第3話 鴉を回して裏街道

 拡声器で、何かを喚いている。

 武装の擦れる音が、がちゃがちゃとノイズを発している。

 全部、風歌にとってはどうでも良かった。


 手に持った脇差を引き、腰を落として膝を曲げる。

 迫り来るライオットシールドの輪の一角へ、地を蹴って距離を詰めた。


 「!」

 

 盾を構えた警察隊が動き出す直前、風歌は低い姿勢を取ったまま、脇差を地面に突き立てる。

 地を強く踏み、前方に働かせていた慣性を真上へ跳ね上げた。

 

 切っ先から柄まで垂直に立った脇差を支えに、風歌の体が真上へ飛び上がる。

 棒高跳びの要領で跳躍した風歌の手元が、射し込んだ僅かな光に反射して空中で閃いた。


 風歌の動きを追って真上に構えられた盾を踏み台に、彼女が片足を着地させる。

 途端、左右に立っていた隊員の首が弾け飛んだ。

 一つ遅れて血が吹き出るほどはやい斬撃を放ったのは、彼女が真横に構える打刀うちがたな――


 業物わざもの泣鴉なきがらす』。


 鳥という生き物は、主に「地鳴き」「さえずり」という2種類の鳴き声でコミュニケーションを取っていると言われている。

 オウムやカケスなどが音を学習して再現する「鳴き真似」など、その2種類とは別枠の鳴き声も存在はするが、それでもせいぜい数種類だ。

 

 その一方で、からすの鳴き声には数十種もの使い分けが存在すると言われている。

 回数や伸ばし方などを用いて警戒、威嚇、安全確認、遠方移動の合図など、知能が高い鴉特有の幅広いコミュニケーションだ。

 

 この刀は、そんな鴉の繊細な部分を表現したもの。

 音もなく両側に立っていた者の首を飛ばし、いつの間にか鞘に収まっている。

 羽毛の如き、軽やかな刃なのだ。

 

 踏み台にしている盾へ力を込め、風歌は再び跳躍する。

 空中で翻った後、警察隊の輪の外に足を着地させた。

 そのまま地を蹴って、隊列を崩した警察隊から距離を離していく。

 元々の身体能力に加え、打刀一本を装備した風歌と重装備にライオットシールドを構えた警察隊とでは、距離が生まれるのにそう時間はかからなかった。

 警察隊が行き詰まっているうちに路地裏へ駆け込み、彼らをあっさりと撒いたのである。

 




 陽の当たる大通りとは対照的に、建物の影で暗く覆われた陰鬱な裏通りへ到着する。

 道端に散らかっているゴミの数々、コンビニチェーンくらいしか明りのないシャッターの並びが、この裏通りの治安を良く表していた。


 「ここまで来れば大丈夫かな? 私を捕らえるには、あの数は少なすぎたね」

 

 走って少し乱れた息を整えながら、警察隊を撒いた事を確認した風歌は得意げな笑みを見せる。

 だがそんな微笑みは、すぐに失われた。


 「?」


 風歌はきょとんとした表情を浮かべ、聞こえてきた『声』に耳を傾ける。

 耳に入ったのは、揉めるような男女の声だった。

 だがその様子は対等な関係のそれとは到底感じられず、どこか一方的な様子。

 なんの気まぐれか、風歌はその声が聞こえてくる方向へ足を運ぶことにした。


 回転草のように転がっていくゴミの袋を避けながら、暗い道を進んでいく。

 聞こえてくる声は徐々に近付いていき、とうとうその正体を発見した。


 裏通りから枝分かれした、さらに裏の道。

 人が3人並べば通れなくなるような細い道の先で、中学生くらいの女が数学年ほど年上の男に詰め寄られていた。

 飛び飛びで話を聞くに、どうやら男が女に金銭を渡すようしつこく迫っている様子。

 女の怯えた表情から、2人のいびつな関係がうかがえる。


 「……」


 その様子を突っ立って見ていた風歌は小さなため息を吐くと、ゆっくりとした足取りで細道に踏み入った。

 別に迫られている女が、可哀想だと思ったわけではない。

 2人の理不尽な関係に、何かを思い出したわけでもない。

 ただ、風歌が見たその光景は。


 なんとなく、『不愉快』だったから。


 静かに響くスニーカーの音に反応し、男が風歌の存在に気付いた。

 穏やかな表情のままこちらにやってくる風歌に対し、男は鋭い視線を彼女にぶつける。


 「なんか用かよ」


 低い声で吠えるように圧をかけるも、風歌は反応しない。

 脱力した状態のまま、マイペースな足取りで男の前に歩を進めた。


 そして、次の瞬間。


 紙芝居のような速さで抜かれた刀が、男の上半身を斬り上げる。

 放たれた逆さ袈裟を無防備に受けてしまった彼は上半身を内臓ごと切断され、滝のような血液が溢れ出した。

 男の口から勢いよく吐き出された血を避けた後、倒れてきた男の死体を半身になって避ける。


 「……」

 

 あまりにも衝撃的な光景だったからか、それとも速すぎて反応する暇も無かったのか。

 一部始終を見ていた女は目を見開いたまま全身を硬直させ、悲鳴1つすら上げることが無かった。

 そんな彼女の様子など気にも留めず、風歌はその場を立ち去ろうとする。


 「あ……ありがとうございます」


 女は収縮した喉から、なんとか感謝の言葉を絞り出した。


 「気にしなくていいよ。じゃあね」


 背を向けたまま左手を持ち上げ、風歌がその感謝に応える。

 風歌が細道から出ていった途端、金縛りが解けたかのように身体の自由が効き始めた女は、急いで彼女の後を追った。


 「あの……本当、ありがとうございました!」


 風歌に追いついた女は、彼女に並びながら再度の礼を述べる。

 風歌の前に回り込み、今の行動で自分がどれだけ救われたのかを語り始めた。


「彼、かなり危険な人で。その気になれば親に手をかけるなんて脅されて、ずっとお金を取られていたんです」

「ちょっと、どいてよ」


 風歌はそんなことちっとも興味がない。

 前へ立たれた事に苛立ちを示すも、女は受けた恩を無下にはできない様子。


 「本当に助かったんです。だから、何かお礼をゔうッ……!?」


 だが女は、言葉を最後まで紡ぐことができなかった。

 その腹部に、刀が深く突き刺さっていたから。


 「どいてって、ちゃんと言ったのに~……」


 眉をひそめながら、風歌はそう言って刀を引き抜いた。

 女は困惑と絶望の表情を貼り付けたまま、自身が作り出した血溜まりへゆっくりと横たわっていく。

 手首を返して刀を払い、纏わりついていた血を弾き飛ばした。

 肘を曲げ、袖に刀を挟んで残る血を丁寧に拭う。

 

 真っ赤に染まった袖を見て、風歌は小さく息を吐いた。


 「1回洗わないとだね、この着物」


 次々と人を斬ってしまったおかげで、鮮やかだった橙色の着物はすっかり赤黒い斑点で覆われている。

 新しい着物でも買おうかな。

 そう決めた風歌は、路地裏から再び表通りへと繰り出した。

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