第3話 もっとシテいいのに

 翌朝、私は昇降口で立ち尽くしていた。


 ギターケースを背負って上り框にうずくまってるのは、紛れもなく春田さんだった。


 膝を抱えて頭をうずめてるから、寝ているのかもしれない。


 短いスカートの下から、派手なハーフパンツが見えている。


 声をかけようかためらっていたら、背後から寄ってきた集団に、振り回した鞄で背中を叩かれた。


「うあぁっ」


 大声出して腰を押さえたままよろめいたら、爆笑の渦が起きた。昨日私を置き去りにしたクラスメイトの嫌な声が四つ。リアクションが大きいからおもしろがられるんだろうか。


 振り返って抗議しようかと思ったら、顔を上げたところで春田さんと目が合った。


 見られてる。


 体の中まで見透かされてしまいそう。


 その一瞬は私にとって永遠みたいだった。


「なにすんだよー」


と、二人のことを知られたくなくて、いつもよりオーバーに笑いながら振り返ると、みんなくすくす笑って、口々にあいさつしたり世間話したりしてくる。


 ついさっきの暴力なんてなかったかのように。


 春田さんに向けた背中がじりじりする。


 普通にしようとするほど感じる。


(たまんない……)


 綺麗な顔した少女たちの、私に向ける白々しい仲間アピールも、私の上滑りする返答も、春田さんは見てる。


 ただ見てる。


 クラスの斉藤さんみたいに正義感ぶって助けてきたり、吉田さんみたいに優越感に浸るためにニヤニヤ見てるのでもない。


 ただ、見てる。


 それは、「私を見る」ということが彼女にとって重要だから。


 見てる。


 私を見てる。


 私だけを見てる。


 痛む腰をさすりながら集団の最後尾で教室に向かう私の後ろを、昨日みたいにずっとついてくる。


 私が教室に入るまで見送った春田さんは、自分の教室に向かったようだ。


 誰かに怪しまれたりしないだろうかと、彼女の下手なストーキングに内心ハラハラする。


 一日勉学に励んで、恒例の放課後サンドバックも終了して、何とか生き延びた。


 目が覚めたら、また春田さんと二人きりだった。


 今日の私は床で丸くなっていたようだ。


「……みんなは?」


 のんびり体を起こしながら聞いてみた。


「帰ったよ」


 彼女の返事はやっぱり無愛想だった。


「そう……」


 言いながらあくびをひとつ、大きく伸びをした。


 脇腹が痛む。


「寝てたの?」


 春田さんは不思議そうな声で聞いてきた。


 それが子供っぽくてすっごくかわいくて、口元が緩んだ。


「うん、疲れると寝ちゃうんだ。どこでも急に」


 微笑んで答えたら、彼女は明らかに一瞬悲しそうな顔をした。


 しばらくの静寂。


「……ねえ。今日も、見てくれる?」


 私が何もしてなくても、春田さんは相変わらず私を見つめてるから、耐え切れずにお願いしたら、無言で小さくうなづかれた。


 実際大した暴力は受けてない。


 軽くどつきまわして、私が寝落ちするのをおもしろがっているだけだから。


 今日は床に座って、彼女に見せる。


 昨日よりドキドキしてる。


 二回目は勢いじゃなくて確信だから。


 したくてしてる。


 私が、春田さんに見て欲しいから。


 視線が移動していくを感じる。


 私を見つめる春田さんの目を見ていたら、少しだけ目が合った。


 慌てるでもなく、また私の体を見回していく視線。


 ゆっくり移動しながら隅々まで見てる。まるで美術品を検定しているみたいに。


 床に落ちてる脱いだワイシャツを握り締めて、息が上がるのをこらえる。


 眠ってしまうときだって同じように動悸がしてるのに、これは違う。


 緊張してるのに、怖くなくて、もっと欲しい。


 全部見て欲しい。


「腕、上げて」


 言われるままに、右腕を上げる。


 わき腹をじっと見られて、終わる頃にそっと下ろす。


 反対側は言われなくても腕をどかした。


「大丈夫だよ。昨日のところが、まだ少し青いけど」


「……ありがと」


 これでおしまい。


 それ以上、特に会話もなく駅まで送ってもらう。


 この異様な行為に蝕まれていく感覚が、下腹部から全身に広がっていく。


 気持ちよくてもう十分おかしくなりそうなのに、欲の虫が騒ぎ出す。


 朝は教室まで見送られて、日中廊下を通るたび目で追われ、放課後秘密の時間を過ごして駅まで送られる。


 そんなんじゃ足りない。


 もっと欲しい。


  ◇


 この一週間でわかったことは、春田さんは大して変わった人じゃないってこと。


 友達も多いみたいだし、見るたび誰かと一緒にいる。


 そして、笑ってる。


 普通に。


 私の前では能面みたいなのに。



 軽音部はいわゆる『不良』の溜まり場だから近づくなって話はよく聞くけれど、春田さんはそんな気合い入ってるようには見えない。


 男女関係なく楽しそうにふざけ合ったりできて、ギターが弾けて、全身おしゃれで、でも体育はちょっとサボっちゃったりする美人。


 それが春田リツ。


 そうか、と思った。


 彼女の悪い噂は、私を小突き回している連中から聞かされたのだ。


 事実無根のささやきで、彼女のユニークさを軽んじて、評判を下げたいのかもしれない。


「そんな悪意、届かないもんね……?」


 五限目の暖かな生物室から、春田さんのいるF組が体育ではしゃぐグラウンドを見盗み見て、私は彼女に届かない声をかけた。


 ため息が漏れる。


 これって、恋でしょうか。


 ああ足りない。

 足りない足りない。


 もっと春田さんに見られたい。


 

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