第44話 果てに散りゆく花の雪
互いに睨み合いながら、静寂が再び訪れる。
風歌の肩から零れる血液が畳へぶつかる音だけが、時の流れを示していた。
二度目の失敗は、許されないだろう。
先ほど貰った一撃は右腕の付け根部分。すなわち、心臓のすぐ隣だった。
咄嗟に半身の状態へ回避行動を取っていなければ、心臓を穿たれて即死だったのである。
出血してかなりの消耗を強いられた今、同じように避けることはできない。
韓陽を睨む風歌の額に、汗粒が滲み出る。
傷はかなり深かったが、痛みは感じなかった。
むしろ血液が体外へ出ていくたびに、視界がクリアになっていく感覚がある。
失敗すれば確実に死ぬと分かっている極限状態に立たされ、風歌は未だかつてないほどに集中していたのだ。
そしてそれは、韓陽も同じ。
次の一手で、風歌は何としてでも殺しにかかってくるだろう。
でなければ、自分が死ぬのだから。
その事が分かっているからこそ、韓陽は風歌と同じくらいに命の危機を感じていたのだ。
共に集中し切った2人の空間は、まるで2人以外の存在が消滅してしまったかのように静かである。
……。
時間を忘れてしまうほどの集中の先に、その時は訪れた。
「ッ!!」
先に動いたのは風歌。
低い姿勢で踏み込んだ彼女は、上半身を捻りながら下段の刀を放つ。
しかし。
「焦ったなッ!!」
韓陽はその動きを、完全に見切っていた。
風歌の刀を思い切り弾くと、がら空きになった彼女の体へ袈裟斬りを繰り出す。
だが、選択を誤ったのは韓陽の方だった。
「なッ……」
韓陽の右脇腹から左肩にかけての斜め一筋を、椿骸が切り裂いていたのである。
ぱっと弾けるように、血液が噴き出した。
何故だ、何故……!?
刀は完璧に弾いたはず。なのに何故、自分より早く斬撃を繰り出せる……!?
弾け飛ぶ血液が止まって見えるほど高速化した思考の中で、韓陽の疑問は見つかった。
風歌の背後。後方数メートル先の畳に、
風歌は傷を受けて転がった際、韓陽に見えぬ位置で刀を入れ替えていたのだ。
そして
一歩間違えれば死に至る、後のない風歌にしかできぬ
「くッ!!」
よろめいた韓陽は続く風歌の攻撃を視認すると、歯を食いしばりながら刀を振り上げる。
しかしその刀は容易く弾かれ、もう一度同じ場所へ風歌の袈裟斬りが直撃した。
鎧が裂けて剥き出しになった傷口が、骨ごと断ち切られる。
「じゃあな……『刀皇』」
返り血を浴びながらそう告げた風歌は、力が失われた韓陽の体を手で突き放した。
韓陽は抵抗することもできず、自身の体重に任せて床へ仰向けに倒れる。
彼の下に敷かれた畳たちが、流れ出した血液によって赤に染まり始めた。
「はあ、はあ、はあ……」
静寂を取り戻した部屋の中で、風歌の荒い息だけがやけに響く。
『刀皇』は息を止め、動かなくなっていた。
自身を一度打ち負かした、最大の仇である『刀皇』を。
殺害することが、できたのである。
「~~~ッ!」
体力の消耗によって俯いた状態の中、風歌は笑みを隠し切ることができなかった。
両口角を大きく持ち上げて、にやにやとほくそ笑む表情を止められない。
最大の宿敵だった韓陽を倒したことで、風歌は六牙将を倒し切ったかのような満足感に包まれていた。
残すはあと、一人だけ。
立ち並ぶ高層建物群に、交差点を行き交う人と車の波。
遠くから電車の音が聞こえるこの街で、また一つの
「ぐあっ!」
吹き飛ばされた男が、停まっていた軽自動車に車体が歪むほどの勢いで激突する。
この男の名は
危険度『B』に指定されている、凶悪犯罪者だ。
背中を強く打ち付け、立ち上がろうとすると電流が走るように痛い。
「観念するんだな……あ、君の車か? 壊して悪いな、修理代は警察に請求してくれればいい」
近くにいた車の持ち主と会話をしながら、一人の男が土筆田へ迫ってきていた。
濃い
金属製の棒を構えながらゆっくりと現れたのは、『仕置き烏』栗延 宗重だった。
宗重は圧倒的な力で土筆田を制圧し、素早く拘束する。
駆けつけてきたパトカーへ彼を押し込み、あっという間に戦闘を終わらせた。
去っていくパトカーを見送りながら、宗重は道路の真ん中で一つ息を吐く。
ついに、『六牙将』は自分一人だけとなってしまった。
最近の宗重は、そのことばかり考えている。
次々と六牙将が打ち倒されたことで犯罪が増えるかと思っていたが、そういうわけでもない。
犯罪者達の裏で暗躍し、その手助けをしていた黒鷲一派と灯治衆が壊滅したからだ。
六牙将が倒れた所で崩れるほど、警察達も脆くはない。
とはいえ、人々の不安は拭えないだろう。
秩序の象徴を担っていた六牙将のうち、5人が短期間で殺害されたのだから。
それに。
最後に残ったのが、よりにもよって『元犯罪者』の宗重なのだ。
実際、先ほど見事なまでの戦いぶりを見せたにも関わらず、周囲の人からの反応は薄い。
皆、遠巻きに宗重を眺めているだけだった。
……こういう反応には、もう慣れた。
それに、わずかながら応援してくれる人だっている。
『元犯罪者』という肩書を拭えるように。
六牙将をはじめ、死んでいった仲間たちのために。
そして人々が、少しでも安心して過ごせるように。
「お前を倒さねばならない……!!」
怒気のこもった声で呟いた宗重の背後には、危険度『A』に指定される、今、最も恐れられている犯罪者。
人呼んで『辻斬り太刀花』。
橘 風歌が、立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます