ウインナーコーヒーと異世界ドリップ 第一章完

@Hanafarm

ウインナーコーヒーと異世界ドリップ

第1話

 喫茶店の規模は中の下でも、店内の雰囲気や客層によって滞在する楽しみは大きく変化する。

 店内に漂うコーヒーの香り、流れてくるクラシックの曲、他の客同士から聞こえる歓談も、この喫茶店を彩る要因として成り立っていた。

 人が入ればコーヒーやサイドメニューが売れ、それらを嗜みながら1つの生活に豊かさを与え、その評判から更に人が入るようになる。


 そんな好循環の見本市のような喫茶店は、この夏の時期で更に勢いを増しているのか、様々なコーヒー豆やサイドメニューの種類は溢れるように増え、それを楽しみに来る中年期の女性客、たどたどしい会話を繋げている学生カップル、休憩所として使っているサラリーマンなど様々な人が滞在していた。


「君はコーヒーを飲む訳でもなく、目の前のお姉さんに見惚れる訳でもなく、店内の雰囲気を見て回るのが趣味なのかしら?」

 テーブルを隔てて目の前に座っている亜麻色の髪の女性は、肩までかかった髪の毛先を指先で弄りながら、そう言って小首をかしげた。


「繊細な味の良し悪しが解るほど知識や経験はありませんし、初対面の人をまじまじと見るほど度胸も無いです。それに、今は気にかかる事があるので」

 女性の対面に座っている黒髪の少女は一息で言い放ち、胸の前で腕を組み、目を閉じ思慮に耽るようにポーズをとる。このテーブルから離れられない事情から、心理的に距離を離すように拒絶する意志を見せる。


「そんなに警戒しなくてもいいのにね、私達は同じ現象に巻き込まれている同士……被害者……被災者なのだから」

「……なんでちょっと楽しそうなんですか?」

 少女は組んだ腕を解き、今度は祈るように両手を組んで肘をテーブルに置き、寄りかかるように額を両手に乗せる。


「目に見える変化というのは尊いものだからだよ」


 女性は自分の目の前にあるコーヒーにミルクを注ぎ、ティースプーンでゆっくりと回しながら言った。黒色で満たされていたコーヒーカップの中に、白い液体を渦巻のように形取っていく。


「変化した結果も重要だけど、変化するまでの過程があるからこそ尊いものなんだろうけどね」

「もし私の前で起きた異常現象が変化だとしたら、私は過程を見ることも無く結果だけ見せつけられているんですけど」

 少女は行き場の無い苛立ちを対面の女性に向けてしまう。この苛立ちを女性に向ける事が間違いだと少女は理解していながらも、少女の気持ちは溢れ出るように口から出てくる。


「君は見れなかったんじゃなく、見ないようにしてたんじゃないのかな。今みたいに」

 少女はその言葉に反射的に反応するように目線だけを瞬時に上げる。女性は左手で頬杖をつきながら目線だけを少女に向け、右手では未だにコーヒーカップに入れたミルクを混ぜ合わせ続けていた。そこに白い渦巻は既に無く、茶色の液体となっている。


「やっと目が合ったね」

 女性は少女が此方を見ている事を確認すると、混ぜる事を止めて椅子に深く座りなおし、真っ直ぐに少女と向き合う。女性の一つ一つの所作に少女の目線が付いて行き、女性と目線が合った少女は思わず目をそらす。


「私は君の敵では無いのだから、仲良くしてくれると嬉しいかな。そうだ、挨拶をする時はまずは自分から名乗りをあげなくてはいけないんだよね?」

「大昔の戦場の約束事を現代の日本に照らし合わせないで下さい」

「第一印象が勝負って言うくらいなんだから、その位の気概があっても良いと思うのだけれど」


 女性は人差し指を自らの頬に当て、目を閉じて「うーん」と呻っている。先程迄の大人な雰囲気とは打って変わって、謎のこだわりを見せる女性に少し親近感を感じた少女は組んでいた両手を解き、真っ直ぐに女性と対面する。

 

 肩までかかる亜麻色の髪に、ロゴ入りのTシャツにデニムジーンズのシンプルなコーデ、それらが引き立っていくように端正な顔がころころと表情が変わっていくのを見ると、少女は自分との容姿の差を如実に感じてしまった。


「私の事を見たり見なかったりするけど、どう?私の事が少しは気になってきた?」

「良い意味でも、悪い意味でも気にはなりましたね」

「そっか、こんな状況だし、少しでも距離を縮められたのなら嬉しいね」

 そう言って女性は手元のコーヒーをゆっくりと飲み始めた。


「私の事はアヤカって呼んでくれないかな」

コーヒーを一口飲んで、アヤカはポツリとそう呟いた。今までの大人びた雰囲気や、変なこだわりを見せていた時の表情とはまた違う、目を少し細め、憂いを帯びた空気を纏っていた。


「わ、私はミサキって言います」

 アヤカのいきなりの自己紹介に釣られてミサキも自分の名前を咄嗟に口に出す。いつもなら挨拶にフルネームを名乗るか苗字だけを答えてきたのに、アヤカの空気感に流されて名前だけの自己紹介になってしまう。


 二人の歪な自己紹介を交わした後に静寂の時間が流れる。先程とは打って変わってアヤカは口も開かずに黙々と手元のコーヒーを飲んでいる。ミサキは目の前のアヤカを見ていると店内に流れるクラシックの曲や店内に居る人々の会話も遠く感じるようになっていった。


「そろそろ今の状況を整理した方が良いかな」コーヒーカップをソーサーに置きつつアヤカは言った。

「整理する前に一つ聞いてもいいですか?」

 ミサキの問いにアヤカは小首を傾げて答える。この人は自分の見た目の良さが分かっているからそんな仕草が出来るのかと、もし分かっていてやっているのであれば、世の男性達を魔性のごとく振り回しているのかと嫉妬に近い羨望をミサキはアヤカに向ける。


「もしかしてアヤカさんは今回のような異変に巻き込まれた事があるんですか?」

「どうしてそう思ったのかな?」

「直観ですが、今回が目に見える変化とおっしゃっていたので、目に見えない変化に巻き込まれた事があるのかなって」

「ミサキちゃんは面白い事を言うんだね。目に見えない変化に気付くなんて難しいじゃないか」

 目を細めてクスクスとアヤカは笑う。しかし、その目はしっかりとミサキを捉えている。見定めるように、値踏みするように。


「ミサキちゃんの言ってる事は正しいよ。目に見える見えない関わらず、私は異変に巻き込まれ続けるのだよ。きっと星の巡りが良かったんだろうね」

「星の元に生まれた訳じゃないんですか」

「私は星から星に旅しているからね、宇宙に漂うタンブルウィードみたいなものだよ」

「せめてもう少し神秘的であって欲しかったですが、分かりました。」

 ミサキは短い溜息を一つついてこれ以上の追求は避ける事にした。アヤカが何を知っているのか、何を経験してきたのかは気になるが、煙に巻くような話し方からそれ以上の何かを得る事は難しいと判断したからだ。


「それでは今の状況を整理してみようか」

 アヤカはテーブルの上に半身乗り出すようにグイッとミサキに近づく。アヤカの真っ直ぐ見つめてくる目にミサキは少したじろぐ。


「君の目の前にあるは私の常識ではあり得ないものだが、それは君も同じだよね?」

「はい……ネットで検索にかけてもこんなものはありえません」

「ただのイタズラにしては手が込み入ってるよね。……もしかしてミサキちゃんって此処の喫茶店から札付きだと思われて」

「いません!初めて入ったお店です」

 ミサキは思わず声を大きくして反論する。店員も客達も何が起こったのか神妙な面持ちで一斉にミサキの居るテーブルの方に振り向いてくる。店内の殆どが同じような表情の中、唯一アヤカだけがケラケラ笑っていた。


 アヤカが片手を上げ、横目でチラリと店員と客達の方を見やり「うるさくしてゴメンなさい〜」と一声掛けるだけで、何事もなかったかのように彼らは元の生活に戻っていく。


「ゴメンゴメン、そんなに怒るとは思わなくてさ。冗談を言ってる場合じゃあなかったよね」

「あ、いえ、ごめんなさい。冷静さを保とうと思えば思うほど目の前のに焦ってしまって」

「そうだね、でもミサキちゃんはこんな異変に遭うのも初めてなんだ、今の今までパニックになってないだけでも良く頑張っているよ」

 アヤカは柔和な笑顔をミサキに向けるが、ミサキは目を逸らしてしまう。ミサキは同性であっても美人からの笑顔をそのまま受け止められる程の器量が無いと自己嫌悪に陥る。アヤカのこちらを見透かすような大きな目がなにより苦手なのだと。


「話しが逸れちゃったね。ミサキちゃんは今日この喫茶店でお昼ご飯を食べた後にを注文したんだよね?」

「はい、食後に飲むものとしては少し合わないとは思いますが、メニューを見て気になったので注文しました」

「それがか……。名は体を表すならこれ以上ないんだがね」

「そうなんですか?字面だけで考えたらそれっぽいですけど」

「それも常識外れで面白いけどね」

 アヤカは先程ミサキに向けた柔和な笑顔ではなく、くしゃっとはにかむ様な笑顔を浮かべる。今までの笑顔と違い、この笑顔こそアヤカ本人の自然な笑顔なのだと、ミサキは短い付き合いながらもそう感じ取る。


「ふふ、ミサキちゃんはウインナーコーヒーの由来って知っているかな?」

 アヤカは深呼吸してからミサキに尋ねた。しかし、ミサキが喋った事が尾を引いているのか、アヤカの口の端は釣りあがっていき、その肩は少し震えている。どこか真剣味に欠けるアヤカを前に、ミサキはまた短い溜息と共に頭を横に振る。


 ミサキがウインナーコーヒーの知識として知っているのは、メニューやネットの写真に載ってある、カップの中に満ちたコーヒーの上に泡立てたクリームを乗せた見た目だけだった。


「オーストラリアの首都がウィーンって所なんだけどね、その地域発祥のコーヒーって事でウインナー……ウィーン風コーヒーというのが名前の由来なんだ」

 アヤカはそう言いつつ、携帯のウインナーコーヒーの検索画面をミサキの前に見せた。そこにはウィーンの観光名所と共にウインナーコーヒーの由来を紹介していた。


 アヤカは未だにはにかんだ笑顔のままであったが、反してミサキの表情は青ざめていく。名は体を表すという発言の意味を理解し、ミサキの目の前に置かれているコーヒーカップの中をまじまじと見やる。


「実際のウィーンに何か異常があったっていうニュースは流れてないんだ、ならば、ミサキちゃんの目の前にあるは文字通り、意味合い通り、ウィーン風なんだろうね」


 ミサキはアヤカの言葉が最後まで聞き取れているか自分自身にすら分からなかった。

 今日は喫茶店に昼食を食べに入り、食後にウインナーコーヒーを飲もうとしただけだった筈なのに、どうしてこんな物がテーブルに出されるのだろうか。今日何度目かの自己の問い掛けをミサキは繰り返す。


 そのカップの中には小さい大陸と懸命に生きている人々が満ちていた。

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