第5話 こころに触れるということ
日の暮れきる前にすばるは家へと帰った。自室に入ると、スマホを片手に、どうせ近くにいるであろう姉・七瀬に向けてさっそく話しかけた。
「果南ちゃん、びっくりしたけど元気そうでよかった」
なにも返事はない。
姉は、外にいると無遠慮にコンタクトしてくるのだが、自宅だとなぜかおとなしい。プライベートに配慮しているのだろうか。
「でもさ、なっちゃんってあんなことできるんだ、握手した時、流れ込んできたイメージって果南ちゃんの記憶っていうか心だよね。心を読めるとかすごい。ますます野尻さんの役に立てるじゃない」
しばらく応答はなかったが、すばるが着替えを終えてようやく、「アイテニヨル・再会ヲヨロコンデタシ」と指が動いた。
「相手による?果南ちゃんだからできたって意味?」
「センサイ・嘘ガニガテ・ジュウジュン」
「あ、そう。なら我が家は全員失格だ」
どうやら相手が心を開いていたからシンクロしたとの理屈のようだった。
「でも、私にも果南ちゃんの気分が漏れ伝わってきて、心配するほど思い詰めてなかったと感じたんだけど…やっぱりそうは思わない?」
「スバルモオモッテナイ」
「ちぇっ。おっしゃる通り」
すばるはベッドに体を投げ出した。
「私の深層心理、勝手に読むなよ。思い詰めてないと思いたいんだ、私は」ごろっと横になる。
「最初は、岩崎のお祖母ちゃんが孫を誤解してるのを、修正したいと調べだした。あと、果南ちゃんになにかヤバい悩みがあるのかなって。でも、今日会ったあの子は、悩みはあっても深刻そうに見えなかった。だから、おせっかいはもうほどほどにしようかな、って思おうとしてるんだけど。やっぱ無理筋かな」
すばるはいったん話を打ち切った。
そして、公園に持参したデジタル一眼レフを取り出し、今日撮影した画像を再生した。
その後、陽菜の提案により、3人は出演の順番の来た果南を応援に行った。舞台上の撮影は、主に望遠ズームを持っていた芽衣子が担当したが、すばるも何枚か撮った。
ステージ上の果南はたしかに大勢の中の一人に過ぎなかったが、明るくはつらつとして、誰より光り輝いていた。画像を見直して、その感を強くした。
「写真だと、可愛くてリア充の女子高生にしか見えない。私の思い過ごしかな。やばいのは私のほうかも。そういえばなっちゃんについてだって」ここで声を低めた。「私の妄想と考えたほうが現実的だよね」
わざと挑発的に言ってみたが、七瀬による反応はまったくなかった。おやすみタイムだろうか。しかし、幽霊ってふだんは何をしているのだろう。ずっとに隣にいるわけでもないし。
「ま、いいや」すばるはスマホを投げ出して右左と寝転がったが、思い直して立ちあがり、夕食の準備を手伝いに階下へ降りようとして、足を止めた。
–––– ちがう。
すばるは激しくかぶりを振った。
–––– これは私の気持ちなんかじゃない。「なんでもない」と自分に言い聞かせようとしているのは、果南ちゃんなんだ。
やっとわかった。あの子は懸命に「なんでもない」と思いたがっていて、私は無意識のうちにその影響を受けていた。
あの子の心に触れたせいだ、とも思った。
七瀬の霊?とすばるが協力すれば、人の胸の内を覗いたりもできる。だがそれには危険がともなう。不用意に他人の心と接触すると、相手が抱く負の感情や自分自身についた嘘によって、こちらの心が蝕まれてしまう。姉との「二人羽織」は、まさしく両刃の剣なのだ。
「そう。あの時の果南ちゃん、迷ってた。お父さんたちの様子を確かめに行くかを迷ってた。でも、決定的なところを見るのが怖い。だから私に気がついて、それを言い訳にやめようとしたけれど、結局…」
先日も話したように、私・真星昴は現在探偵の真似事をしている。
はじまりは幼なじみ、岩崎果南ちゃんの祖母 –––– 前からあまり好意は持っていなかった–––– に対する反発であり、人のいい果南ちゃんへのつまらぬ疑いを晴らしたい、ただそれだけだった。誰かに頼まれたのではなく、なにより果南ちゃんに頼まれたのではぜんぜんない。名探偵コナンの少年探偵団と同じく、動機はごっこ遊びの延長でありおせっかいである。
問題はとりあえず以下の通り。なぞの植物放置、お金とアクセの紛失、果南ちゃんの非行。なお、植物放置と紛失についてはだいたい見当がついていて、これ以上の追求は必要ないと考える。
そして果南ちゃんについてだが、非行というのはお祖母ちゃんの老人呆けまたは誤解だと思うが、果南ちゃんに悩みがあるのは間違いないようだ。
私が疑っているのは、先日も話したように果南ちゃんの父親と部下の教師との関係だ。教師は果南ちゃんのかつての恩師でもある。果南ちゃんは、二人の関係の不自然さに気づいてしまい、悩んでいるのではないか。あの子の性格からすれば、他人に相談せず一人苦しんでいるのは十分ありうる。
もちろんこれは、ただの勘に過ぎない。でも私としてはもう少しだけ調べ納得したい。もしかしたら二人への疑いを晴す機会、すなわち果南ちゃんの父親と恩師に関する不快な予想をひっくり返すためのきっかけが得られるかもしれないし。
写真部室の裏に古い洗い場がある。その一角に腰を下ろしたすばるは、芽衣子と陽菜に想いを吐露しおえた。
次にノートへ貼り付けた紙を広げて二人に示す。昔、赤岩先生がダンス部についてインタビューされた記事だった。先日、すばる自身が見つけ出したものだ。
「これ読んだら、赤岩先生って果南ちゃんのお父さんと同じ大学だった」
「ほほう。メジャーどころを出てますな」これは芽衣子だ。
「学生数は多いし歳は6歳以上離れてるし、赤岩先生は体育学部、岩崎パパは元技術の先生でたしか工学部。ということは学部も違って過去に接点はなかったかもしれない。でも、同じ大学だと職場でも仲良くなりやすいものじゃないの?そのあたりの関係を調べる方法って、ないかな」
「スパイとなって中学校に潜入するとか。えっ、今さら私に中学の制服を着ろと?」
芽衣子が嬉しそうに言った。
「購買部のバイトに潜り込んだり?実は私、やってみたかった。購買部で働くの」これは陽菜だ。「売れ残りのパンってもらえるのかな?」
「…とにかく、二人の勤務校での様子を探りたい。とはいうものの、せっかく潜入しても、そう都合よく噂を聞けたりしないよね」
「もしかして、目のとどかないところでボディタッチしてるとか」
「まさか」
「例えば、これを調べるとかどうかな」陽菜が少し真剣な顔になって言った。
「大学が同じなら、雑談の時に『実は赤岩先生は僕の後輩なんですよ、むははは』ぐらい言ったりしそうだし、その頻度を探ればいいのじゃないか。つまり、あまりそんな話が伝わっていなければ、逆に互いに知らないふりしてる、あえて関係が薄いと装っているとも考えられる。すなわちめっちゃ意識してるってこと。すばるもこれを言いたかったんじゃない?」
「ふむふむ。こじつけにしても面白い」芽衣子が自分の顎を撫でた。探偵みたいだ。「ところで大学って、そんなに先輩後輩の関係って強いもの?」
「他の学校はあっさり味かもしれない。でも」陽菜は、記事中の大学名を指差した。二人の母校だ。
「ここ、母校愛っていうか卒業生のつながりが強かったと思う。親の会社にもOBOGがいて、同窓生だけでつるんでるって聞いた。医者の学閥は有名だけど、ここは事務方でもそう。集まって飲み会開いたりとか。後輩を引き立てたりとか、もちろん就職の口聞いたりも」
おずおずとすばるは言った。「だから、どうだって話なんだけどね。もしかしたら、『ええ。もちろん知ってます。二人は先輩後輩なんですよ』で終わりかもしれない。でも、気になる。もし可能なら調べてほしい。頼めるかな。つまりは私の自己満なんだけど」
「よっしゃまかせとけ」「おう、あんたの自己満につきあうぜ」
二人が口々にさけび、すばるの鼻が少し赤くなった。
すると、友人をしんみりさせたのに照れたのか、芽衣子がわざと意地悪く言った。
「真相は予想の斜め向こうかもしれないぞ。単に教師二人は共謀して人を殺していただけ。調べて行くうち、うっかりその証拠を見つけちゃったりして。校庭に死体を埋めてるかもよ」
「まさか。いくらなんでも殺人・死体遺棄はないでしょ」
「わからんぞ、そのほうが面白いし」
「そうなったら私たち、一転して命を狙われるよね」
「ミステリーからサスペンスへの移動だ」
「殺人はともかく」すばるは言った。「先生同士がもし、よからぬ関係にあったとしても、それを知ってどうするか。調査のあとの到着点はまだ見えてない。告発なんてしたくないし。けど…やっぱり…気になるな」
果南に会い、その表情と心から感じた翳りを、すばるはなんとか無くしたいと願っていた。
ただしそれを二人に正しく伝えるには、七瀬(の幽霊の)ことから話さねばならない。いくらなんでも時期尚早だろうと思えて、彼女は黙ってしまった。
だが、二人は友の迷いなど気にもせず、手早く役割分担をすませた。そして黙り込んだままのすばるに、芽衣子がまた言った。
「つまりは、私たちのできる範囲で調べ、間違いなかろって確信を得られれば、おっさんとおばはんの不倫カップルに対し、少なくとも娘に気づかれるところで火遊びはするな、と指導すりゃいいんだろ」
「まあ、そうかな…」
「そんで、果南ちゃんを傷つけずに先生たちを指導する方法は、とりあえず調べてから考えりゃいい。やりかたは色々あると思うよ。生徒の親っぽく謎の手紙を送って『不倫ダメ』とかさ」
「芽衣子、そんなの好きそうだなー。私もだけど」と、陽菜が言った。
「職場宛にラブホテルの割引券を送りつけるってイヤミはどう?」
「ラブホテルって割引券、あるの?」
「しらん。今度行ってみようか」
なにがツボにはまったのか、その後の友人二人の動きは早かった。
とりわけ陽菜は、さっそく両親のコネクションを利用し鴫島西中学校に子供を通わせている人や同校の保健の先生と懇意な人とのコンタクトに成功した。そして、「不審を抱かれない理由づけに苦心した」といいつつ、二人の日ごろの様子や評判、噂などをざっとだが調べてくれた。
一週間後、彼女はすばると芽衣子を前に報告をはじめた。
「初回調査の結果、ひとまず二人の間に男女の仲をうたがう噂はないという結論を得た。もちろん、ひとまず。探偵に張り込んでもらったわけでもないし通信を傍受したわけでもない」
「うむ」
「なお岩崎教頭については、温厚かつパワハラやセクハラとは縁のない人柄だって。赤岩先生だけを贔屓するとか、二人っきりで歩いているのを見られたとか飲み会のあと一緒に帰ったとか、そんな話も出てこなかった。当たり前だけど」
「ま、ふつうはそうだよね」すばるもつぶやいた。
ちょろっと調べてわかるほど噂が広まっていたら、あの生真面目な果南ちゃんでさえ悩むのはアホらしく感じるに違いない。もし自分ならさっさと見切って母親に離婚をすすめるだろう。
「ちなみに赤岩先生は保健体育の担当で既婚。40代だが見た目は30そこそこに見えるほど若くてスタイルも良い。明るい人柄は誰からも好かれ、またダンスの指導者としては、過去に生徒を全国大会に連れて行った経験もあって一目置かれているが、こと鴫島西中学に関しては着任から短いせいもあり目立つ成果はあがっていない、といったところかな」
放課後の写真部の部室で、ここまで陽菜が説明してくれたのを、ノートにメモったすばるは、一段落すると深々と頭を下げた。
「すまん、お返しはきっとする」
「ふふふ。小娘。楽しみにしておくぞ」陽菜が喉をならして返事した。
一方の芽衣子は隠し球を持ってきたとかで、にやにやしている。
「陽菜くん、詳しい報告ありがとう。それで、ミーはこれ」
笑顔で芽衣子は鞄からクリアファイルを取り出した。
「正直に言います。最初、自分だけで調べようと思った。でも、よさげな手がかりはないし、すばるがめちゃマジだからなんとか手伝ってやりたいし。だからカンニングしました。ちょうどうちに祐之介が『シナモンドーナッツ』ってのを土産に遊びに来たんだ。あんこの入ってるの」
「えっ、野尻様が!」すばると陽菜は声を合わせて叫んだ。
芽衣子の親戚にあたる学生探偵・野尻祐之介は、探偵としての活躍に加え二次元めいた典雅なルックスを有し、すばるたちにとっても憧れの存在なのだ。
「そう。それでちょっと手伝わせた。実は奴も私に手伝って欲しいってリクエストがあってさ。バーター。それについてはまた後日説明する。君たちにも協力してほしい。それでとにかく」
芽衣子がクリアファイルから、写真を拡大コピーしたものとホッチキスでとめた紙を取り出した。こっちもコピーのようだ。
「これみて。頼んだら翌々日には持ってきてくれた。やつ仕事早い。真星さんと鍛治谷さんにもよろしくって」
「きゃっ」「うひゃっ」
それは、鴫島西中学をはじめ数校の卒業写真と、古い雑誌のコピーとおぼしき紙面だった。
卒業写真には、それぞれ岩崎教頭と赤岩先生のまじめくさった顔があった。
「いちおうどっちも水準以上のルックスだね」
「うん。禿げても太ってもいない」
古い写真もあった、「これ見たら赤岩先生、だんだん垢抜けてるのがわかるな。美熟女だな」
雑誌記事は20年以上は前のもののようだった。記事中には画像もあって、さまざまな機械やカメラ、ヘッドギアをつけた人間とかが写っている。グラフもあった。「なにこれ」
芽衣子は、人体を計測機器に接続し運動中の挙動や反応を調べた研究論文があって、それを元に外部の出版物に発表しなおしたものだ、と説明した。
「昔、一時こんな感じの研究が流行ってて、あちこちで似たようなことをしてたそうだよ。そのひとつだとさ。それより、これ」
彼女の指差すところには、執筆者として何人かの名前が記されており、中に岩崎博貴とあった。「あっ、果南ちゃんのダディ」
「大学院生だった時だね。このあとに就職して中学の先生になったんだろうって祐之介が言ってた。それで、これも見て」
彼女がページをめくって、マーカーした箇所を指し示した。そこには実験の協力者として5人ほどの男女の名と(体育学部)との表記があった。
それを見ながら、「あ。かっちーじゃん」と陽菜がつぶやいた。赤岩可南子。赤岩先生だ。
「こういうのを状況証拠っていうんだっけ?」
「いや、まだその前の段階。でもこれ…」
すばるの指さした記事中の写真には、体のあちこちに電極をつけたジャージ姿の人物と、その傍らでボードを持ってなにか記入している白衣の人物が写っていた。白衣は長髪の若い男性、ジャージはベリーショートだが可愛い顔をした女性なのが荒い画像からも読み取れる。
白衣を見上げるジャージの笑顔が弾んでいた。
すばるが低く言った。
「これ、ヤング岩崎と赤岩だよね」
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