第十一話 ターニングポイント

 堤防を上った所で出走の合図のファンファーレが鳴った。


「いま、舟が6艇出たでしょ?で、そこの大きな時計の長身が0時のとこに着いた時がスタートの合図だ。ま、難しく考えずに見てれば何となく分かるよ」


 ここで私は競艇場に行くと聞いてから密に気になっていたことをナツキに聞いてみた。

「ナツキはさ。どうして競艇なんかやってるの?」

「え?うーん、ちゃんと考えたことなかったけどなぁ」


 ナツキは腕を組んで考え込む。

 その間も時計の針は止まらない。

 時計の針が0時を指すその瞬間。

「理由なんかはないよ」


 一瞬。

 その一瞬だけこちらを真っ直ぐ見つめるナツキの姿。

 次の瞬間にはナツキの目線は舟の方に向いていた。


 純粋に現状を楽しんでいるのだ。

 特に何かしたいことがある訳でもなく惰性で日々を送っている私がナツキに何か惹かれたのはそういう所なのかもしれない。


 私がナツキに見惚れているとナツキもそれに気づいたようで、

「おいおい、私を見てる場合じゃないぞ!あっち見なよ!あっち!3号艇が先頭だぞ!」


 ナツキの顔から水面に目を移すと確かに3号艇が先頭を走っている。

 でもぶっちぎりの先頭というわけではない。


「うー、微妙な差だなぁ。2艇身ってところか?濱谷の腕なら大丈夫だとは思うけど、後ろの5号艇に乗ってるのは妻鳥つまどりかぁ。モーターも出てるなぁ」

「その妻鳥って人は強いの?」

「強いな。それもかなり。なんせ去年のグランプリ優勝者だからな。ま、濱谷も十分強いけどな」


 それを聞くと私は3号艇の濱谷に向かって

「頑張れー!逃げろー!」

 と大きな声で応援をしていた。


 他の観客の応援の声でかき消されているかもしれない。

 それ以前に舟の上ではモーター音でスタンドの声なんて聞こえないだろう。

 それでも構わず応援した。

 こんなに周りを気にせず何かに意識が向いたのはいつぶりだろう。


 5号艇が3号艇の外にハンドルを切る。

 3号艇が最終ターンマークに先マイを仕掛ける。

 それに対して5号艇はツケマイ気味に外を握って回る。

 3号艇と5号艇がホームストレッチのラストの直線に入る。

 モーターの影響もあるのだろう。

 差し場を作らせない素人目に見ても完璧なターンをした濱谷だったが、3号艇と5号艇は同体のままゴールラインに走っていく。


「「行けーー!濱谷ーー!」」

 気づけば横でナツキも声を上げて応援していた。


 実況のアナウンスを聞くと3号艇と5号艇がゴールしたようだ。

「どっちが勝ったの!?」

「まあ待て。あそこを見てみな」


 ナツキが指差す大時計の方を見ると『ゴール判定中』の緑の文字があった。


「パッと見でどっちが先にゴールしたか分からない時はあれが出るんだ。濱谷が勝ってるとは思うが正直微妙だな…」


 ドキドキしながら緑の字を見つめる。

 なかなか文字が変わらない。

 トップ同士の接戦なだけあって、周りの緊張感が強く伝わってくる。

 時間にしたらおそらく1分もなかったとは思う。

 それでも私にとっては10分くらいは経ったんじゃないかと思うくらいの感覚だった。


 緑の文字が変わる。

 そこには、3-5-6の数字が並んでいた。


「良かったじゃん。勝ったよ。3号艇」

 私はナツキの言葉を聞いて思わずだきついしまった。

「ちょ、ちょっと困ったなぁ。私はそういう趣味はないんだけど」

 そう言いつつもニヤニヤしながらそこまで抵抗せずにナツキは言った。

「あ、ごめん!」


 場内アナウンスが流れる。

「3連単3-5-6の組み合わせは2280円です。尚、1着と5着の差は20cmでした」


「あっぶねぇー、ほんとに接戦だったな」


 初めて来たし別に興味があった訳でもない。

 それでもあれほどまでに懸命に応援した選手が勝ってくれて何か満たされている私がいる。


「これが優勝戦だったらウイニングランとか見れるんだけどな。今日は予選の日だからそのままピットに戻っちゃうな」

「ねえナツキ」

「ん?」

「私、またここに来るよ」

「お、ハマった感じか?いいじゃーん。私も舟券当ててくれた幸運の女神様がまた来てくれるなら願ったり叶ったりだよ」

 ナツキは手に持っていた舟券をヒラヒラ振りながら嬉しそうにしている。


 ここに来たのはたまたまだったけど、今日が私のターニングポイントになったことは間違いのない事実。

 そう確信した。


「レキ」

「ん?」

「私、魔法少女になるよ」


 レキが私の顔を覗き込む。

「何か気持ちの変化でもあったような顔してるな」

「うん」


 このまま特に何も変わりやしない日常を送るくらいなら、何か目的を持って生きてみたい。

 私は今日、ここに来る意味があったんだと思う。

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