第6話 自殺の危機?
夕暮れの近づいたころ、すばるはふたたび、北けやき台の駅前ショッピングセンターにいた。
「はー。しかし何やってんのかな、ワテ」
がっくり首と肩を落とすと、重いバッグを揺すり上げ、にぎやかなセンター内をとぼとぼ歩きはじめた。
探偵ごっこに気を取られている間に、肝心の安売りフィルムがすっかりなくなっていた。売れてしまったのだ。
おまけに、現在並べてある定価のフィルムは少し値上げまでしてあった。これはけっこう、痛い。
今日は謙作さん遺愛のフィルム用一眼レフと露出計までわざわざ荷物に潜ませ、「無事に安価でフィルムをゲットしたら、ホームからの街並みを撮影だぜ」と、気合が入っていたのに、見事空振りしてしまった。
休憩コーナーにも書店にも寄るのをやめて、しょんぼりと駅舎へ取ってかえした。
広い4階ホームに立つと、撮影するはずだった街並みが金色に染まっていた。先日ここから眺め、あらためて感銘を受けた光景なのだが、スマホとかで撮るのとはちょっと違う気がして、ただじっと見つめるだけにした。そして、
–––– そろそろ、切り上げどきなのかな。
と考えた。フィルム撮影じゃなくて岩崎家の問題についてだ。
すばるの当初予想を超える速度で調査は進展し、このままだと「歯止めがきかなくなるんじゃ?」との怖れすら感じはじめていた。
芽衣子と陽菜の協力のもと、その後のすばるは当事者二人の尾行・張り込みを敢行した。といっても高校生が空いた時間にやることだから、不倫の決定的瞬間をとらえたりはなかった。
岩崎教頭は、愛犬との散歩に情熱を傾けているのがわかった。仕事を終えると飲みにも行かず自宅へ戻り、まだ成犬になりきらない犬(あまり賢そうに見えない)を連れ、いそいそと出てゆく。どこかで愛人と待ち合わせか!と、思ったら彼は一目散に河川敷へと犬を伴い、飽くことなくフリスビーを取って来させる訓練を続けた。先生、時間の無駄ですと口を出したくなるほど、犬はその作業に向かないように思えた。
赤岩先生の日常は芽衣子が詳しくなった。ミステリーよりスパイものを好む彼女は、どう調べたのか赤岩先生が自動車通勤であることや自宅のあるマンションを調べ上げ、帰宅途中に必ずといっていいほど立ち寄るコーヒーショップまで特定してしまった。
実作業にはおそらく、学生探偵・野尻祐之介さまの指導と関与があるのではとの気もするが、「すべて偶然が作用して見つけたんだ」と、とぼけている。ちなみに自宅は、
「築浅のおしゃれな高層マンションで部屋はおそらく18階。当然ながらセキュリテイが厳しく、マンション内に協力者がいないと玄関ロビーに入るのすら困難だよ」ということだった。
「入居者を探そうか?可能だと思う」
「いいよ、そこまでしなくて」
とりあえず、すばるも芽衣子たちとともにコーヒーショップで待ち伏せし、背中合わせの席に座ってみた。
なるほど、赤岩先生は髪型も服装も垢抜けていて、すばるたちの学校の体育教師とは大違いだった。「なかなかカッコいいね。ジャージで帰らないのも高得点」と、陽菜がささやいた。
ただし、店での先生はひとりきりだったし、その間ずっとスマホおよびタブレットを熱心にいじっていた。残念ながら入力内容までは読めない。
そこそこ遅い時間になっても先生はスマホと仲良くし続けていて、3人はやむなく店をあとにした。
帰りのバスの中で芽衣子が言った。
「あの調子だと、店の人に話を聞いても無駄だな」
陽菜が聞いた。「そうそう、ご近所の評判とか夫婦仲の評判とかどうする?調べる?たぶん、ダンナの職場ぐらいはすぐわかると思うぞ」
「いや、ここまででいい。ありがとう。なんか、怖くなってきたよ」
「わかった」二人はうなずいたが芽衣子は、
「でもあの先生、週末にはけっこう遅くまで店にいるみたい。ダンナの影、見事に薄い。会いたくないのかな」と言った。
すばるもうなずき、
「仲のいい剣道の先輩の話なんだけど」と切りだした。
「その人は2年ぐらい前から、鴫島西中学の体育館を借りて剣道教室をやってる。しばらく会ってなかったら、ちょうど昨晩、道場にきてた」
「おっ、いいじゃん。ダンス部って体育館でやるんじゃないの」
「うん。稽古日は日曜って聞いてた。だからダメもとで聞いてみたら、今年から水曜にも教室をはじめて、それも少年少女部と大人向けの2部制なんだって。少年少女部の最初のほうは、まだダンス部が練習してたり説教されてたりする」
「えっ、なにそれ面白い。その先輩、赤岩先生を知ってるの?」
「会えば挨拶するって言ってた。感じのいい人だとさ。それで、大会前とかだとかなり遅くまでやってて、それも連日みたいだし、生徒も大変だけど先生も楽じゃないよなって。あと生徒には結構怖い模様」
「へー、わたしだとすぐ辞めそう」
「その先輩、赤岩先生に直接『遅くまで大変ですねえ。この時期は毎年こうですか』って聞いたらしい。そしたら、『もう慣れてます』って笑ってたそうだよ。てことはずっとかな」
「ダンナも慣れてんのか、家庭内別居とかか」
陽菜ルートの情報収集依頼にも、そろそろ第二波の返答が集まっていた。
周囲の感想とか印象とか他愛のない噂とか大半があたりさわりないものばかりだが、中には金属片みたいに油断ならないのも混じっていた。
赤岩に関しては、やはりクラブ絡みの話が多かった。熱心とか情熱的とかその気にさせるのが上手とか好意的な評価がほとんどの中に、「素直でハキハキした子をひいきする」とか「サボりへの怒りが尋常ではない」などの話もあった。小学生に剣道を教えることのあるすばるからすれば、それぐらい当たり前でしょ、とは思う。
だが、ひとつ気になる噂があった。まだ彼女が駆け出し指導者のころ、当たりがキツすぎて生徒を一人、病ませてしまった。そしてその女の子は、のちに自殺したという。
その子が最終的に死を選んだのは高校に進学後だったから責任を追及されたりはしなかったが、「あれは赤岩のせいだ」との指摘は、当時ごく一部にあったともいう。
それを聞いて最初は、(なんとなく嘘っぽいな)と思ったりした。理由は、問題の生徒が自殺時に在籍していたのが、今のすばるの学校だったらしいからだ。
「そんな話、知らねえぞ」と言うと芽衣子たちも、「うん。知らん」「そうだよね。いつのことだろ?」と首を傾げた。
なお岩崎教頭については、紳士とか如才ないとかの評の多い一方、具体的なエピソードには乏しかった。どうやら強い印象を与えないキャラクターのようだ。
悪口じみた話もせいぜい、「飲み会で気前よく奢るのは女性にだけ」程度だったが、彼にも若い頃の気になる噂があった。
学校医のルートから伝わってきたというそれは、岩崎氏が青年教師だった時期の話だ。彼は当時、生徒の権利に関するとある活動に熱心に取り組み、その挙句に「特定の生徒の母親と親密の度が過ぎ」たと見なされ、問題になりかけたというものだった。
「ひいいっ」その話を陽菜から聞き、すばるは奇声をあげて震えた。
面白いと感じる気持ちは、むろん彼女にある。全然関係ない人の話なら、「もっと聞かせろ」とか言ったかもしれない。
だが冷静に考えれば、ずいぶん昔のあやふやな伝聞に過ぎない話である。怖いのは、それをさも真実と語って楽しむ無責任な層が確実にいて、このまま考えなしに情報活動を継続するのは、それらに燃料を供給し続けるのと同じかもしれないことだ。
当然、こちらの存在が向こうに知られるおそれもあるし、ついには手に負えないところまで事態が燃え広がり、
–––– すべてを崩壊させてしまうかも。
などと思ってしまった。
とりあえず陽菜には「整理期間が必要」だと情報収集のストップを頼んだ。陽菜もまた、「そ、そうだよね。噂が噂を呼んだらまずいし」と、うなずいた。彼女も内心、エスカレートしすぎを危惧していたのかもしれない。
一連のやり取りののち、すばるはひとり手洗いに入って鏡を見た。どうする、と聞きたかったからだ。だが七瀬らしき影は一瞬、ゆらめいただけでとりたててメッセージはなさそうだった。
(やつも迷ってるのかな?)
とにかく、いったん立ち止まって探偵活動の今後を見直そう。目的を逸脱するのは良くない。
それが今日の昼までの話だった。
すばるは、しばらくスマホをにらんでフィルムの相場を調べてから、顔をあげた。
今夕の駅ホームは普段より人が少ない。赤く染まってゆく空の色と合わせて、とても物悲しい気がしてきた。
次の瞬間、誰かに肩をはたかれたように感じ、すばるは周囲を見回した。
–––– あっ。
五体に緊張が走った。
反対のホームの端に、灰色のブレザー姿の女の子がポツンと背中を向けている。
放心したように足元に視線をなげかけているのは、果南ちゃんに違いない。
「なんで気づかなかったんだろう」
だが、遠目にも可憐なその姿は、声をかけるのを拒んでいるようでもあり、すばるはしばらくの間、様子を観察した。果南の近くには、赤ん坊をベビーカーに乗せた女の人がいるだけ。その人はかがみ込んでチビの世話をしていて、制服姿の少女に注意など払ってはいない。
そして果南はじっと足元に目を投げかけたままだった。
だが、次第に彼女のポジションが移動しているのにすばるは気がついた。
こころなしか、さっきより黄色い点字ブロックに近づいている。
ふいに、頭にあった血が下がる感覚。
すばるは振り返り、ホームにあった広告付きの鏡をみた。
こちらを見返しているのは、すばるより髪が長くて青ざめた少女の顔。
「なっちゃん…」彼女はすばるを見た。その血の気のない唇が伝えていた。
「ヤバイ」
「私も、そう思う」弾かれたようにすばるは移動を開始した。
剣道部員でこそないが、稽古は欠かさないすばるだけに、距離をものともせず、すばやく間合いをつめられた。
大柄な彼女が後ろへ回り込んでも、果南は気づきもせず足元の線路をじっと見ている。表情はわからないが、放心しているようにも思える。
ひとまず静止し、少女の寂しげな背中を見つめた。
その時、派手なラッピング外装の特急電車が果南の目の前の路線に入ってきた。停車駅ではないので速度は緩まない。
果南が何を考えているかまではわからない。
ただすばるには、彼女の足が前に踏み出すタイミングを図っているように思えてならなかった。
「えい。しゃーない」
すばるは剣道の打突の要領で飛び込むように前進、手を伸ばして彼女の腰のあたりをぐっとつかむと、力任せに回転し自分の反対側に果南を置いた。
果南は身をこわばらせた。が、体格差のために結局すばるのなすがままになった。
警笛と風の音と一緒に特急電車が通り過ぎていった。果南もなにか声を上げたろうが、突風にまぎれて聞こえない。
夢から覚めたように果南は振り返った。
「ええっ、あ、すばるちゃん、すばるちゃんだ。また会えた」
果南は弱々しい笑みを向けた。
「よう。あぶないなあ」すばるはつとめて冷静に言った。「果南ちゃんは私よりずっと軽いから。飛んでっちゃうよ」
何度か短く息をついてから果南は深く呼吸し、ついで照れたように言った。
「ごめん、ぼーっとしてた」
「飛び込み自殺は勝手だけど、この時間はやめといたら。すっごい迷惑がかかるし。私も帰るのが遅くなる」と言って笑いかけたら、ようやく果南も笑い出した。
「やだ。そんなことしない」
うそつけ。すばるは思ったが調子を合わせ、
「だよね。お節介とセクハラを許して」と言った。
「すばるちゃん、今日は?」
「フィルムの安売りを買うのに失敗した」
「あ、一階のカメラ屋さん?そうなんだ」
果南は愛想良く応じたが、どこかしら声がうつろに思えた。
二人はホームのベンチに腰をかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます