第2話 蓮の葉揺らすつむじ風
吹き出す血液にバランスを奪われ、男は思わず片膝をついてしまった。
前方に顔を向けると、前蹴りを食らったにも関わらず
男の額に、一筋の汗が伝った。
風歌は顎に手をやり、自身が斬った男の右脚をまじまじと観察している。
「うーん……ちょっと浅かったかな?」
呑気な口調でそんなことを呟きながら歩みを近づけ、風歌は追撃として突きを放った。
片膝の状態ながらも何とか受け流し、男は出血を堪えて立ち上がる。
風歌が言った通り、出血も傷の深さも機能不全に陥るほど深くはない。
まだ、戦える。
下から振り上げるような刀を放ち、近付く風歌の足を一歩だけ後ろへと退かせた。
その一瞬を使って左足を大きく踏み込み、返した刀で袈裟斬りを放つ。
「おっと!」
上体を反らせて紙一重の回避を行った風歌が踏み込み返し、カウンターの斬撃を放った。
引いた刀で何とか受け止めたものの、鍔迫り合いに持ち込まれてしまう。
「くッ……!!」
風歌の小柄な体躯からは考えられないような強気の押しに、男は後ずさりを許してしまった。
片脚を負傷していることもあり、一つでもバランスを崩せば重傷は免れないだろう。
そんな鍔迫り合いの中で、風歌の興味は鍔迫り合っている刀に向かっていた。
重ね合った鋼に顔を近付け、刀剣の放つ鈍い光に顔を
「悪くはないね、この刀。何て名前なの?」
風歌の質問に、コートの男は汗を流しながらも淡々と言い返す。
「
「かもね。けど、私の愛刀を取り戻すための繋ぎくらいなら、使ってあげてもいいかも」
風歌はそう言うと、突如力を抜いて鍔迫り合いを崩しにかかった。
男は一瞬バランスを前方へ崩してしまったが、傾いた上半身を体当たりとして利用する事で攻撃に転換させる。
突き飛ばされた風歌は後転一回りを行った後、片膝を立てて向かってきた男の刀を弾いた。
擦り足で少し後ろに下がりながら、男が放つ力強い連撃をいなしていく。
刀を受け止める度に重い鋼の音が響き、伝わる振動が風歌の神経を突いた。
太刀筋にキレがあり、多少の傷を負っても立ち回りを変えてカバーする。
『六牙将』ではないようだが、この男も相当な手練れなのだろう。
だが、彼が立ち合っている相手は『それ以上』なのだ。
男が上段から刀を振るったその時。左腕に赤い筋が走り、血が弾ける。
そしてそれは一筋だけでなく、2本、3本と彼の腕に傷を作り始めたのだ。
「なッ!?」
「そらッ!!」
風歌は受け止めた刀を引いて男の体幹を崩し、渾身の刀を振り下ろす。
出血による脱力と、いつの間にか傷を入れられていた事への動揺とが重なり、男が咄嗟に構えた刀はあっさりと弾かれてしまった。
「く!」
弾いたタイミングで風歌は右手を柄から離し、手を開いたまま脇を締める。
次の瞬間。
男の顔面に、風歌の掌底が突き刺さった。
「ぐあぁ......っ!!」
その一撃に、今までポーカーフェイスを貫いていた男が思わず声を上げ、顔面を押さえて後ずさりをしてしまう。
それもそのはず。掌底の際に、男の左眼へ風歌の薬指が突き刺さったのだ。
引いた風歌の右手薬指には、第二関節ほどまで血液が纏わりついている。
男の眼球は潰れ、凄まじい量の血が漏れ出ていた。
「はぁー……っ、はぁー……っ!!」
荒い深呼吸と共に左眼を強く手で押さえ、何とか痛みを和らげようとする。
彼が悶え苦しむその様子を、風歌はただニヤニヤと観察していた。まだ幼ささえ感じるその姿からは、想像もつかないような残虐性である。
「はぁー…………、はぁ」
脳から分泌されたアドレナリンによって痛みの感覚が減り、僅かだが男は落ち着きを取り戻した。
まだ開いている方の目でじっと風歌を睨みながら、押さえていた手を外して腰に持っていく。
すると男は刀を持ち上げ、ゆっくりと腰に差してある漆の鞘へ納刀した。
武器を片付け始めるという不可解な行動に首を傾げた風歌を無視して、男は震える右手をコートのポケットに突っ込ませる。
ポケットから取り出したのは、しわくちゃになった
先端が潰れている煙草を箱から取り出すと同時に、反対側のポケットからライターを取り出す。
ニ、三度点火に失敗した後、ようやく煙草に火が付いた。
ライターを片付けながら、男はそれを口へ持っていく。
「……はあ」
煙草を吸って一息吐くと、彼は風歌へ背を向けた。
戦う事を放棄したのだろうか。待つことに退屈した風歌が刀を握り直した、その時だった。
耳を圧殺するような爆音でサイレンが響き始め、ゴムタイヤがアスファルトを削る音が鳴り響く。
それも、四方八方から。
「!」
あっという間の出来事だった。
周辺のあらゆる道路からワンボックスカーのような形をした警察車両……遊撃車が現れ、男と風歌の2人を囲う形で滑るように停車させる。
停車とほぼ同時に後部扉が開き、中から武装した警察隊が次から次へと飛び出した。
これもまた2人を囲う形で隊列を組み、身の丈ほどもあるライオットシールドを構えてこちらを威嚇している。
その数、ざっと見て30人以上。
「あ〜……ちょっと遊びすぎたかな」
頭を掻きながら、風歌は苦笑いを浮かべた。
男は背を向けたまま煙草を吸い、彼女に告げる。
「俺の役割は『武装警察隊が到着するまで時間稼ぎをすること』だ。ハナっからお前に勝てる見込みで斬り合うほど、
それだけを告げると、到着していたパトカーの後部座席にふらふらと乗り込んだ。
中で男が手当てを受けながら、男を乗せたパトカーが遊撃車を縫って去っていく。
道路に残ったのは30人以上もの武装警察隊と、そのど真ん中に立つ風歌のみ。
眩しいばかりの晴天だった空もいつの間にか雲が増えてきており、それと連動するかのように風歌の気分も悪くなり始めていた。
丸く大きかったその瞳は周辺の警察隊を
「この数は、流石に……」
統率の取れたライオットシールドの輪が、徐々に狭まってくる。
その様子を見た風歌は肩を落とし、脱力した状態で呟いた。
「私のこと、舐めすぎなんじゃない?」
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