第2話
眩い光が雲間から差し込み、照りつける熱はアスファルトの道路を熱していく。その暑さに道端を歩く人々は、路傍に咲く花にすら悪態をつくように歩みを進める。その途上に冷房の効いた店があれば、一休みがてら入店してくる人は少なく無い。
一人、また一人と喫茶店内に入ってくる度に、心地よい温度に保たれている空気を取り入れる為に大きく呼吸する。店員の案内に従ってテーブルに着き、持っているハンカチで額の汗を拭い、メニュー表から注文を取り付ける。
店内に漂うコーヒーの香りを、心地よく流れるクラシックを、外界と切り離された日常を過ごしていく。
ミサキは、彼らが嗅いでいる香りも、聞こえてくるクラシックも、外界と切り離された日常も、同じ場所で感じている筈なのにまったくの別物だと認識していた。
(いや、正確には私と同じモノを感じてる人はいるんだけど……)
そう思い、目の前のアヤカを見遣る。
アヤカは目を
(雰囲気は大人びているのに、性根は子どもみたいなんだよな)
実はアヤカの行動には深い意味があり、自分の考えや取り乱していた心を整理させているのかと思案したが、ミサキは栓無き事と思い、椅子の背もたれに身体を預ける。
天井に取り付けられたシーリングファンに何度目か分からない短い溜息をつきながら。
「ミサキちゃんが注文したソレ、店員さんにはウインナーコーヒーにちゃんと見えていたみたいだね」
先ほどアヤカが飲んでいたウインナーコーヒーは、アヤカがミサキの目の前にあるモノを、指をさして注文した際に提供されたものだった。
この喫茶店のウインナーコーヒーが、ミサキの目の前にあるモノである可能性を考慮してアヤカは注文していた。
「私と同じモノが出てきたらどうしていたんですか?」
「七日間もかけなきゃ世界を創造できない神様の愛弟子から卒業かな」
「アヤカさんは弟子を卒業する前に、先ずは
──これ以上インスタント感覚で面倒事を増やして欲しくない。
目の前で唇を尖らせている神様の愛弟子に、ミサキは祈らずにはいられなかった。
「そういえば、そのカップの異世界には住人っているのかな」
アヤカは手に持っているスプーンでミサキのコーヒーカップを指しながら言った。
ミサキは目の前にあるカップの中身に目を向ける。カップの縁に触れないくらいに大きい苔のようなモノが中央に鎮座しており、カップの縁と大陸の周りの隙間を埋めるように黒色の液体が満ちている。苔の表面は所々剥げて茶色の部分が見えていれば、小高い丘陵が盛り上がっており、その上を白い雲のようなモノがうっすら霧がかっている。
茶色い大地と思わしき所に規則的に点が並んでいるが、それが何を意味する物かを把握するにはあまりにも小さい。
しかし、ミサキにはそれらが何を意味するかを既に知っていた。
「居るとおもいます。見た目はただの大きな苔ですが、カップのどこかに手で触れると、この世界で生きている人々がどのように生き抜いてきたのかを感じ取る事ができました」
「へぇ、それならちょっと失礼して」
そう言って、アヤカはテーブルから身を乗り出し、爛爛と目を輝かせながら両手で包み込むようにカップに触る。
(これで少しは真面目に異変と向き合うかな)
ミサキは今度こそアヤカと今回の異変に同じ向き合い方が出来ると期待していた。
「うーん、私には何も感じ取れないかな」
その言葉にミサキはアヤカと徹底的に同じ感傷を共有する事はないのだろうなと確信した。
ミサキはアヤカがカップの異世界の住人を感じ取れない事に意気消沈するかと思っていたが、アヤカは特に気にする事もなく元の椅子に座り直していた。
「もう少し残念がると思いました」
「カップの中の住人とは生きるステージが違うからね」
アヤカは微笑みながら答える。
「……私は所詮カップの中の小人ですよ」
「卑下させる為に言った訳ではないよ。実際生きるステージが違うっていうのも間違いじゃないだろうからね」
そういいながら今度は真っ白な歯を見せるように笑う。
もし冗談か本音かを、表情で見分けられるならば今すぐに教えて欲しいとミサキは思うが、それすらも手の平の上で遊ばれるのだろうと諦めもついていた。
ひときしりアヤカが笑っている間、ミサキはこれからの事を考える。
このカップの異世界をどうすべきか。このままミサキが店内を出れば店員にカップの中身を廃棄処分されてしまう。かといってミサキがカップの中身を飲み干す事は一番やりたく無い。カップの中身だけを持ち帰るという事もよぎったが、このカップを激しく動かす事や別の器に移す事で生じる異変に責任をとれる自信も無い。
堂々巡りを続けていた時に、いつの間にかアヤカが目の前に現れていたが、結局この堂々巡りを解決する手段は未だに見当たらなかった。
「ミサキちゃん、自分で考え込むのも良いけど、もっと助けを求めても良いんじゃ無いかなってお姉さんは思うよ」
「いきなりコーヒーカップの中に異世界がありますって言われたら、どう思われるか分かりますよね」
「愉快な人は発想も痛快なんだなって思うかな」
「アヤカさんのような爽快な人で豪快な考え方は尊敬しますが、今回は常識の範囲で考えて下さい」
アヤカは両腕を組んで満足げに頷く。爽快な人で豪快な考え方のワードが気に入ったのかブツブツと繰り返し唱えている。
「常識的に考えたら話しを聞く人間が一般人からお医者様になるくらいかな。でもそれは常識の範囲っていう狭い範囲の話しだろう?こんな異常現象を目の前にして、常識的な範囲の話しは何か力になれるのかな」
アヤカが言いたい事はミサキにも理解できた、理解出来るからこそ納得は出来なかった。
「私の知り合いに異世界に行った事がある人がいるなら助けを求める事もあったと思いますが、残念な事に誰からもその話しを聞いた事が無いので、私は常識的な範囲でしか相談出来る相手がいません」
相談できたとしても「お前は常識外れの人間だ」と、暗に示すような事はミサキには出来なかった。
「一目見て、二口言葉を交わしてから思ってたけど、ミサキちゃんって結構頭硬いね」
アヤカがきょとんとした表情で口を開く。ミサキはアヤカから、お前は何を見て何を感じてきたのかと、問うような目を向けられているような感覚に陥った。
「ア、アヤカさんなら助けてくれるってことですか?」
「いやいや、私がミサキちゃんを助けるなんて無理難題だよ」
バツが悪いように、頭をかきながらアヤカはミサキから目を逸らす。
「あの、話しが見えないというか、だったら私は誰に助けを求めたらいいんですか?」
「助けを求めるというか……答えはすぐそこにあるんじゃないかな」
アヤカはいつものように頬杖をつき、もう片方の手から流れる細長い白い指先で指し示す。ミサキはその指先で示されている方へ、誘導されるように追いかける。
「もしかして、コーヒーカップ?」
アヤカの指先はミサキの目の前に置かれているコーヒーカップを指し示していた。
「ミサキちゃんはカップの中の住人の感傷だけでなく、他にも色々分かるんじゃないかな」
「ど、どうしてそう思えるんですか!?」
アヤカはさも当然のように答えるが、ミサキはどうしてその考えに行き着けたのか理解できなかった。
「ミサキちゃんが触れるだけでカップの住人の感傷が分かるなら、文字通り手に取れば、手に取るようにカップの世界を理解できるんじゃないかなって」
あっけからんとアヤカは答える。しかし不思議とミサキは、アヤカが言った言葉がストンと腑に落ちるように納得できた。
「それにコーヒーカップの範囲は常識的な範囲よりも倍以上広いのだから、求める答えは簡単に見つかるんじゃないかな」
アヤカは誇る事もなく、呆れる事もなく、ただミサキを真っ直ぐ見つめた。
ミサキはアヤカの見透すような大きな目に一瞬狼狽えるが、直ぐに視線を交差させた。
「アヤカさん、私の事ってどう思いますか」
「愉快で痛快な人かな」
「私はアヤカさんの事を爽快で豪快な方だと思います」
その言葉にアヤカは今まで見てきた中で一番の笑顔を見せる。
「私たちはこれから仲良くなれそうだね」
──変化は尊いものだ
ミサキはアヤカが言った言葉を身に沁みて体感しているのだと、アヤカの言葉を反芻した。
「その為にも、まずはこの異変を解決しませんとね」
ミサキは真っ直ぐにコーヒーカップの中で広がる異世界とアヤカと対面する。これからどう向き合うかは何も分かっていないが、もう巡る事はなく真っ直ぐ答えに向かえる事は確信を持っていた。
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