第26話 蝦蟇の油と機関銃

 朧が両手から放った手裏剣を、風歌は踏み込みつつ叩き斬る。

 すると手裏剣が砕け、中から透明な液体が飛び出した。


 「!?」


 風歌は危険を察して上半身を大きく反らし、その液体を強引に回避する。

 風歌のすぐ上を通過して床に付着した液体は音と煙を立て、床を小さく焦げ付かせた。

 手裏剣の中には、酸が仕込まれていたのである。

 

 「塩化水素の酸……『塩酸』だ。多くの動物が消化に使う胃酸を構成する強酸。避けなければ失明していたな」

 「ご丁寧な解説どうも。トイレ洗剤を手裏剣に仕込む変態じゃあなければ、カッコよかったかもね」


 朧の解説に軽口を叩きながら、横に転がることで続けて放たれる手裏剣を回避した。

 床にぶつかった手裏剣は勢いよく砕け、中から漏れ出た塩酸が大理石の床を溶かしている。


 塩酸は鉄だろうと溶かすことのできる強力な酸だ。

 そんなものを仕込める金属は限られており、銅や白金など……鉄よりも脆い。

 下手に弾こうとすれば、簡単に砕けて中の酸が散ってしまうだろう。


 「だが、近付けば使えねえ!」


 風歌はそう言ってスニーカーを強く踏むと、朧に向かって大きく前進した。

 しかし朧は、そう易々と接近を許すような忍ではない。

 手裏剣を放ちながら後ろへ下がっていき、風歌と一定の距離を保ち続けている。


 風歌は手裏剣を避けて踏みとどまりながら、柄から離した左手を懐へ寄越す。

 腰に差してあった拳銃を引き抜くと、狙いを定めて発砲した。

 真っ直ぐに飛んだ弾丸は朧の手元にある手裏剣を打ち砕き、塩酸を撒き散らせる。


 だがその時には、朧の姿はそこにはなかった。

 まるで瞬間移動のように、その場から姿を消したのである。


 「どこに消えやがった……!」


 周囲を見渡す風歌の顔面に、一本のクナイが襲撃してきた。

 飛んできたクナイをギリギリで避けた風歌だったが、地面に突き刺さったクナイの柄がポキリと折れる。

 中からは、ガスの漏れ出る音。


 「またっ……!?」

 「そう。『また』だ」


 クナイの飛んできた方向から現れた朧の手には、火の付いたマッチ棒が握られている。

 彼がそれを風歌の元へ投げると、マッチ棒の火が再び眩い輝きを放った。


 ――――――ッ!!!


 廊下を飲み込む大爆発。

 火傷しそうなほどの爆風に吹き飛ばされ、風歌は数度床を跳ねる。

 凄まじい勢いで床を打ち付け、打撲の痛みが彼女の全身を襲った。

 

 「ちく、しょう……」


 2度の爆発を貰った風歌の体はボロボロになっている。

 腕を立てて上半身を起き上がらせると、朧の姿は再び消えていた。

 これだけ消耗した状態で、逃げ足だけは速い忍者を正面から相手するのはどうしようもなく厳しい。


 「一旦、逃げるか」


 肩で息を切りながら、風歌は静かにそう呟いた。


 放たれた手裏剣を回避したと同時に、風歌は後ろに向かって走り出す。

 朧が追ってくることなど気にせず、ただひたすらに廊下を走った。

 向かう先は、署内に存在する非常口。

 壁を蹴り、時には転がって朧の飛び道具を避けていくうちに、ついに非常口へと辿り着いた。

 

 「えっ!?」

 

 が、ドアノブをひねっても反応が無い。

 非常口は朧によって事前に、外から鍵が掛けられていたのだ。


 「だったら、たたっ斬る!」


 風歌は舌打ちをしつつ刀を両手で握り、非常口を叩き斬る。

 綺麗な斜めの筋が通った非常口を、前蹴りで破って外へ飛び出した。

 だが、しかし。


 「ッ!?」


 外へ飛び出した風歌を待ち構えていたのは、大量の自動機関銃セントリーガンが向ける銃口だった。

 飛び出した風歌に反応した自動機関銃セントリーガン達は、彼女へ向かって一斉射撃を仕掛ける。


 「ちいっ!!」


 風歌は苛立ちを剥き出しにして身を翻し、署内の陰へ背中を預ける形で身を隠した。

 その際、脹脛ふくらはぎに一発の弾丸を貰ってしまう。


 「ッ……!」


 大量に分泌されているアドレナリンを貫通するほどの痛みが、神経を伝って風歌の脳を刺激する。

 鼓動に合わせて流れ出る血液の先には、朧が腕を組んで佇んでいた。


 「全ての非常口に自動機関銃セントリーガンを仕掛けてある。残念だったな」


 背後……非常口の方へ行けば自動機関銃セントリーガンが。そして前方には朧がいる。

 蟻地獄に落とされた蟻の如く、風歌は完全に追い詰められていた。

 トドメを刺すべく、朧が手裏剣を構えながら刀を抜く。


 痛む左脚を引きながら、風歌はゆっくりと立ち上がった。

 出血も多く、半分ほど意識が朦朧としている。

 

 こうなりゃヤケだ。

 どのみち前へ進むしか、戦うしかねえんだ。

 

 震える手で刀を握り直すと、風歌は朧へ向かって突進を仕掛けた。

 朧から手裏剣が放たれた事を確認すると同時に低い姿勢で床を踏み、壁へ向かって跳躍する。

 痛む左足を壁に付けると、それを補助する形で手を壁に付けて蹴った。


 壁を蹴って加速した風歌は、空中で身を回転させながら斬撃を放つ。


 「無駄な事を!」


 朧は空中からの斬撃を刀で受け流し、返しの一撃を放った。

 寸でのところでそれを弾いた風歌は、その勢いを利用して朧の頭上を通過し、反対側へ着地する。

 非常口を背にした状況から、脱することに成功したのだ。


 風歌は着地と同時に拳銃を抜き、朧に向かって2発の発砲を行う。

 弾丸は両方とも、朧の胴体に命中した。


 と、そんな筈はなく。

 そこに残っていたのは、朧の忍装束だけ。


 朧は再び『変わり身の術』によって、風歌の銃撃を回避していたのである。

 風歌の攻撃を避けた朧は、彼女の背後へと回り込んでいた。


 だが、しかし。


 「なッ……」


 風歌は既に背後を振り向いて、朧の心臓を突き刺していた。

 まるで彼が、確実に背後へ回ってくると分かっていたかのように。

 忍装束越しに動揺を隠せない目を見せた朧へ、風歌は息を切らしながら得意げな表情を見せる。


 「背後へ回り込まずに後ろへ下がっていれば、私の背中を攻撃できた。だがお前は予想通り、下がらず私の背後へ回り込んできた。もし下がる距離を見誤れば、今度は自分が自動機関銃セントリーガンと私に挟まれるからなあ?」


 刀越しに、朧の弱っていく心音が伝わってくる。


 「忍者は賭けをしない、だっけ? 臆病者は、ここ一番で賭けをしてくる奴に食われちまうんだよ。地獄で暗記しておきな」


 そう告げた風歌は持っていた拳銃を朧の額に向け、ゆっくりと引き金を引いた。


 カチッ。


 だがトリガーの引く乾いた音だけが響き、発砲音は鳴らず。

 もう一回引いても同じ音。拳銃はちょうど、弾切れを起こしていた。


 「ありゃ、締まらないなぁ」


 残念そうに眉をひそめてそう呟いた風歌は、朧の胸部を蹴って心臓から刀を引きずり出す。

 翻って横一文字を放ち、その首を弾き飛ばした。

 大きな朧の体が、完全に力を失って倒れる。


 「はあ、はあ、はあ……」

 

 『六牙将』と『大忍』とを連続して相手した風歌は、ひどく疲れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る