第43話 皇の太刀筋最果てに

 韓陽を発見した風歌は、部屋に足を踏み入れながら刀へ手をかける。

 が、韓陽は動かなかった。

 首を傾げる風歌へ、韓陽が右手のひらを向けて静止の合図を出す。


「少し、茶でも飲まないか?」


 固い表情のまま、彼は風歌にそう提案を行った。




 正座する風歌の元へ、氷を打つ音と共に湯呑みが寄せられる。

 彼女に向かい合う形で座り直した韓陽は、自身の元に置いてある湯呑みを手に取った。


 2人、冷たい緑茶を静かに飲む。


「もてなしたところで、私は変わらないよ?」

「改心させようなどという気はとうに失せている。ここまで来た疲労を、言い訳としてわめかれたくないだけだ」


 冷たくそう返しながらも、韓陽は風歌へ和菓子の入った鉢を寄せた。

 鉢に入った色とりどりの和菓子を、風歌はどんどん口へ運んでいく。


「美味しいね、これ。何ていう干菓子?」


 風歌が食べたのは、僅かな歯応えの中に餅のような柔らかさを持つ干菓子。

 ふんだんに使用された砂糖が、シンプルながら突き抜けた甘さを広げていた。

 

「『雲平うんぺい』という菓子だ。雲のように定まらぬ、自由な形で作れることからそう名付けられたという。『生砂糖きざと』と呼ばれることもあるな」


 韓陽は表情を変えることなく、風歌が食べた干菓子の名を答える。

 風歌は聞いているのか聞いていないのか分からぬ様子で、雲平を掲げて眺めていた。

 

「雲のように定まらぬ、自由な形……か。私にお似合いだね」

「なんだ、冥土で注文するつもりか?」

「アンタの元へ届けるよう、三途川の橋渡しに頼もうかなと思って」


 売り言葉に、買い言葉。

 互いに無表情のまま、2人は煽り文句のキャッチボールを行う。

 そうしてまた、静かに緑茶を飲んだ。


 からん。


 湯呑みに入っていた緑茶は無くなり、鉢に入っていた和菓子もいつの間にか食べ終わっている。

 飲み終わった湯呑みを静かに置いた風歌は、肩を落として一息ついた。



 ひと時の、静寂が走る。



 そして、次の瞬間。


「「!!」」


 2人の片膝が同時に立ち、同時に抜いた刀同士がぶつかり合った。

 激しさを内包する鋼の音が、静寂を引き裂く。


 韓陽は刀を打ち払うと同時に踏み込むと、隼のごとき一撃を繰り出す。

 上半身を半身にしながら下がることで回避した風歌は、返しの横一文字を放った。

 刀でそれ弾いた韓陽は、柄を強く握ってさらに前へ出る。


 そして放たれた大振りの袈裟斬りが、風歌の肩へ直撃した。

 肩の上から鎖骨にかけて血の亀裂が走り、朱色の鮮血が飛ぶ。


「くっ……!」

 

 斬られた風歌の体はバランスを崩し、大きくよろめきを見せた。


 達人同士の戦いは、一瞬で決着がつくと言われている。

 一瞬の隙を見つけることさえできれば、相手を絶命させられる技量を達人は有しているからだ。



 だが、の戦いは、その限りでない。


「ッ!?」


 鋭い痛みと共に、韓陽の甲冑の隙間から血が溢れ出る。

 斬られた風歌が、口元で笑みを見せていた。


 そう。風歌も韓陽と同じく、彼の肩へ一撃を与えていたのである。

 韓陽はこぼれ落ちる自身の血液を眺めた後、風歌へ視線を向けた。

 風歌も韓陽へ視線を合わせ、両者睨み合う。


「初手は引き分け、か」

「相変わらずで何より」

「変わってはいる。あの頃よりも、ずっと強くな」


 韓陽の返した言葉は不変の否定と同時に、以前に比べて風歌が強くなっていることを認めていた。

 2人は刀を引いて構えを取ると、再び静寂が訪れる。


 その静寂は何分とも感じられたし、何時間とも感じられた。


 互いに一歩も動かず、ただただ相手を睨みつけている。


 

 ……。


 

 …………。



 ごくり。


「!!」


 風歌が唾を飲み込むタイミングで、韓陽が動いた。

 振り下ろされる一撃は重く、そしてはやく。

 風歌に防がれることなど気にも留めず、韓陽は次から次へと斬撃を繰り出していった。


 嵐のような怒涛の連撃は、折れそうな勢いで金属の音を鳴らし続ける。

 風歌は韓陽の攻撃へ完璧なまでの防御と回避を行っていたが、少しずつそれが崩れかけていることに気付いていた。

 韓陽の動き出しへほんの僅かに対応が遅れ、そこに凄まじい連撃を重ねられたことで立て直すことができないのである。

 刀を捌く風歌の顔に、焦りが出始めた。


「ふんッ!」


 強く床を踏んだ韓陽が、体重を乗せた横薙ぎ一閃を放つ。

 防御が崩れかけていた風歌はその重さを受けきることができず、防いだ刀が大きく弾かれた。

 風歌の上半身が仰け反り、後方へよろめきを見せる。


 その瞬間。風歌の右肩に、韓陽の刀が突き刺さった。


「ぐうッ……!!」


 血管が千切れる鋭い痛みに歯を食いしばりながら、風歌は続く韓陽の縦一文字を弾く。

 後方へ転がることで不安定な足取りを誤魔化しつつ距離を取り、2人は再び刃を向けて膠着状態へ戻った。


「こんな切れ味だったな。大業物、『鋼桜はがねざくら』は……!」


 自身の血が滴る韓陽の刀を見て、風歌が独り言のように呟く。

 大業物『鋼桜』。韓陽の愛刀であり、風歌を一度敗北に追いやった代物でもある。

 

 右肩からとめどなく零れ落ちる血液が、徐々に自身の体力を奪っている実感が風歌にはあった。

 韓陽も鎖骨の上から出血してはいるものの、風歌に比べると体力の消耗具合は段違いである。

 長期戦になれば風歌が不利になることは、お互いに分かっていた。


 揺らぐ刃先を整え直し、風歌は疲れの中に闘志を宿したまなこで韓陽を睨む。


「はぁ、さっさと終わらせる」


 先手を取られた風歌にできることは、出血量が多くなる前に韓陽を倒すこと。

 そんな彼女の闘志に、韓陽は言葉を返した。


「私も、早く終わらせようと思っていたところだ」


 風歌は韓陽に先手を取られ、大きく怪我をした状態である。

 韓陽が防御に徹して持久戦に持ち込めば、確実に風歌を倒すことができるだろう。

 だが、韓陽はあえてそれを選択しなかった。

 静けさの中に熱のこもった視線で、風歌の殺意を押し返す。

 

 持久戦を捨て短期決戦を選んだのは、風歌を武人として高く評価し、正々堂々と戦いたいから?


 否。


 『飢えた狼は何よりも恐ろしい』という事を、十分に知っているからだ。

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