第2話 酔いどれの先生


月が時折、雲間から顔を出し、その男の顔を見せようとするのに、やはり中々に難しい。


相変わらず見えるのは、赤提灯にぼやけたシルエットだけなのです。


ネジを拾るのを手伝う私を気遣って、お喋りを続ける優しい方だという事だけは分かりました。


その話し方は独特であるのに、何故かその声が落ち着て聞こえるので、もっと聞いていたいと、この分からぬ頭のネジ探しを止めるにも止められずにいるのです。



「ねぇ、先生は……。」



この自称「物書き」らしき男にそう話し掛けると、男のシルエットが小さく揺れ声もなく笑っているように伺えるのです。



「……ああ、こう手伝っていてもらっていて何ですがね。実はその呼ばれ方……あまりすかぬのですよ。」



なんて、男は言い出しますのよ?


誰だって物書きだったら、先生と呼ばれたら嬉しいのではないかと思ったのに、どうも話し方といい一癖も二癖もある人物のようなのです。


私が何故?本とかはあるのですか?と聞きましたらその男は、



「ああ、昔にね。」



と、詰まらなさそうに言って、本を出した時でさえも、誰にも「先生」と呼ばせない、どうやら困った「先生」だったらしいのですよ。


私の近しいお知り合いにも物書きがいましたが、そんな「先生」がいたら、編集も担当もやり辛いに決まっているのです。


それでどれどれと話を聞いていましたら、どうも悪気がある訳でもなく気の小ささが問題のようでしたから、呆れはしましたが、ほんの少しだけ可愛らしい人なのだと思い始めるのです。


月が僅かに顔を出した時、私はその顔をそぉ~と覗こうとしたのですが、今度は月の方角を見てしまったので後ろ姿しか見えない。


こうも見えないと、逆にどんな人なのかと、興味だけが沸々と湧いてくるのです。



「ああ、あっちの月が……綺麗ですねぇ。」



男は嘸かし月を愛でて慈しむように言うのですよ。


思わず私は無言になってしまいましった。


赤提灯から月明かりに照らされた男のシルエットに、理想的な男を勝手に重ねていたからかも知れませんね。



「えっ?どうされました?」



と、言われて私は思わず手を止めて、そのシルエットに見惚れてしまっておりましたので、慌てて下を向いてまたネジを探し始める事にしました。


そして、男の言った言葉に、物書きらしい返事をと、



「あの……夏目漱石先生の素敵な一説を思い出しまして。」



そんな言葉で繋いだ。

自分でも何を言ってしまったのだろうと、少し頬が熱くなりましたが、それこそ……こんな暗い月夜で良かったと、安堵して肩を撫で下しました。



「ああ、夏目漱石先生の……。これは失礼致しました。物書きが言ふと、浮気心にしか聞こえませんな。」



と、男はクスッと笑うと丁寧なお辞儀をします。気は小さくても優しい人柄なのは確かな様なのです。


そして申し訳ないと思ったからか、私と月を例えて一つ、素敵な言葉を読んでくれるではありませんか。


こんな風に言われたのは初めてでしたので、



「やはり先生ですね。」



と、冗談ではなく本気で言ったのに、その男は本気にはしてくれず、本来の先生とはなんたるやを、話しているのでした。


私はその話をほんの少し聞き逃してしまうのです。


だってまだ……月の余韻に浸っていたかったのですから。



「だから僕は如何様にもならんのです。特に先生には。

……責任感もなく、月を語るなんざ…………ねぇ。」



そう再び月を見上げたその男に、私は一体何を求めているかさえ、自分自身では分かる事が出来ないのですが、その男が見せたシルエットと空は、


それはそれは……綺麗な月夜でした。

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