第五話:変態がいます。多分変態だと思います。

 どんなにボロボロでも。へとへとでも。

 受付嬢さんが笑顔で迎えてくれれば、それだけでほっとして。


「ほら。さっさと行きましょう。いけませんよお、童貞なんて」


 にっこり。と。

 今まさに、受付嬢さんは笑っていてくれているのに。

 どうにも僕は、これまで感じたことのない怖気が背筋に走るのを感じていた。


「い、いや……なんで……? とりあえず朝までかくまってくれればそれでいいんだけど……」

「ダメです! この場合は原因を排除してしまう方が有効です!」

「原因? いや、確かにこれは僕自身が原因とも言えるけど……え、僕って始末されるの!?」

「とんでもありません! 勇者さんの身の安全は保証します! ……ですが、その勇者さんが童貞なのがいけないのです!」


 いけないのか。童貞。

 どうしよう。そんなこと言われたことなかった。これまで受付嬢さんにはいろんなアドバイスを受けてきたし、助けられても来たけれど、そんなアドバイスは記憶にない。

 もう少し早く教えて欲しかった。そんなにいけないことだったのかよ。

 なんだか無性に情けなく、悲しくなってきた。


「あ! 何か誤解されちゃいました……? 要するに夢魔サキュバスが言っていた魔王復活計画についての話です。確かに半神半人である勇者さんの精子には、かなり強力な理力が宿っていますが……それだけでは、魔王復活の条件を満たすほどではないと思われます」

「え。じゃあ僕が襲われても魔王は復活しない?」

「はい。ただし。『勇者さんが童貞でない場合』に限ります」


 僕が童貞でなければ、魔王は復活しない。

 つまり、僕は童貞なので……やはり魔王は復活してしまうのか。


「厳密には『純潔』であることですね。処女の血がそうであるように、童貞の血も魔術的に貴重な素材なんです。そして精液は元より人一人生み出す力が宿っているので……それら条件が掛け算的に重なった『童貞勇者の精子』はかなり強力な素材なんですよ」

「ええ……」

「あ、純潔というのはあくまで肉体的なお話ですので、妄想したりお一人で楽しむだけなら大丈夫ですよ。というか……精通はしてますよね? 勇者さん?」

「そりゃあ、まあ……14歳の時……」


 口が滑った。

 いろんな情報をまくしたてれて混乱状態だったこともあるけど、わざわざ自分からそんなことを言う必要もなかったろうに。

 しかしそれを聞いた途端、受付嬢さんは目の色を変えた。

 ネコ科の肉食獣のように、らんらんと輝き始める。


「あら。勇者さんの精通はちょっと遅めだったのですね……? え? 待って!? じゃあウチの店に来たのは12歳の時だったから、その時は精通まだだったんですか!?」

「え、いや、ええと、その……」

「もったいない……!」


 僕の耳に、受付嬢さんは唇を寄せる。


「いいえ、魔術的には精通はそこまで重要なことではないのですが、むしろ未成熟であるが故に理力が不安定で扱いにくいのですが、私の気持ちの問題としてはそれこそを大いに楽しみたかった……そんな後悔を止めることができません……」

「あの、受付嬢さん?」

「もちろん知っています。あの日から勇者さんは王女殿下を慕っておられますし、第三者がそこに手を出すのはいけないことと思ってました。けれど言われてみれば、騎士さんの言うことにも一理あります。経験がないってことは相手を傷つけるかもしれないってことですよね。それは避けなければいけませんよね。確かに合理です。それならば。それならば! 昔から勇者さんをサポートしてきた私こそが適任でしょう。私はこの通り陰キャの喪女なんで心配されるような家族や恋人はおりませんし、後腐れなくヤリすてて構いませんから! まあ私も初めてなんですけど、それはたいした問題ではありませんよね? ね?」


 耳元で、囁くように、注ぎ込まれるように、一息で言われた。

 それほど大きな声でないにも関わらず、情報量で深刻なダメージを受けている。脳髄を揺らされて、目が回る。


「安心してください。もし勇者さんの子を孕んでしまったとしても、後で認知しろとは言いませんから。責任を持って私が育てます。むしろ。無責任に私に乱暴する勇者さんが見てみたく……」


 ああ。ダメだ。これは話が通じない。

 受付嬢さんは僕を見ているが、微妙に焦点があってない。何が原因かはよくわからないのだが、妄想が暴走してしまっているらしい。

 それは彼女なりの気遣いで、先回りで、心配性で。確かに美点だった。だからこうした『少々過激な妄想癖』には、みんな見て見ぬフリをしてやり過ごしていたのだけど。


「逃げるのですか? 勇者さん?」


 ぐいと、僕の瞳を覗きこむ受付嬢さん。

 ともすれば、そのまま飲み込んでしまいそうな暗い瞳が、まるい眼鏡の向こう広がっている。


「逃げるなら、大声出しちゃいますよ? 勇者さんは素っ裸で、ゴミだらけで、おまけに武装してますね? 誰かが来てこの状況を見たら、どんな『誤解』が生まれてしまうでしょう?」

「……!」

 

 人目を避けていたのが。裏目に出た。 

 表から入っていけば、まあ変態とは言われようとも事情を説明することはできた。しかしこの状況で受付嬢さんが人を呼んでしまうと、明らかに状況がこじれる。

 実際に貞操の危機に晒されているのは僕の方だが。それを信じる人間などこの街にはまずいないだろう。


「ささ。おとなしくしてください。誰にも見つからないように、屋根裏部屋に連れて行ってあげます。私もしばらくお休みを貰わなくちゃ」

「……っ!」


 確かに。

 このまま受付嬢さんの言うとおりにしていれば、僕の安全も街の平和も保たれるし、夢魔サキュバスたちの計画も崩せるだろう。

 彼女が僕に、間違ったアドバイスをしたことはない。いつも正しく、僕を導いてくれていた。


 しかし。

 やはりこれは違う。こんなことは間違っている。

 だから僕は、思い切り息を吸い込み、胸を膨らませた。

 

「火事だ! 燃えているぞ!」


 突然の大声に、受付嬢さんが驚き、拘束が若干ゆるむ。

 僕はそのスキを逃さず、体を捻るように回転させて、受付嬢さんから離れる。


「ゴミが燃えている! すげえ燃えてる! 水を持ってきて早く! 【砂嵐】が使える人がいるならそっちもいいかも!」

「ゆ、勇者さん!?」


 大声を出して。人が来れば。この状況は明らかに『誤解』を生む。

 しかしそれがどうした。

 僕がこの場から脱出するには、こうして拮抗状態を崩すしかない。人を呼び寄せ、状況が混乱しているスキをついて逃げるのだ。


 故に僕は踵を返し、再び壁を伝って屋根へと上がった。

 キッチンから騒ぎを聞きつけた店員や冒険者が集まってくるが、呼んできた声が『男』だったために状況把握が遅れている。


「ど、どうして……勇者さん……」


 屋根を跳んで逃げていく僕を見上げながらも、受付嬢さんはその場でへたり込む。

 だが、そのまま崩れているだけではない。

 メガネの位置を両手で直し、集まってきた冒険者たちに伝える。


「冒険者のみなさん! 緊急の依頼です! 『婦女暴行』と『放火未遂』を起こした勇者さんを、至急『捕縛』してください!」


 もうダメだ。

 これで魔族のみならず、人間からも追われる身となってしまった。

 もはやこの王都そのものに安全な場所が存在しない。隠れてやり過ごすにも、この都市で冒険者から逃げ切るのは至難だ。


「いや、むしろそれだけ騒ぎが大きくなっているなら……」


 市街地に魔族が現れ混乱している状態ならば、市民たちは王城へ避難しようとするハズだ。近衛騎士団も出動し、市民の避難誘導に駆り出されているはず。

 つまり今なら、城門は開いているとみて間違いない。

 

 であれば。この混乱をすり抜けていけば。後宮にある王女の所まで辿り着けば。まだ僕は助かる見込みがある。

 王城へ続く大階段を上り、城門を抜け、さらに石壁を這うツタを登って庭園に侵入し、水路を抜けて後宮まで入り込むルート。

 かつて僕が利用した『侵入経路』がそのままなら、誰にも見つかることなく王女の元へ辿り着くことができるハズだ。


 そうなれば、向かうべきは街の中心にある大階段。


「ユウシャハッケン! ユウシャハッケン!」

「そこか! でかしたぞ山田ァ!」


 しかし鐘楼の上から、巨大な目玉を持つ魔法生物が僕を見つけて、魔族たちに位置を知らせていた。すぐにそれを聞きつけたハーピィや鴉天狗が、僕を上空から強襲する。


「往生しいやあ! 勇者ァ!」

「コケ―! コッココココココケ―コッコ!」

「どうでもいいけどさあ! いくらなんでもキミ達言動が物騒すぎない!?」


 ハーピィが爪で振り下ろしてくるのを、僕は背を反らせてブリッジ回避。さらに鴉天狗が羽根を投げ矢のように飛ばしてくるのを、聖剣を空中で回転させることで弾き飛ばす。

 呼べば応える解答者アンサラーは、わざわざ手で握らなくても自在に操ることができる。

 しかし、もはや屋根の上で戦い続けるのはこちらが不利だ。僕は屋根からは飛び降りて、意を決して大通りを疾走する。


「変態だ! 全裸の変態が走ってるぞ!」

「いや、アレは勇者だよ! 『知恵の実』の風聞ニュースで見たことある!」

「なんで勇者がフルチンなの? ていうかちょっとゴミ臭くない?」

「バッカお前RTAは裸でやるのが基本だろ!」

「おうがんばれよ変態の勇者! 記録更新期待してるぜ!」


 なんか勝手に勘違いされて見当違いに応援されてる……!

 とはいえ、巻き込まれたくないのか何なのか、市民は勝手に脇にどいてくれる、こちらとして走りやすいしとても助かる。

 あとは、大階段まで辿り着ければいいのだけど。


「魔王様復活のためにぃー! 勇者を生け捕りにせよー!」

「いたぞ! 勇者を確保しろ! 受付嬢さんを襲おうとするとはふてえ奴!」

「近衛騎士団だ! なんかもう面倒だから全員ぶちのめす!」


 大階段へは、三本の道が一つに集まる交差点になっている。

 そしてその三方向から、魔族、冒険者、騎士団が僕に迫ってくる。

 もはやこれでは、いずれかの集団に追いつかれるのは火を見るより明らかだ。


 万事休すか。

 魔族だけならともかく、人間に対し聖剣を抜くわけにはいかない。

 僕がそうして、剣を下ろし、逃走を諦めようとしたその時。

 その瞬間。


「ぐ、ぐわああ!? なんだこの糸! いきなり絡まって、いかんお前ら止まれ、絡まる、ぎゃああああああ!」

「あれは!? マネキンが塊になってこちらに転がってくるぞ!? まずい、避け……!」

「ひいい! お前ら逃げろ! 建物が崩れるぞ!」


 魔族の集団が。建物の間に張られていた無数の糸によって絡まり、巻き込まれ、一斉に転倒した。集団が将棋倒しなってしまっため、道は塞がってしまった。

 冒険者の軍団が、階段の上から転がってきた大玉によって何人か巻き込まれ、さらに道を塞がれてしまった。大玉は、木で丁寧に造られたマネキンだった。

 騎士団が突如崩落した建物によって道を塞がれた。自然の崩落ではなく、それは明らかに人為的な爆音を伴っていた。


 いずれも。僕が知っている手口。


「意外と遅かったのね。勇者」


 大階段を見上げると、満月を背景に、三人の人影が僕を見下ろしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る