この方の頭のネジ、探す事に致しました。この掌から返したくはありませんが。
黒影紳士@泪澄 黒烏るいすくろう
第1話 酔いどれの道に猫
私は時計を見ながら走っておりました。
こんな時間になってしまったら、此処はすっかり酔いどれの街。
赤提灯が立ち並び、今夜もぼやけて揺れるのです。
暗がりの小道は、そんな酔っ払いに絡まれはしないかと、ビクビクしながら歩かなければなりません。
しかし、その小道以外はかなりの大回りになるものですから、迂回せずにそっと大人しく通る事にしたのです。
はぁ……良かった。
今日は酔っ払いに会わずに通れそうだ。
そう思った時に、はっとしました。
胸をなで下ろした後の驚きは、小さくても些か大きく感じられます。
黒いロングコートに疼まり、まるで冬の寒さに凍えそうな男が一人、倒れているのです。
酔っ払いに声を掛けるなど、そんな暇な私ではないと、何の予定も無しに思い、私は通り過ぎようと思っておりました。
けれど、その男……酒に飲んだくれて寝ているわけでもなく、ジッとアスファルトを見据えて、目に薄っすら光る線を浮かべておりました。
どうせ酔って泣いたら済む気もあるでしょうしと、放っておこうとしたのです。
けれど、急にバッと上体を起こし、その男は泣きそうだった目を、今度は輝かせて何かを探し始めるではありませんか。
まるで黒猫のように丸まっていた男が、目つきを変えた時……不覚にもそれをギャップ萌えと言いますか、只者ではなのではないかと言う期待を持たせたのです。
「どうか……されましたか?」
私はその男が、まだ酔っ払いかどうかも判断がつかないのに、気が付くと声を掛けておりました。
目元だけは信号待ちの車のライトでくっきりと見えましたが、他はシルエットがぼんやりとしたあの赤提灯に浮かぶだけで、真っ暗なのです。
車が過ぎ去れば尚も暗く、少しだけ私は声を掛けなければ良かったのかと、後悔すら致しました。
この暗がりで酔っ払った勢いで何かされやしないかと、不安になったその時です。
「すみません、そこの貴方っ!今、執筆に疲れ何も考えてなくて、
忘れちつまつた悲しみなんざとフラフラしていたんです。
そうしたら、転んで手を強打し、もう書く気すら無くなったのですよ。
でも、それじゃあ、書き途中の輩が……可哀想で……可哀想で。
涙が止まらず、ほら……なんら酔っ払いと変わらない、路上の傍に転がる身となったのですよ。
夢を見せて人生うん十年、僕は見せてばかりでからっ欠になりました。
それでもね、こんな僕を慕う幾ばくかの御方もおられるのです。
だから、今は転がった時に撒き散らかしちまったネジ……一緒に探して貰えませんか。
どんだけ吹っ飛んだかも分かりませんが、もう頭が回らなくて……頼めるのは貴方だけなのですよ。」
と、男は言うではありませんか。
そんな頭のネジなんて、空想でしか飛ぶ訳がない。そう帰ろうとも思ったけれど、あの真剣に輝かせた瞳が、脳裏にふと再来する。
何かの病気で本当に困っているのかしらん?とも思える。
私は仕方なくその男の頭のネジを拾うのを、少しだけなら手伝っても良いかと思った。
「構いませんよ、そんなに困っていらっしゃるのだったら。」
私はほんの少し笑って、その男に答えたのでした。
「あっ、ああ……有難う御座います。こんなろくでもない物書きなんぞの為に。」
と、男は申し訳なさそうな声で言う。
頭の僅かなシルエットが数回揺れ、見えてもいないのにペコペコとお辞儀をしているであろう事は分かった。
思っていたよりも、案外気弱な律儀な人かも知れないと思い始める。
それならば少し安心かと、私は男の前にしゃがんでネジを探した。
男は無言に気を遣ってか自己紹介なのか、少し変わった話を始めるのだ。
物書きだとね……だとかそんな、取り留めのない話が何故か心地良かったのです。
ゆったり柔らかな、まるでおっとり座布団の上に座る落語家の様に、不思議な喋り方をするものだから、つい聞き惚れてしまう。
そんなうちに、私の指先に何かが当たって、少しだけころんと押した気がしたのです。
まさか……本当にネジが?
私はゆっくりと、それが転がった方へ手探りをする。
冷たい感触がある。……私は先ず自分の手の中に其れをくるみ形を確認しようとするのです。
すると……それは見まごう事無きネジでした。
「これ……、一本目のネジ、見つけたみたいなのです。本当にばら撒いていたのですね。」
と、私は思わず男に言って、まだ驚いている。
「ああ、良かった。」
男はそう言って、私がネジを渡すと、それは大切そうに両手で包み願うように胸に当てた。
……シルエットしか相変わらず見えないけれど、とても大事なネジだと言う事だけは良く理解出来たのです。
「また見つかったら掌へ届けて下さい。
僕は届けるのに疲れ果てた物書きなのです。
せめてネジだけでも届けてくれませんか……。」
と、男は顔を項垂れて悲しそうな声で言う。
さっきまでの、お調子者もこのネジが無いのは、死活問題らしい気もしたのです。
……仕方ない。
「ネジが全部拾い終わるまで、お手伝いさせていただきます。」
そう言って上げると、彼は項垂れていた顔をスッと持ち上げ、見える訳もない私を見て、
「えっ?最後まで付き合うって?アンタも変わったお人だ。」
そう嬉しそうに笑うのであった。
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