第76話 数学って、腹減らね?

3人で他愛のないお喋りをしていると、程なくして剛士の姿が見えた。

トレーにはコーヒーと、季節限定のチョコレートパフェが載っている。

「意外!」

彩奈が笑い出す。


「いいの買ってんじゃん!」

拓真が笑いながら声を掛けると、涼しい顔で剛士は応えた。

「バスケ部の消費カロリー舐めんなよ」

「おお、さすが!って、今日は勉強会だろ!」

「数学って、腹減らね?」

笑いながら、剛士は悠里の隣に腰かける。

不思議な返答に、思わず悠里も笑ってしまった。



「ゴウさん、お疲れさま」

「おう」

いつものように短い返事をし、剛士が微笑んだ。


「シバさん、甘いもの好きなんだね!ちょっと意外だったんだけど」

彩奈が、まだ笑いながら問いかける。

「普通に好きだぞ」

早速パフェを口に運び、剛士は答えた。

「まあ、バスケ部の連中の前では食わないけど、お前らだったら別にいいし」


何気ないその言葉が、自分たちの前では素の彼でいてくれることを示しているようで、悠里は嬉しくなる。



「今日は、数学の勉強会だったんだな。うまくいった?」

「ん。大事なとこは、押さえられたと思う」


拓真と剛士のやり取りを聞き、興味深そうに彩奈が尋ねた。

「後輩部員の試験対策までしてあげるなんて、大変じゃないです?」

うーん、と剛士が首を傾げてから、拓真を見る。


「まあでも、俺たちは2年だから、テストの傾向と対策を練るのは慣れてるし」

「うんうん。自分たちのやってきたことを、教えるだけだしね?」

当然のことのように言う2人の顔は、後輩への思いやりに満ちていた。



剛士が柔らかく微笑み、言う。

「前に拓真にも、勉強会で英語を教えて貰ったことがあるんだ」

「そうなの!?拓真くん、英語できんの!?」

彩奈が感嘆の表情で聞き返す。


「まあねー。先生に、お前は無駄に発音がいいって言われた実績があるよ」

「ムダに!?」

「そりゃもう、洋楽で鍛えた発音よ!」

拓真の得意げな声に、彩奈がお腹を抱えて笑い出した。


つられるように、剛士が頬を緩めながら言う。

「俺も、拓真から英文の読み方のコツとかを教えて貰って、すげえ勉強になったんだよ」

「オレも、数学やら物理でわかんない問題があったら、全部ゴウに聞いてるよ」

拓真がニコッと微笑んで答えた。


「へえー、シバさんは理系に強いんだ! そりゃ頼もしいわ」

彩奈の言葉に、拓真は大きく頷く。

「そう、普通に学年トップとか取るよね! 数学の先生とは、もはや友だちみたいになってるし」

「すごい!」



目を輝かせる女子2人を見つめ、拓真は悪戯っぽく付け加えた。

「まあ先生と、問題の美しい解き方について語り合ってたときは、若干引いたけどね」


「美しい解き方!」

彩奈が弾かれたように笑い出す。

「問題の解き方に、美しいもへったくれもあります!?」

「いや、あるだろ」


剛士も笑いながら答えた。

「いかにスムーズな流れで答えに導くかとか、その過程が簡潔で説得力があるかとかさ」

「あっはっは、わかんない!」

彩奈は涙が出るほど笑いながら、悠里を見つめる。


「だってさ!悠里、わかった?」

「ふふ、ちょっと難しい」

悠里も、にっこり微笑んで答えた。


「でも、美しい解き方、見てみたいな。私も、綺麗に問題解きたい」

「おっ、悠里ちゃんは理解を示した?」

楽しそうに拓真が口を挟む。


拓真を見つめ、悠里は大きく頷いた。

「うん。問題解いてるとき、何か回り道してるなあって思うことがあるの。そこを綺麗に整理できたらなって」

「そう、それだよな」

満足そうに頷く剛士を見て、やはり悠里も笑ってしまった。



拓真が笑いながら、剛士を見つめる。

「いやまあ、そんなふうに数学に向き合って、なおかつ、わかりやすく教えられるゴウは凄いよね」

「お前の英文の読み方も、最適化されてて美しいと思うけどな。わかりやすいし」

剛士も、ふっと柔らかな微笑を浮かべて答えた。


お互いを誉め合うような剛士たちに、悠里も笑みを誘われる。

「本当に、2人ともすごいね。人に教えるのって、いろんな工夫や準備が必要だと思うし」


悠里は、隣りの剛士を見上げて質問してみる。

「何か、教えるコツとか、気をつけていることってあるの?」

「あー、俺は、『どこがわからない?』とは聞かないようにしてるかな」


「へえ、そのココロは?」

興味津々で、身を乗り出してくる彩奈。

その様子に笑いながらも、剛士は優しい声で答えた。


「わからないときってさ。何がわからないのかが、自分でもわからなかったりするだろ? 」

「ああ、確かに!」

彩奈、そして悠里は顔を見合わせて、大きく頷く。


「そんなときに、どこがわからない?とか聞いたら、余計混乱させるかも知れないし」

「うんうん」

「だから俺は、最初から一緒に解きながら教えるようにしてる。そうすれば、どこでつまづいてるのか、わかるから」


剛士の声に聞き入っていた3人は、感嘆の吐息を漏らす。

ただ勉強を教えるだけでなく、わからない人の気持ちを想像して、思いやる彼の接し方。

悠里は、尊敬の気持ちを抱いた。



「すごいね、ゴウさん。そんなふうに、一から丁寧に教えて貰えるなら、苦手な科目でも、安心して参加できそう」

「1年で習うものって、全部の基礎だからさ。躓かないようにしたいよな。それに俺にとっても、いい復習になるんだ」

笑みを浮かべ、剛士が応えた。


「そっかあ」

そんなふうに考えることができる彼は、やっぱりすごいと思う。


文武両道。簡単ではない部のモットーに真摯に取り組む姿勢は、キャプテンに相応しい。

剛士が主将に任命されたのは、バスケのテクニックだけではなく、部員のために力を注ぐ人だからなのだと、悠里は思った。



「ゴウさんは、カッコいいね」

悠里は傍らの彼を見つめ、にっこり微笑んだ。


純粋に、尊敬の気持ちを表したつもりだった。

「あらあら~?」

しかし向かいの彩奈からは、ニヤニヤ笑いが飛んでくる。


「悠里、そんなハッキリ言えるようになったんだねえ」

良いことだ!と彩奈はうんうんと大きく頷いた。

「えっ?」


慌てて悠里は弁解する。

「ちが、そういう意味じゃなくて、あの、そうだけど、そうじゃなくて……」

自分でも、何を言っているかわからない。

止めようもなく頬に熱が集まってしまう。



「……悠里は、バスケ部としての俺を、誉めてくれたんだよな?」

隣から大きな手が伸びてきて、優しく髪を撫でられる。

「バスケ部の自分を認められるのは、一番嬉しいから。ありがとな」


「……あー、ゴウ。フォローしたつもりだろうけどさ、」

拓真が笑みを浮かべ、悠里を指し示した。

「そのくらいにしてあげな?むしろ悠里ちゃんにトドメ刺してる」

「ん?」

剛士が覗き込むと、自分の手の下、悠里は真っ赤に染まった顔を両手で必死に隠していた。


「あーあ。こりゃしばらく元に戻りませんねえ」

笑いながら彩奈が言った。

「もう、シバさんったら!」

「俺のせいかよ」

剛士は苦笑しつつも、隣の彼女を気遣うように、ぽんぽんと頭を撫でた。

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