第42話 猫皿一擦り手向け花

 風歌の刀を押し返し、紗也は後ろに下がって距離を取る。

 刀を構えながら、風歌はじりじりと彼女へ歩みを寄せていた。


「何で……?」


 紗也はこちらを睨む風歌の動きを凝視しながら、困惑の言葉を口にする。

 悪い冗談かと思ったが、風歌の目は確実に殺意を握りしめていた。


 自身との間にテーブルを挟む形で後退した紗也に向かって、風歌は刀を振り上げる。

 刃が通った木製テーブルは縦一直線に切断され、綺麗な2等分となって左右に倒れた。


「んー……怪我を治してくれたのは感謝してるし、忍者達を殺し合わせるよう仕向けてくれたのも感謝してる」


 静かに口を開いた風歌が、まず紗也へ感謝の言葉を述べ始める。

 そして刀の刃先を紗也へ向けた後、彼女の質問に対する答えを告げた。


「あなたは強い。万が一私の敵に回る時があれば、厄介なものになる。だから殺す」


 風歌は『平穏な日常』を手に入れる事を目標にして動いている。

 紗也のような強者の存在は、もし敵対する事になれば厄介だ。


 たとえ紗也が、風歌に敵対する気が一切なかったとしても。


「じゃあ私が何をしようとも、風歌ちゃんは私を殺すって事ね……」

「強いて言うなら、今すぐ自害して貰えれば殺さずに済むかな」


 風歌は紗也への殺意を止める気はないようだ。

 紗也は軽くため息を吐くと、懐から指2本分くらいの小さなビニール袋を取り出す。

 中には彼女を覚醒させる、木天蓼マタタビの粉末が入っていた。


「風歌ちゃんの事は好きだし強いから、できれば戦いたくなかった。けどお金も集まってきて人生これからなんだ、ここで死にたくはないね」


 紗也は声を落としてそう呟くと、袋を開けて木天蓼の粉末をあおる。

 上を向いていた紗也の喉がごくりと動くと、彼女は大きく息を吸った。


 再び風歌へ顔を向けた彼女の目は、猛獣のそれへと変貌している。

 『夜叉猫』の、本領発揮だ。


「らあッ!!」


 紗也は突然屈み込んだかと思うと、下からアッパーカットを放つように鉤爪を振るう。

 上半身を後ろに引いて避けた風歌が返しの刀を繰り出したものの、もう片方の鉤爪に阻まれてしまった。

 

 紗也は最初に放った鉤爪を振り下ろす動作で刀を叩き落とし、前蹴りによって風歌を後方へ突き飛ばす。

 ソファへ背中をぶつけた風歌に、紗也が拳銃を向けた。


「ッ!」

 

 重い発砲音が2発鳴ると同時に、重なる形で甲高い金属音が跳ねる。

 刀で2発の弾丸を弾いた風歌は床を蹴ると、大きく体を出して斬りかかった。


 振り下ろされた刀を弾いた紗也だったが、あまりのパワーによろめいてしまう。

 続く袈裟斬りを転がって避けた紗也は、風歌の横顔に向かって鉤爪を放った。


「ちいッ!」


 体を開くことで横からの攻撃を弾いた風歌だったが、続くもう片方の鉤爪による一撃を顔に受けてしまう。

 頬を掠った爪先は3本の浅い傷を引き、じわりと血液が滲み出した。

 続く攻撃を刀で受け止めると、回し蹴りを繰り出して紗也を突き放す。


 風歌は一歩下がりながら頬の血を拭うと、向かってくる紗也の鉤爪に刀をぶつけた。

 何度も金属音が跳ね、擦れる。

 

 嵐のようにはやい紗也の連撃と、一撃必殺の重さを持つ風歌の攻撃。

 両者一歩も譲らない、拮抗勝負かと思われたその時だった。


「!」


 風歌の袈裟斬りを右手の鉤爪で受け流した紗也は、彼女の両腕を抱える形で左腕を回す。

 引き寄せつつ肘の関節を締めて動けなくさせ、右手の鉤爪を側頭部へ突き刺そうとした。


 だが、しかし。

 風歌は2度の頭突きを放つ事で紗也を突き放し、鉤爪を叩き落として強く踏み込む。

 慌てて防御姿勢を取ったもう片方の鉤爪をすり抜けて、紗也の胸部に刀を刺した。


「がほッ!?」


 衝撃と、深く刺さった致命傷により、紗也の体が硬直する。

 風歌は目一杯に刀を押し込むと、勢いよく振り上げて上半身を裂いた。


 紗也の胸部から鎖骨の上までが張り裂け、鮮血が弧を描いて宙に舞う。

 風歌は紗也の死体をキッチン台に向かって蹴り倒すと、一つ息を吐いた。


「……はぁ」


 再びソファの元へと歩みを進め、ゆっくりと腰を下ろす。

 そしておもむろに、懐から1枚の紙切れを取り出した。

 神楽を殺害した際に、彼女の死体から見つけたものである。


「……」


 折り目がびっしりと付いたその紙には、住所と共にメッセージが記されていた。

 

 『私はここで待っている。橘 風歌。貴様がこれを読む事があるならば、私は決して容赦しない』


 そして末尾には、このメッセージを書いた人物の名が書かれてある。


 『刀皇』錦馬 韓陽と。



 

 数日前、風歌が街の交差点に出現を予告した当日の事。

 風歌を待っている間、韓陽は神楽と宗重にあるものを手渡していた。


「なんだこれ? 折り紙?」


 受け取った神楽が、受け取った物を訝しげな顔で睨みつける。

 韓陽が2人に渡したのは、手裏剣型に折られた紙。

 ビニール製の入れ物に入れられている折り紙は、普段真面目な韓陽が手渡すには意外すぎる代物だった。


「『お守り』だ。大事に持っておくんだな」


 普段は表情をほとんど動かさない韓陽が、ほんの少しだけ口角を持ち上げる。

 その折り紙の中身こそ、風歌への宣戦布告だったのだ。


 2人が風歌に殺される事を想定していたわけではない。

 むしろその逆。

 彼は風歌がこれを読まないまま終わる事を願いながら、これを作ったのである。




 ソファに寝転がりながら、韓陽からのメッセージを読んだ風歌は静かに笑みを作った。




 場所は変わり、街の端に位置するとある屋敷の奥。

 一つのほつれもない美しい畳が敷き詰められた和室の中心で、緑の甲冑を全身に纏った男……。


 『刀皇』錦馬 韓陽が、静かに座していた。


 葉の揺らぐささやかな音だけが、部屋を通り過ぎている。

 そんな世界の終焉にも思える静寂は、襖を開ける音によって唐突に破られた。


「……来たか」


 韓陽は頭を持ち上げ、現れた人物の姿を見る。

 視線の先に映っていたのは、風歌だった。

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