勇者が童貞じゃダメだろ。

七国山

第一話:世界を救ったけど、僕はまだ童貞です。

「ダメ……かなあ?」


 僕は腕を組み、考え込む。


「ダメだろう。明らかに」


 騎士は僕をまっすぐ見つめている。

 揶揄するつもりや嘲笑するつもりはなく、純粋に僕のことを心配して、高くも低くもない静かな声で僕に告げていた。


 僕ら。つまり勇者と騎士は。いつもの冒険者の店にいる。

 二人きりで、テーブルの上にお酒や料理やその残骸を並べた上で、向かい合っている。

 同じパーティの神官と魔術師、そして戦士達女性陣には内緒にして。勇者の僕と、騎士。二人だけの、男同士の秘密の会合というわけだ。


 いや。うん。

 よく言えば陽気で、悪く言えば軽薄な、パーティのムードメーカーである騎士がいかにも神妙な面持ちで切り出すモノだから、僕も身構えてしまっていた。

 どんな話をされるものかと緊張すらしていたけど。

 まさか。そんなこと。

 大げさに話すようなことでも、秘密にしておくようなことでもないだろうに。


「……とかそういう顔をしてやがるな? 確かに。お前が童貞ってのは暗黙の了というか、公然の事実ではあるだろう。どこを掘っても、浮ついた話が何も出てこないわけだからな?」

「実際今まで、そんな暇なんて無かったろ? ほんの数か月前まで、僕らは……文字通りに世界を救っていたんだから」


 そう。僕は勇者で、世界を救った。

 魔王を討ち倒し、その計略を覆し、囚われていた王女を助け出した。

 それは人類がこの数百年間成し得なかった偉業であり、長きに渡って続いた魔族との戦いが、ようやく一区切りついたということでもある。

 文字通りに僕は、王国の救世主となったわけだ。


 ただ、実際はそうなってからの方がずっと忙しい。

 戦後処理における事務手続きや、連合を組んでいた周辺各国との様々な調整。戦災に見舞われた地域の復興や、未だ各地で抵抗を続ける魔王軍の残党の掃討。やることが次から次へと、毎日のように立ち上がってきていた。

 

 何より。救世主となった僕を『王族』として迎え入れる準備が大変だった。

 元々は貴族でもなんでもない。一平民に過ぎなかった僕が王族になるには。いろいろ憲法とか政治的な部分での交渉が必要らしい。故に僕自身がいろんな場所へ挨拶に伺ったり、いくつもの会議に出席しなければならなかった。

 おかげで。パーティのメンバーと顔を合わす機会もすっかり減ってしまった。近衛騎士団の副団長であるこの騎士も、いろんな日程の隙間を見つけてようやく僕と会えたというわけだ。


 そうして、出された話題がこれ。

 僕が。勇者が。齢18にして未だ童貞であるということ。

 

「そりゃあね。僕にいろいろ至らない点があるのはわかるよ。貴族のお偉いさんとかと話していてもそう思うし。でもまあ、パーティの仲間との付き合いはともかく……僕は恋愛には、ほとほと縁がなかったからなあ……」

「お前がそう思っているのなら、まあそうなんだろうが……このままではダメだろ。お前は今や王女の婚約者なんだぞ。王女をリードできなくてどうする」


 そう。

 僕を王族として迎えるにあたって。王位継承権を持つ王女と、僕が結婚するという形にする方が、様々な面で都合が良いということに話がまとまりつつある。

 これは。僕と王女自身の『気持ち』の上でもわかりやすい着地点だ。


「護衛任務は得意だよ。こないだは王女とデートしたし」


 いろいろな事情があって、僕と王女は幼い頃から縁がある。身分は大きく違えど、想いは今でも変わらず、お互いを信頼し合っている。

 王宮の中でも、僕と王女の結婚を応援してくれる人は大勢いた。


「そうじゃなくてだな……いやまあそれも大事ではあるんだが……」


 だが尚も。騎士は頭を抱えて、テーブルに肘をついていた。

 口の中で何事かをもごもごとつぶやいて、しかしどれも適切な言葉にならず、途方に暮れている。そんな感じだ。


「騎士は反対なの? 僕と王女が結婚するのは?」

「そうは言ってねえ。むしろ応援したいくらいだ。王女は賢いがちょっとおっとりした部分があるし、お前はバカだが雑草のように粘り強い。互いに互いの弱点を補う感じで、相性も良いと思うぜ」

「ならいいじゃん。どうしてそんな顔するのさ」

「男と女の付き合いじゃない……とでも言えばいいか」


 意を決して。慎重に言葉を選びつつ、騎士は僕に告げる。


「友達感覚というか、子供っぽいというか……ままごと感というか……いや。お前と王女の愛を疑うつもりじゃない。ただ二人とも純粋すぎてなー……うまく行くか不安というかな……」

「煮え切らない言い方だね。つまり、僕にどうしろと言うのさ。ままごとも何も、僕は最初から本気だよ」

「ならばいっそ。一度娼館にでも行ってみたらどうかと。そう、思ってな」


 唐突。

 流石に怪訝な顔になって、僕は眉をひそめる。


「行きたいなら行けばいいじゃん。勝手にすれば」

「いやお前も来るんだよ」

「僕も? なんで?」


 話の流れが見えず面食らう僕に対し、騎士はさらに言葉を続ける。


「あのなあ……勇者とは何だ? 決まっている。勇者とは王の中の王。男の中の男。そういうものだろう!」

「そうかな……?」

「そうだよ! ……それがな。お前な。童貞のままでいいわけがないだろう!」


 言い切られてしまった。

 今の今まで、そんなことを指摘されたことは一度も無いのに。 

 剣でも魔法でも心でもなく、肉体を求められるなんて。


「お前がこのまま、王女との『初めての夜』を迎えてみろ。緊張して『勃たない』とかならまだいい。なんか仕方がヘタクソで! どっちもなんか気持ち良くなれなくて! お互い冷めた雰囲気になったりなんかしたら! ……それこそ目も当てられねえだろ」

「……それは、確かに困る、かも、しれないけど……騎士の言う『男と女の付き合い』ってそんなことなの?」

「そんなこととは何だ。勇者。これはな。下手したら国が傾くほどの大問題なんだぞ……」

「ううん……」

 

 騎士がどうしてそんな深刻に考えているのか。僕にはさっぱりわからない。

 そもそも勇者ともあろうものが、お金を対価にそういうことをして良いのだろうか?


「技を教えてもらって、繰り返し反復練習する。ただそれだけの話だ。お前がいつもやってる修業と変わらねえよ」

「そうかなあ……」

「上手くやれば、お前も良いし王女も良いし、みんながハッピーになれる。そうだろ? 勇者はみんなの幸せにこそ戦うべきじゃあないのか?」

「ううん……」


 だがしかし。言われてみれば。『そういうこと』が原因で王女との関係にヒビが入ったり、すれ違いが起こったりするのは良くないかもしれない。

 冒険の最中も。僕の前にはいくつもの問題が立ちはだかった。

 僕一人では解決できない問題を、それでも乗り越えていくことができたのは。そこに仲間がいたからだ。僕を助けてくれる人がいたからだ。

 今回もそうだと言うなら、やってみるのも悪くないのかもしれない。


「……わかった。でも、そういうお店に行くなら、先に王女に相談を……」


 僕は『知恵の実』を取り出し、エーテルネットワーク経由で王女に連絡を取ろうとする。

 だがその手も、騎士が上から僕の手を捕まえ、取り押さえてきたのだ。


「アホか。こういうのは女には内緒で行くんだよ」

「……いや。それは嫌だ。ダメだ。何か。やましいことでもあるみたいじゃないか」

 

 騎士の言っていることは、一応の理屈は通っているのかもしれない。

 これもまた、みんなの幸せのための戦いなのかもしれない。

 しかしそれ以前に、王女は僕の大切な人だ。そういう人に、妙な秘密を作ってしまうのは『正しい』こととは思えない。

 そう思っていた。


「やましくなければ……いいのか?」


 しかし。

 騎士はむしろ。僕のそんな反応を予想していたようだった。

 これまでの神妙な面持ちからは一転して、明らかに唇の端を吊り上げている。にやにやと、ワニのようないやらしい笑い方だ。


「悪かったよ。冗談だ。確かに娼館は良くないよな? やましいもんな? 後ろめたいもんな? やはり良くないよな? そういうのは……」

「う、うん。良くないけど……」

「いやあ。悪かった悪かった! お前を試すようなマネをして! ごめんな!」


 ばんばんと。僕の肩を叩き、背中に手を回す騎士。

 そして。

 若干声のトーンを落として、再び『提案』をしてくる。


「それなら。今日は『風呂屋』にしよう。なあ? 風呂でな。女の子がマッサージしてくれたり身体を洗ってくれるサービスだ。それならお前も、いくらか経験あるだろう?」

「確かに……それなら、まあ……」


 冒険の途中。いつか訪れたとある村。確か温泉が名物だった。

 そこで背中を流して貰ったり、あかすりやマッサージをしてもらったことくらいならある。なんなら相手は女性だった。歳は僕より一回りも二回りも上の人ばかりだったけど。


「お前も最近忙しくて疲れてるんだろう? ちょっとくらい息抜きして欲しいんだよ」


 そういうのだったら、まあ。そこまで大げさな話じゃないか。

 むしろ最近忙しかったし、少し疲れてもいるし、気分転換にも丁度いいのかもしれない。

 なるほどなるほど。冗談だったか。まったく騎士も人が悪い。遊び好きで女好きだからって、僕もそういうシュミに巻き込みたがっているのかと思った。


「決まりだ。善は急げ。行動する者に幸あれ……だ」

「ちょ、ちょっと騎士? けれど今からっていうのはやっぱり……」


 言うが早いか。騎士は僕の肘を掴んで立ち上がらせ、夜の街へ誘っていく。

 僕も。勢いに乗せられ、ロクに抵抗もできないまま流されていく。


 後々になって思えば。

 この夜の。この選択について。僕はもっと慎重になるべきだった。

 そうすれば少なくとも。あのような騒ぎが起こることは……避けられたかもしれないのに。

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