第10話 幽霊体育館
鴫島西中学の体育館は、すばるの脳内イメージ図の5倍は立派だった。
ここを拠点に、すばるが属する剣道道場の支部が活動しており、今夕はそこに出稽古に来ていた。
「体育館がなかなかキレイなの。ぜひ一度おいでよ」と再三誘われてはいたが、実際に目にし足を踏み入れると、
(…しかしまあ、なんでこんなにゴージャスなの)と、ひたすら感心しかなかった。
建て替えられて3、4年というが、パリッとした外観に空調・LED照明完備、多目的フロアに更衣室はもとより防具などをあずける収納庫もある。外部希望者による放課後開放利用の枠が1週間すべて埋まっているというのも納得だった。
ここで剣道教室を主催する道場の先輩・吉村夫妻とその仲間たちも、
「地方行政の闇のにこごり」「ヴォルデモート城」と、立派すぎる施設を嬉しそうにくさすけれど、別に闇をあばくつもりはなさそうだ。まあ、別にいいけど。
案内図を探し、トイレの配置を確認する。おっと、ちゃんと教職員トイレもある。事前情報に間違いはなかった。
「真星です。よろしくお願いします」吉村妻の紹介のあと頭を下げると、「オネガイシマス」と、怒声めいた子供らのあいさつがすばるを襲った。
目立たず稽古に参加し、用を済ませたらさりげなく帰るつもりだったのに、いきなり目算が狂ってきた。
さすがにスピーチは辞退したが、本日の稽古の主役がすばるであるのは、彼女以外の全員にとって共通認識のようだった。
(なに、これー。ありがた迷惑ってこのこった)
立派な体育館以上にすばるの意表をついたのは、鴫島西道場少年少女部の活況だった。
道場びらきの直後には、1回の稽古に2、3人くれば御の字と聞いていたのに、本日の出席者は男女合わせて20人を超えていた。じわじわと増えてきたのだそうだ。これなら、稽古への参加を打診した際の吉村夫妻の態度だって納得できる。
すばるが「早い時間ってダメですか…小学生と一緒とか」と、尋ねたとたん、
「えっ、それ冗談じゃないよね?バンザイ」
「手伝ってくれるの?きてきて、いつくる?ずっとくる?」と、前のめりな歓迎をされ、なしくずしに小学生を指導する羽目になった。
なお、吉村妻はこう続けた。「ちなみに、うちの生徒たちにすばるちゃんを知らない子はいないから安心して」
「うえっ」
前々から吉村夫妻は、過去にすばるが対外試合で見せた活躍を詳しく –––– それもかなり大袈裟に –––– 伝えていたらしかった。
そのためか、初見参の彼女に向けた小学生たちの視線は、アイドルか特撮ヒーローに対するように熱い。
これほど注目されると、七瀬とのスマホごしの連絡がやりにくくて仕方ないが、(有名税ってやつね)と、思うことにした。
事前情報どおり、体育館にはモダンダンス部がいた。
時刻は下校時間を過ぎても、まだ練習は続いていた。少年少女部の準備運動を手伝いつつ、すばるは目の隅で状況を探った。
赤岩先生もいた。腕組みをし厳しい目つきで生徒たちの動きを見つめる。
決して体格は大きくないのに、放つ雰囲気は剣道側のだれより威圧感がある。広いフロアの反対側には、フルコンタクト系空手道場も稽古中だが、そこのマッチョな師範が穏やかそうに思える。
「ビビらないようにしないとね」と、近くにいるはずの七瀬にささやく。
今夜のすばると七瀬は、彼女らなりに覚悟をして中学校に乗り込んでいた。
目的はひとつ。赤岩教諭を震えあがらせること。
七瀬は真っ向正面から化けて出て、彼女を脅し怯えさせる。すばるはその支援にあたる。
馬鹿馬鹿しいプランに違いないが、姉妹は真剣だった。
不安材料はある。その筆頭は先日、すばる自身が赤岩本人と顔を合わせ数秒間シンクロしてしまっていたこと。
どこにでもいる少女ならまだしも、すばるの体躯と顔立ちは印象に残りやすい。コーヒー店にいたあいつか、と勘づかれたらあとあと面倒である。
とはいえ、本日のすばるの出立ちは先日とは全く違った。
稽古着に頭を手拭いで覆った典型的剣道女子スタイル、ノーメイク。おそらく遠目には男子に見えているのではあるまいか。
事実、赤岩教諭に出くわした際、緊張しつつ黙礼したが、さらりと無視された。
準備体操を終え、面をつけないままの素振りがはじまった。
すばるはつい、いつもの調子で大声をはり上げ本数を数えた。道場内では「吠え声」とあだなのつく動物じみた掛け声だ。
小学生たちは呆気に取られたり笑ったりし、吉村夫妻はにやにやしている。
(しまった。自分から注目浴びてどうする)
だが、急に音量を落とすのも一段とバカみたいだし、すばるはそのままカウントを続行し竹刀を振るった。すると、追いかけるように小学生たちの威勢があがり、20余人が声をあわせ懸命に素振りを続けた。
すばるの道場の素振りは師範の方針で、一般的な基本に加え、いわゆる古流から採った動きまで含めて念入りに行う。
調子の出てきたすばるが、子供たちをはげましつつ絶叫とともに竹刀を振るっていると、だんだん全員の息が合ってきて、いつしか掛け声は周囲を圧するほどになった。
ダンス部勢は何ごとかとこちらを見るし、さらにその向こうの空手道場勢は小学生に負けるなとばかり、激しい気合いとともに宙空を突いたり蹴ったりしはじめた。
体育館にすさまじい掛け声の響く中、横に回ってきた吉村夫が、
「いいなあ」と満足気にささやいた。
武道教室の異様な盛り上がりに、部員を集め反省タイムをスタートしていた赤岩先生も苦笑いし、ついには早々に切り上げてしまった。
練習を終えたあとのダメ出しが長い、との噂は聞いていたので、
(部員たちの役には立てたかしら)と、思ったりした。
ただ、間近に見た赤岩先生の指導は、体育館以上に先行イメージと違った。
たしかに厳しい。うるさい。が、感情的に怒鳴るようなことはない。叱ったあとのフォローも忘れないし、部員を調子に乗せるのも巧みだった。漏れ聞こえる会話からも、慕われているのが伝わってくる。
考えれば当然かもしれない。
部活指導者として20年のキャリアを有し、名声は言い過ぎにしても彼女の手腕と実績は一目おかれている。それも指導力あってこそ。
中学にしてはハードな練習にもかかわらず、剣道教室を越える数の部員が従うのも、つまりは彼女の指導力のなせる技なのだろう。単細胞な脳筋パワハラ教師ではこうはゆくまい。
だからこそ厄介だとすばるは感じた。
(この能力があれば、人のいい女子高生ぐらい手もなく操れるもんなあ)
面なしでの稽古が終盤にさしかかるころ、赤岩先生は、キャプテンらしき生徒と打ち合わせを済ませると、すばるの鋭い視線には全く気づかないまま、ひとり静かにフロアを出て行った。
それに合わせたわけではないが、剣道教室も吉村妻が休憩を宣言した。
(チャンス!)
まずおそらく、赤岩先生は教職員トイレへと向かった。帰宅前のメイク直しだと思われる。この時間に体育館の教職員トイレを使う者は少ない。今はきっと、彼女のみ。
七瀬とすばるは、彼女がトイレまたは更衣室を使う際を好機と見ていた。できればトイレが望ましい。大きい鏡があるからだ。
計画では、赤岩先生がひとりになったタイミングでセーラー服姿の七瀬が洗面台の鏡へと姿を現す。いつもすばるにやっている、あれだ。
正面から幽霊にコンバンワされると、一般人ならかなりの確率で精神的・肉体的に変調をきたす。
さらに今夜の七瀬は、すばる以外にはやらなかった二人羽織、すなわち肉体への憑依も試みる予定だった。自動書記でもなんでも使って、岩崎一家との腐れ縁を断ち切れと脅しあげるつもりだった。
これが赤岩先生の心にどれほど響くかは正直、すばるには読めない。また、真っ向から赤岩と対決し、非を認めさせたいとの気持ちもあった。
だが、世慣れた大人であり、しかも10代の扱いに長けた赤岩に突っかかっても勝ち目は薄く、結局は果南ちゃんの心をさらに傷つける結果となりかねない。だからこそ「濃厚接触」による短期決戦で強制終了を図るつもりだった。
いちおう根拠はある。陽菜情報によると、いかにも気の強そうな赤岩教諭は一方で不思議なぐらい怪談話を嫌った。かつて彼女も引率に加わった某校の修学旅行では、ホラーハウス系施設(いじめで死んだ子供の霊が襲う設定だったとか)への誘いを、周囲がしらけるほどの強い調子で拒んだという。
それが、例の赤岩のパワハラをきっかけに命を絶ったとされる少女と関係があるのかは、わからない。が、少なくとも心霊譚に耐性が低そうではある。
だめなら別の手段を考えるとして、「とにかくやったれ!」で姉妹の気持ちは一致していた。
–––– よし。そろそろ行くぜ。
タオルで汗を拭うと、すばるはスマホを入れたポーチをつかんだ。
めんどうなのは、七瀬の出現場所に制約があることだ。先生と対決するには、「チカクニスバルモイナイトダメ」なのだという。
「トイレに隠れてろってこと?ずっといたら花子さんに絡まれちゃうよ」と言い返すと、しぶしぶといった感じで七瀬は「ハナハダフホンイデハアルガ」と説明をはじめた。
曰く、現在の彼女はすばるの影法師みたいなものであり、光源ならぬ妹から遠く離れた場所に滞留できない。鏡の中への登場も、せいぜい声の届く距離内に限られる。つまり、特定の場所に現れるには、まずその近くへすばるが足を運ばねばならない。
「へー。なんかコード付きの掃除機って感じ」
正直な感想に、姉からの応答はなかったが、ムッとした気配は感じた。なのでそれ以上の説明を求めるのはやめた。
気合を入れて立ち上がったすばるに、思わぬ伏兵がいた。
剣道教室の子供たちだ。彼女が動きはじめたとたん、10人以上の小学生がワッという感じで取り囲み、
「センパイ、すごい声だったね」「しんどくない?」「あとで私に切り落としって教えてね、約束」
などと口々に訴える。大人気だった。
吉村たちもその姿をながめてニコニコしている。(見てないで止めてよー)
「と、トイレに行きたいんだけど…」すばるがようやく口にすると、
「じゃあ、一緒に行こう!」
「どこか教えたげる」子供たちが一斉に動き出した。
「場所ぐらいわかるよ」
と言ったら「一人じゃ危ない」と左右から両腕をつかまれた。なんとなく七瀬もニヤニヤしている気配がする。
(なんだよ、平気なの?)
文字通り子供たちに引っ張られ、すばるはフロアの裏にあたる場所へとやってきた。多目的トイレに更衣室、小さいがシャワー室まで並んでいるのは、災害時の利用を想定しているためらしい。
教職員トイレは、さらにその奥にあった。赤岩先生はすでに中にいる。
「おやっ、あれはなに?」我ながらわざとらしく教職員トイレを指差した。
「先生用のトイレ」
「じゃあ、私も…。きれいそうだし」
「ダメ、先輩はこっちこっち」
と、一般用の大きなトイレに強制連行されてしまった。
「とりあえず一人でなんとかして」七瀬にささやき個室に入ったが、やはり気になる。スマホを手に身構えていたが反応はなかった。なお、入ったトイレの個室はすばるにも十分広く、ウオッシュレット装備だった。他人事ながら維持コストを心配したくなる。
諦めて外に出ると子供たちが待っていた。そして、
「よかった、無事だった」
「こわいことはなかった?」と、口々に安否を問う。
「ここ、やっぱりなにか出るの?」
そう尋ねると子供たちは一斉にうなずいた。森本佳奈と稽古着に名の入った少女が「いつもじゃないです。でも遅くなって一人であそこに行くと、けっこうヤバイ」と語りはじめた。
建て替え前の体育館、とりわけ教職員トイレには昭和の時代から伝わる怪談話があった。新しい施設になっても伝説は引き継がれ、近隣の小学生にとっては今なお「常識」なのだという。
「へえー、なんていう怪談なの。花子さんじゃなくて?」と、聞くと子供たちは口々に「『間違ってない?のアキナさん』だよ」と教えてくれた。
アキナさんというのは昔、この中学校に在籍していた少女だった。
ある日、誤って教職員トイレに入ってしまったのを運悪く見つかり、先生には怒られクラスメイトにはしつこくからかわれ、ついにはそれを気に病んで自殺してしまった。
以来、日が落ちてからの体育館トイレからは、「わたし、間違ってないよね?」というアキナさんの確認する声が聞こえるのだそうだ。
「それで、体の大きい子がトイレを使おうとしたら『あなた、間違ってない?』ってアキナさんがチェックに来るんだよ」
「体の?」
年齢などの属性を間違われそうな人物が、アキナさんの指導対象となりやすいとの伝承があるそうだった。
「で、あたしかい」すばるが自らを指差すと子供たちはニコニコしている。
「それで心配して付いてきてくれたんだ」
「センパイは大きくてもまだ未成年なんでしょ」
「まあね。どっちかっつーと大人より男に間違えられることが多いな。ジェンダーレスのご時世なのに」
明るい笑い声が起こった。
以前のすばるなら、怪談とか幽霊譚を本気にしないところがあった。だが、この頃はとても身近で意味のある話と思えるし、そのアキナさんという少女の来し方行く末も気にかかる。
「そっか。アキナさんかあ。どんな子だろ。口裂け女とかでもないんだ」との問いには、佳奈たち高学年の数人がかぶりを振った。
「かなり違うかも」「みためは中学生なんだよ」「キリッとしてるって」
どうやらアキナさんは少女の姿をしているらしい。それも単なるショッカーではなく、理非曲直に厳しい幽霊柄(?)らしかった。ルールを守らなかったり、あるいはルールを盾に人を苛むやからには怒りを隠さない一方、悲しい目や辛い目にあってトイレに逃げてきた相手には同情的なのだという。数ある伝承の中には、体育館のトイレで女生徒に不埒な振る舞いに及ぼうとした痴漢を撃退した話すらあるとかで、この中学の卒業生である佳奈の叔母によると「荒ぶる神みたいな存在」なのだという。
「荒ぶる有袋類なら知ってたけど。そんな頼もしい幽霊がいたなんて知らなかったなあ」
大真面目に対応するすばるに気を許したのか、子どもたちは彼女自身の噂について語りはじめた。
吉村夫妻はじめ指導員からは、狸穴道場にいる強くて個性的な真星先輩の話を繰り返し聞いていて、いつか会える日を楽しみにしていた。ところが先日、試合のために狸穴道場と合流した際には肝心の先輩の姿がなく、皆が残念に思っていたのだそうだった。
「高校では写真部だけど剣道部の主将にも勝っちゃうってマジですか?」
「いや、まあ、ねえ…」
冷や汗が流れた。自分が噂の主役とは知らなかった。
「でも、これからは時々、こっちの稽古にも参加させてもらうようにするよ」
「うんっ」
すると、それまで黙っていた大槻という男の子が思いつめた口調で聞いた。
「センパイ、学生選手権の優勝候補を病院送りにしたって本当なんですか?」
「…それは、かなり歪んで伝わってる。あっちの人にちょっと事情があってね」
「でも勝った?」
「うーん。まあ、そんなこともあったかな…」
「やっぱり強いんだ」うんうん、と子供たちが納得した顔になった。
「でも、アキナさんはこわかったりする?」神谷という二年生の女の子が聞いた。
「そりゃ、ね。だけど」
「えっ、怖くない?幽霊にも勝てる?」
「勝ち負けとかじゃなくて。幽霊って、コミュ障だったりするから。慌てないでお話ししたら、意外に仲良くなれるかもよ」
「へえー!」子供たちが目を丸くした。
「人間が嫌いじゃないから、この世にいたりする。ただし、密着しすぎると体調わるくなったりすることもあるから、ほどほどにね」
その時、教職員トイレから鋭い声が聞こえた。
悲鳴かと身構えたら、違った。
「なんか、怒ってる」
「怒ってる。アキナさんじゃない大人の声」
子どもたちがささやきあった。
それは間違いなく、罵声だった。
発話者は十中八九赤岩先生。
–––– あれ。なっちゃん、怒られたのかな?
負けん気は強そうだと思ったが、幽霊に対抗できるほど赤岩教諭の肝っ玉はすわっていたのだろうか。それはある意味、すごいかも。
そんなことを考えていると、また声がした。赤岩先生であろう声ばかり聞こえるので、姉の幽霊が問い詰められているのかと心配したが、誰かと電話中なのだと見当がついた。
注意して耳をすませていると「自分勝手ね」「私は認めない」「私のことは私が決める」などの言葉がきれぎれだが聞き取れた。
どうやら聞いてはいけない類の話というのが小学生にも伝わったようで、そろって黙ってしまった。
唐突に声が途絶えた。
ドアが開いた。
赤岩先生が出てきた。通路の途中にいるすばると子供たちに気がつくと、懸命になんでもない風に笑顔を浮かべようとしたが、結局は目を伏せて歩き去った。
ドアの閉まる直前、チラリと見えた洗面台の鏡に、若い女の姿があった。
(なっちゃん、やったの?)
わからなかった。すばるも自然さを装いつつ、
「さあ、再開すっか」と声をかけると、子供たちも何事もなかったかのように、「はーい」と声を揃えて明るく返事した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます