花武器厄者 大太刀回り

染口

第1話 歩く姿は太刀の花

 拉麺ラーメン屋の店主は神妙な顔をしていた。

 彼が神経を尖らせて拉麺を作るような真面目な職人である……というわけではない。

 換気扇の音が目立つほど静かな店内で、彼は目の前で麺を啜る少女を見ていた。


 十代半ばといったところか。艷やかな茶色の短髪をポニーテールでまとめており、その身にはだいだい色の鮮やかな着物を羽織っている。

 肌は透き通るほど白く、まるで人形のように美しい。それでいて、年相応のあどけなさが残る顔立ちを有していた。


 「ごちそうさま!」


 少女は拉麺を食べ終えると水を飲み干して手を合わせ、食事の終わりを告げる。

 満足げでニコニコした顔の彼女に、店主は恐る恐る口を開いた。


 「あの……」

 「あぁ、お金?」


 ちらりとこちらへ顔を向けた少女に、店主は肩を跳ね上げる。

 滝のような汗を流し、両手と首を必死に振って引きった笑みを見せた。


 「い、いえ、お代は結構ですよ!? 大丈夫ですから......」

 「美味しい拉麺を作ってくれたんだから、お金は受け取ってよ〜」


 怯えたような目を向ける店主に向かって、少女は少しむっとした表情を見せる。

 下から柔らかく放り投げる形で、店主に向かって何かを投げ渡した。

 弧を描き、店主の胸元へ飛んでいく。

 

 慌てて受け取ったそれは、えらく使い古され草臥くたびれている折りたたみ式の革財布だった。

 ボロボロに擦れたその財布を見て、店主はさらに表情を硬くする。

 それはどう見ても、目の前の少女には似合わないものだったからだ。


 整った顔立ちに、鮮やかな着物姿。

 そんな少し浮世離れした外見の彼女が持つには、この財布はあまりにも貧相すぎる。


 少女は店主が財布を開くよりも先に席を立ち、財布の事などどうでも良い様子で店の出口へ向かった。

 呼び止めようと口を開いた店主の顔は、次に現れた光景を目にして凍りついてしまう。


 「!」

 

 少女が店を出ようとしたその時、ちょうど店に入ろうとした男性客が現れたのだ。

 少女と男性客は出口でぶつかってしまい、両者の足が一瞬だけ止まる。


 そして、次の瞬間。


 男性客が口から血を吐き出し、白目を剥いて痙攣けいれんを起こした。

 壁に寄りかかりながらずるずると崩れていく男性客が立っていた場所には、を握る少女の右手がある。


 「邪魔だなぁ」


 脇差しを握っていた主……着物の少女は倒れた男性客をスニーカーで踏み付け、その上を跨いで外に出ていく。

 店主はそんな衝撃的な一部始終を、ただ見送る事しかできなかった。

 

 「あ~あ、美味しかった」


 満足げな笑みを浮かべ、少女は手に持った血濡れの脇差しを肩に担ぎ、もう片方の腕で軽く伸びを行う。


 そんな彼女の周辺……拉麺屋の入口付近には、十数人もの人間が血溜まりに伏していた。


 

 彼女の名はたちばな 風歌ふうか


 危険度『A』に指定されている、超がつくほどの凶悪犯罪者である。





 

 昼下がり。ビルの隙間から差し込む陽が、アスファルトの大通りを暑く照らしている。

 道行く人々の視線は、道の中心をのんびり歩いている風歌へ強く注がれていた。


 橙色の着物を着た少女、というだけでも珍しいのに。それが返り血で紅い模様を作り、その右肩に脇差を担いでいるとなると、意識を避ける方が難しい。

 ただならぬ気配を察して人々が避けていく中、正面から歩いてくる彼女に気付かぬ対向者がいた。


 携帯端末に夢中で前方を見ていないその男は避けることなどそもそも頭になく、そしてそんな彼を真っ直ぐ捉えているにも関わらず、風歌には避ける気配が全くない。

 両者が正面衝突する直前、彼女の手元が動いた。


 担いでいた脇差を下ろす動作と共に、男の上半身へ荒い袈裟斬りを放つ。

 斜め一閃の斬撃で肉が裂け、弾けるように鮮血が散った。

 男がその一撃を認識するよりも早く、引いた脇差を喉元へ突き刺す。


 千切るように脇差を横へ振るうと、首の左半分がザクロのように裂けた。

 綺麗な切り口から吹き出る激しい出血が、アスファルトを朱色に染め上げていく。

 スニーカーで男の下腹部を押し、一瞬で死体と化した彼をモノのように倒した。


 突然起こった惨劇に悲鳴が飛び交う中、風歌は目の前に敷かれた死体を踏み越え再び歩いていく。

 人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ始め、広い道路にただ風歌だけが残る形となった。


 いや。


 一人だけ、風歌以外の人間がその場に立っていた。

 それも彼女の正面に位置する場所で、仁王立ちをして。


 「危険度『A』の極悪人……『辻斬り太刀花』。数々の強盗殺人を犯した罪を償ってもらうぞ」


 立っていたのはカーキ色のコートに身を包み、黒いボーラーハットを被った男だった。

 コートの隙間から見え隠れする漆の鞘が、その落ち着いた口調とは裏腹に強烈な殺気を放っている。

 

 茶色のポニーテールが軽く揺れるほどの殺気を正面から浴びても、風歌は表情1つ崩さなかった。

 むしろその顔は、遊び相手を見つけた子供のように輝きを現し始めている。

 肩に担いだ脇差を握り直し、口の端を持ち上げ歯を見せた。


 「良いリハビリになりそう」


 風歌が独り言のようにそう呟いた瞬間。

 スニーカーで地面を蹴り、一瞬で男に接近する。


 担いでいた刀を下ろし、潜り込むような姿勢から切り上げを放った。

 男は落ち着いて片足を引き、風歌の初撃を受け止める。

 甲高い音と共に散った火花が、この一撃の威力を端的に表していた。


 風歌の脇差を受け流した後、男は素早く切り返す。

 脇差を両手に握り直した風歌は横一文字のカウンターを難無く受け止め、そこから更に二度の斬撃を弾いた。


 足を引き、一瞬だけ睨み合いの状況に持ち込んだ風歌は、男に一つ問う。


「そういえばさ、『六牙将ろくげしょう』の居場所とか知らない?」

「知らん」


 素っ気なく答えた男は足を踏み込み、上段からの刀を放った。

 風歌は軽やかなステップでそれを回避した後、続けて放たれた横薙ぎ一閃を脇差で受け止める。


「一応聞いておくが、『六牙将ろくげしょう』に何の用がある」

 

 数合の打ち合いを続けながら、男が風歌に質問を返した。

 待ってましたとばかりに笑みを見せた風歌は男の刀を強く弾くと、男に指を向け、自身の『目的』を口にする。


「全員殺すの!そして平穏な生活を、手に入れる!!」


 夢を語る子供のような輝きを放ちながら、風歌はそう言った。

 その輝きを持って発するには、あまりにも血生臭すぎる目的を。


「言っていることが、矛盾しているように思うが」


 呆れたような男の言葉に対し、風歌が持論を展開して反論を行った。

 

「そんなことないよ。だって警察機関最強って言われてる『六牙将』を全滅させることができたなら、そんな人間に誰も手を出そうとは思わないでしょ?そうなれば、私は追われることなく平穏に生きられる」


 そんな彼女のおしゃべりを静かに聞いていた男はボーラーハットを押さえ、聞いたことを後悔したようにため息を吐く。


「やはり罪人の思考回路は、理解ができんな」


 彼はそれだけを呟き、腰を落として刀を引いた。

 風歌の放った斬撃を素早く弾くと、鋭い前蹴りを彼女の腹部へお見舞いする。

 風歌の身体はくの時に曲がり、慣性に従って後方へと吹き飛んでいった。


 追撃をかけるべく脚に力を込めた男だったが、そこで彼は気付いてしまう。


 右大腿だいたい部の上辺にひび割れるような線が走り、僅かな鮮血が飛ぶ。

 それに連動する形で脹脛ふくらはぎからも出血が発生し、男の右脚から力を奪い始めた。


 そう、気付いてしまったのだ。一見互角に戦えていたこの数合の打ち合いは、彼女にとって単なる『お遊び』だったのだと。

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