第4話 イケナイコト

 女子のグループは大抵ボスがいる。


 男子のグループは個人の集合体って感じなのに、こっちははっきりしたピラミッドか、悪ければ剛腕のワントップということもある。


 だいたい発言権のある子は決まっていて、周りは「そうだよね」と返すだけ。


 ここがサバンナならわかる。


 トップは決まっていた方がいい。


 群れで暮らす生き物には、オメガ個体というのが発生するそうだ。


 体が弱かったり、小さかったりして、排除した方が集団のためになる場合は、みんなでそれを攻撃する。


 人間社会の身分制度も、そうやって社会を円滑にしたくてできたのだろうか。


 私もそういうことなんだろうか。


 いつもは仲良く良好な関係を装ってるけど、ふとしたきっかけで、周りには気づかれにくい嫌がらせを受ける。


 お昼ご飯だって、こうやって中庭で一緒に食べているけれど、あっさり飲み物を取り上げられたり食べてる物に砂をかけられたりする。


 みんな大変楽しそうに、にやにやへらへら私を見て笑う。


 そんな顔を見ているといつも、抗いがたい睡魔がやってきて、崩れ落ちるように寝てしまうのだ。


 気がついたら桜の木の下に取り残されていた。


 大きく広がった枝が、秋の風に茶色い葉を揺らす音で目を覚ましたら、相変わらず美しく整えられた春田さんのワインレッドのロングヘアも、風と遊んでいた。


「……春田、さん?」


 幹に寄りかかり、昼食を取り落としたまま眠っていた私の正面、少し距離をとって、彼女は禿山になった芝生の上に正座していた。


 アルミホイルに包まれた大きなおにぎりを両手で持って、もぐもぐと口を動かしながら、まるで私を食べてるみたいに、こっちを見てる。


 大きく口が開いて、真っ白なおにぎりに歯があたって、かじり取られる。


 口の中で租借されてくのが私の一部みたいに思えて、なぜか気持ちよかった。


「……ねえ、いつもお昼、どこで食べてるの?」


 なんとか声を搾り出すと、春田さんはじっと私を見たまま首をひねった。


(決まった場所はないのかな。猫みたい)


 私は彼女の様子が本当に野良猫に思えてきて、おかしくて肩をゆすった。


「明日からさ、一緒に食べない?」


 そう言いながら、私は気怠そうに木に寄りかかったまま、じっと春田さんを見つめ返して続けた。


「誰も来ない場所で、二人っきりで……」


 途端に彼女はおにぎりを取り落としそうになった。


(気持ちいい……)


 目を閉じて大きく呼吸する。


 どきどきしてるのに、頭がさえていく感覚。


「いい場所知ってる?」


 小首をかしげて尋ねたら、しばし視線を泳がす間があって、小さくうなづいた。


 本当に私に対しては無口なんだな。


 何を考えてるのかさっぱりわからない。


 他の人とは普通にしゃべってるの、知ってるんだから。


 ちょっと寂しい。


「どこ?」

「……屋上」

「入れるの?」


 春田さんは、また無言でうなずいた。


 屋上への扉はみんな鍵がかかってると聞いたことがある。


 ということは、きっと悪いことするんだ。


 そう思ったら胸が高鳴った。


 今のこの状況だって、十分よくないことのように思うけれど。


 翌日、昼休みになった瞬間、私は教室を抜け出した。


 誰にも止められないように素早く廊下を歩いていく。


 家の近所のパン屋のビニール袋をぶら下げて、向かったのは別館最上階の端っこにある第二視聴覚室。


 軽音部の部室だ。


 春田さんはすでに入り口のところにいて、待っててくれた。


 おまたせ、って言うように笑いかけたら、うなずかれた。


(このコミュニケーション、合ってるのかな……?)


 などと能天気なことを考えていたら、次の瞬間凍りついた。


 春田さんが開けた扉の向こうには、異世界が広がっていたから。


 五、六人の男女と、煙草の煙と大音量の音楽。


 『不良の溜まり場』なんて古臭い言葉だと思っていたけれど、辞書を引いたら載っていそうなほどの不良の溜まり場がそこにはあった。


 先を行く春田さんから離れるのが怖くて、思わず彼女のカーディガンの裾を掴んだら、気がついた彼女が私の手を取って大股で歩き出した。


(手、つないじゃった……)


 正しくは手首をつかまれた、だけど。


 部屋の奥には簡素な扉がついていて、それを開けると、なんとそこは屋上だった。


 私が思っていた屋上は、さっき登ってきた階段をもう一階分上がった先のことだったのだけれど、フェンスに囲まれ給水棟が鎮座するこの狭い空間も、確かに屋上だ。


 ロの字型の通路の奥の一辺は、給水棟で視界がさえぎられてまるで二人きり。


 私に座って欲しいのはどうやら、一段高くなっているフェンスの足元らしい。


 ちょうどいい腰掛になった出っ張りに、きれいに畳まれたビニールシートがかけてある。


 足元には別のシート。


 用意周到すぎて笑ってしまう。


「これ、春田さんが?」

「……ここ、あんまきれいじゃなかったから。ちょっと掃除した」

「ありがとう」


 用意してもらった特等席に腰を下ろして、もじもじと立ち尽くしている彼女に微笑みかけたその瞬間、彼女の口元が、にやりとした。


「え?」と思う間に手で隠されてしまう。


 怖いとか、気持ち悪いとかはなくて、今までほとんど動かなかったその表情が、私の前で変化したことが嬉しかった。


「なーに?」


 わざとらしく甘い声を出すと、口元を押さえたまま何度も首を振られた。


 あんまり困らせたくないから、私はいつもどおりに戻すことにした。


 必要以上しゃべらないで、彼女の見たいように見てもらう。


 いたって自然に、膝にパンを乗せてジュースを取り出して、ストローを差して一口飲む。


 ふと見れば、春田さんはまた正座だった。


(足、痛くないのかな……)


 聞きたいような、話しかけちゃいけないような。


 食事に集中しようとしても、見られていると思うとなかなかうまく食べられない。


 それで私はむしろ、わざと唇にたれたサンドイッチのソースを舐めたり、ストローをゆっくりくわえたりしてみた。


 これは演技だから見られても緊張しなくていい、と自分に言い聞かせる。


 一体何をしてるんだと冷静になりかけたが、春田さんが自分の食事を忘れて見入っているのに気がついて、一気に体温が上がった。


 視線を送ると、見つめられる。


 最初はあんなに恥ずかしがっていたのに、彼女は私より先に視線を外さなくなった。なんだか負けた気がする。

 

 もしかして私のほうが春田さんのこと、気になっちゃってるのかな。


 彼女は私を見てるだけで満足してるみたいだけど、私は、違う。


 ドキドキして、すごくいやらしいこと考えてる。


「春田さんのおにぎり、おっきいね」


 黙っていると、余計なことを考えてしまう。


 この空気はもう、私にとって毒だ。


「ああ、うん」


 気を散らそうと話しかけたけど、彼女の反応はいつもどおり素っ気なくて笑ってしまう。


 でも、ほんの少しの間、彼女はもう一度口を開いた。


「時間なくておかず作れないから、最近はこの中に入れちゃってるの」

「お弁当自分で作ってるの?」

「……うん」


 春田さんは驚いた様子でうなずいた。


 彼女が台所でおにぎりを作っているところを想像したら、可愛くてたまらなかった。


 私たちは結局それ以上会話することなく食事を終えて、合流した廊下まで送ってもらい、私だけが手を振って別れた。


 

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