16 忘
――今、何処にいるの?
――今は、ここにいるわよ。でも少し前は港にいた。
元カレは昔も今も体力があるわけではないので、わたしが全体重を無造作に預ければヨロッとする。が、昔と比べて体重が増えたせいか、その『ヨロッ』に不安感はない。過去のあの日々、わたしは体力的には頼りない元カレとともに同じ生を生きたが、同時に横にはいつも深い奈落を持つ。意識しようと、しまいと、それはそこにあって、且つあり続ける。だから時折、わたしはその暗い奥を覗き込む。ほとんど何も見えないが、奈落の底を凝視することで、心にわずかな安堵を得る。そこにあるものを自分の目でしっかりと確認することで、恐怖を抽象から具象に摩り代える。精神から物体へと引き摺り降ろす。
忘却は完遂できなければ、却って恐怖を増大させる。
Lethe(レーテー/レテ)川の水を飲んですべてを忘れるには、まず黄泉の国に行く必要があるのだ。いや、現存するスペイン・リミア川の水でも用は足りるか? 本当にそれを信じるならば……。アラスカ州にも万煙谷を流れるLetheがある。詩人のウォルター・サヴェジ・ランドールは ”On love, on grief, on every human thing, Time sprinkles Lethe's water with his wing.“と詠い、ゲーテは『神曲』内でLetheの源流をエデンの園と規定する。エドガー・アラン・ポーも “Looking like Lethe, see! the lake/A conscious slumber seems to take,/And would not, for the world, awake.” と詠い、ボードレールも、ラマルティーヌも、スウィンバーンも、エドナ・ミレイも、フェントン・ジョンソンも、シルヴィア・プラスも、アレン・ギンズバーグも、ビリー・コリンズも、シャーロット・ターナー・スミスも、バイロンも、己の詩中で何がしかLetheについて言及する。小説の方では例えばナサニエル・ホーソーンが『緋文字』に引用し、戯曲でもウィリアム・シェイクスピアやジョン・ウェブスターが活用する。セーラ・ルールのEurydiceではLetheが劇の中心テーマとなっていて、すべての死霊はLetheの水を飲んで石に変わり、声なき声で話し、この世のすべてを忘れるのだ。
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