第29話 熱が篭りし地下水道

 煙が晴れ、景色はすっかり元の道路へと戻っていた。

 道端に停まっている車達は秀頼によって先回りで破壊されていたが、風歌にとってはもう使うことのない障害物である。


「よし!」

 

 窓から道路を覗き、道路にある『あるもの』の存在を確認した風歌は、作戦の準備に入った。




 そして再び、ホテルのエントランスへ姿を現す。

 片手には最後の発煙弾、もう片方の手には布で包まれた、身の丈を越える巨大な物を持って。

 手元で一度発煙弾を跳ねさせた後、そのピンを思い切り引き抜いた。

 エントランス内に、柔らかい金属の音が鳴り響く。


「そお、らッ!!」


 風歌は大きく振りかぶり、発煙弾を外に向かって放り投げた。

 発煙弾は2度跳ねたのちに煙を吐き始め、再び道路を白に染めていく。


 


「一体、何をする気じゃ……?」


 道路に充満する煙を、とあるビルの陰から観察していた秀頼。

 訝しげな表情の上に、熱線可視装置サーモグラフィーのゴーグルを被せた。

 再び無策で仕掛けてくるほど風歌が馬鹿ではないことを、秀頼はよく分かっている。

 ゴーグル越しに睨みを利かせ、ホテルの入口部分を注視した。


 だが、風歌は一向に出てこない。

 不審に思っていた秀頼の顔は、熱線可視装置サーモグラフィー越しに映ったある光景を見て一気に焦りを見せた。


「何ッ……!?」

 

 熱が一瞬だけ道に現れ、消えたのである。

 それも、単に消えたわけではない。


 道路の真ん中に一瞬だけ現れた熱は、消えたのである。

 

 そして秀頼は、消えた箇所に一つの心当たりがあった。

 煙が吐き出される前に見ていた光景、コンクリートで舗装された道路のど真ん中。

 ちょうど今、熱が現れた場所辺りに……。


 マンホールが、あったはずなのである。


「まさかッ!!」

 

 秀頼は窓を突き破ってビルを飛び降り、道路へ着地した。

 着地時に道路がひび割れたことなど気にも留めず、煙をかき分けて熱が消えた場所へと走っていく。


「やられた……!」

 

 秀頼の想定していた通りだった。

 煙の中、道路のど真ん中に設置されていたマンホールが開いていたのである。

 先程見た熱……風歌は、ここに飛び込んだのだろう。


 秀頼はすぐさま追いかける事を決意した。

 マンホールの穴へ飛び込むべく一歩下がった秀頼の足に、何かが当たる。

 一瞬視線を向けた秀頼は、足に当たった物を見てさらに驚愕した。


っ!?」


 そう。秀頼の足元に横たわっていたのは、2メートル弱ほどの高さを持つ大きな姿鏡だった。

 秀頼がそれに気付いたと同時に、小石を踏む靴の音が聞こえる。

 

「!」


 バッと振り返った先、煙が次第に晴れていく道路の上で。


「ようやく……、な……!!」


 血の滴る左肩を押さえた風歌が、そこに立っていた。




 まず風歌は煙を撒いた後、部屋から持ち出した姿鏡の陰に隠れる形で外へ出た。

 熱線可視装置サーモグラフィーは赤外線を感知して表面温度を可視化することのできる装置。赤外線を反射できる鏡を立てられれば当然、感知することはできない。

 その後ろに隠れている、風歌の事も。


 鏡に隠れながら、風歌はマンホールのある位置へと到達した。

 マンホールを開けた風歌は、そこに自身の着物を放り込んだのである。

 自身の体温と同じくらいの熱を持たせた着物を投げ込んだことで、秀頼の熱線可視装置サーモグラフィーにマンホールへ落ちていく様子を見せつけたのだ。


 全ては、秀頼がここへ来るよう仕向けるために。


「これで……勝率は50%になった」


 血走った眼を大きく開き、風歌がそう言って大きな笑みを見せる。

 力なく垂れ下がった左手で握る椿骸を、回転させて握り直した。

 ゆっくりと上半身を起こす風歌に対し、秀頼は弓を構えて戦闘態勢を取る。


「行くぞ」


 それだけを告げた風歌の体が、指で弾かれたビー玉の如き瞬発力で動いた。

 即座に秀頼の元へ詰め寄ると、低い姿勢からの薙ぎ払いを放つ。

 秀頼は弓を回転させ、鋼の音を撒き散らしつつ刀を弾いた。


 宙返りで続く攻撃を回避しながら、弓を片付けつつ背中に装備している武器へ手を伸ばす。

 彼が取り出したのは、細身の薙刀だった。

 着地と同時に風歌の袈裟斬りを受け止め、数合の斬り合いののち互いに後ろへと下がる。

 刃の部分に麒麟きりんの刻印が施された薙刀を見せながら、秀頼が口を開いた。

 

「大業物『熊鷹屏風くまたかびょうぶ』。本気で扱うのは久しぶりだが、お主と十分に渡り合える代物じゃ」

「だろうね。椿骸が倒す相手として、不足は無い」


 秀頼を睨み返した風歌が、口の端を持ち上げて笑う。

 スニーカーを前へ踏み込み、秀頼の放つ薙刀を叩き落とすように弾いた。

 玉鋼の湾曲する音を潜り抜けて身を翻し、背中越しに横一文字の斬撃を放つ。


 風歌の刀を下がって避けた秀頼が、返しに鋭い一刀を繰り出した。

 上半身を反らせてかわした風歌の胸の上を、銀色の刃が通っていく。


「危ね。あと数ミリメートルで、当たってたな」


 風歌は呟きながら薙刀の柄を掴み、体を捻りながら秀頼の顔面に蹴りを放った。

 ボクサーの拳のように鋭くて重い一撃が側頭部に激突し、秀頼の体は僅かに揺らぎを見せる。

 風歌は軸にしていた足を蹴って空中で一回転し、その首元へ刀を放った。


「ふんッ!」


 柄の部分でそれを受け止めた秀頼は柄を回して刀を流しつつ、片手を外して風歌の胸倉を掴む。

 手首に脚を掛けようとする風歌よりも先に、真後ろに向かって大きく振りかぶった。

 野球ボールを投げるかのように、風歌を建物の壁に向かってぶん投げる。


「ぐう……ッ!」

 

 壁にひびが走るほどの威力で、風歌は建物に激突した。

 投げられた際に発生した急激な加速を建物によって食い止められ、内臓が激しく揺れ動く感覚に襲われる。


 風歌は秀頼に接近する前から、かなりの傷と疲労を負っていた。

 左肩からの出血は、まだ収まっていない。

 対する秀頼は、風歌に接近されて初めて武器を抜いた。

 万全の状態と、既に負傷した状態。体力の差が、明らかに違うのである。


「葬式くらいは、やるとしよう」


 秀頼は風歌に迫りながら、小さくそう言った。


「ちッ、やっぱ勝率は……」


 風歌は頬に付いた血を拭いながら立ち上がり、迫る秀頼を睨みながら呟く。

 その時だった。


「ぬうッ!?」


 秀頼の右腕に一筋のあかい線が刻み込まれ、そこから勢いよく血が噴き出した。

 秀頼が風歌を投げ飛ばすほんの僅かな瞬間に、風歌は彼の腕を斬ったのである。


「やはり、50%ってところかな」


 顔を上げた秀頼の前には、まだ殺意と活気に満ちた顔の風歌が立っていた。

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