 原始の昔にヒトが必然として手に入れた あの本能が嫌いなだけだ

 だから あの人の魂は道に迷った天道虫のように都会の昼を彷徨うのだ

 あの人の見目はとても美しい

 あの人はそう考えていないけれど

 あの人の心はたいそう美しい

 あの人は決して信じやしないけれど

 あの人が憧れるのは単純な醜さ

 でも あの人の澄んだ瞳は世の中に複雑な美を見出してしまう

 あの人が憧れるのは素直な凡庸さ

 でも 美しいあの人にそんなものは寄ってこない

 ああ 見るが良い 一疋の猫が あの人に惹かれ 近づいてゆく

 おお 見るが良い 一羽の烏が あの人の心を狙い 嘴を尖らす

 あの人が望むのは茫漠たる無

 でも 人の棲む世にそんなものは存在しない

 あの人が望むのは静謐なる喧騒

 でも 世の誰がそれを生きられるというのか

 あの人はその昔 動物だったのかもしれない

 あの人はその昔 無生物だったのかもしれない

 あの人はその昔 鉱物だったのかもしれない

 あの日はその昔 時空だったのかもしれない

 そのときの記憶があの人の魂を あの人が大好きな都会の昼の中に拡散させ

 そのときの記憶があの人の魂をゆうるりゆうるりと殺していく

 そう今も ゆうるりゆうるりと あの人を殺していく

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日々雑感 り(PN) @ritsune_hayasuki

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