第68話 日常を過ごしてくれますか?

優しい顔で笑う彼女の頬を、涙が伝った。


笑ったままの大きな瞳から、ぽろぽろと、悠里の張り詰めていた心が零れ落ちていく……


「ゆ、悠里、ごめん!」

切れ長の瞳が、驚きと不安を灯し、慌てて謝罪の言葉を口にする。


剛士らしくない、訳もわからずとにかく謝るという動揺ぶりに、悠里は泣きながら笑ってしまう。


「ごめん、違うの……あのね、振られちゃうって思ってたから、ホッとして……」

涙を拭いながら、悠里は緊張の解けた笑みを浮かべた。


「振るわけないだろ」

剛士が彼女の小さな両手をとり、ぎゅっと包み込んだ。


「俺こそ、振られると思ってたよ」

「振るわけないじゃないですか」


思わず顔を見合わせて、笑ってしまう。

お互いに、張り詰めた苦しさから抜け出せて、ようやく息をつけた気がした。



「ごめんな、悠里。不安にさせて」

悠里は微笑んで、首を横に振ってみせた。


「私ね。まだ、ゴウさんと過ごした時間が短いから……自信がないの」

「……うん」


少し寂しそうな、けれど優しい笑みを口元に乗せて、剛士は頷く。

大きな手がそっと、悠里の手を握り直した。


「私、ゴウさんのこと、何も知らない……ゴウさんとの距離は、まだ遠いのかなって……」

言いながら鼻がツンとしてしまい、思わず悠里は涙ぐむ。


「……悠里」

「だからね、ゴウさん」


悠里は彼の手を握り返し、大丈夫、という意味を込めて微笑んだ。

「また一緒に、お出かけしたいな」


昼間、剛士と並んで歩いたときに感じた幸せを思い返す。


暖かくて、大きな手。優しく微笑む、切れ長の瞳。

いろいろな話をした。何でもない、普通の会話。

そのなかで見つけた、たくさんの剛士の欠片。


ひとつひとつ拾い集めて、これまで知らなかった、新しい剛士を知る。

自分のなかに、くっきりとした剛士の像を結ぶ。


とても楽しくて、幸せだった。

そして何より嬉しかったのは、剛士も同じように、悠里の欠片を集めようとしてくれていたことだった。


こんなふうに剛士と2人、優しい時間を積み上げていきたい。

剛士のことを、もっと知りたい。

そして自分のことも、もっと知って欲しい――



「ゴウさん。これからも、私と一緒に、日常を過ごしてくれますか?」

朝、剛士が自分に言ってくれた言葉を使い、悠里はにっこりと微笑んだ。


剛士は、繋いだ悠里の手をしっかりと握り、頷く。

「……もちろん。俺の方こそ、よろしくお願いします」


ほっとした悠里以上に、剛士がほっとしたように微笑んでいた。

泣きたくなるほどに優しくて、壊れそうなくらいに繊細な笑顔だった。


「ありがとう……悠里」



彼の目に、さまざまな感情が浮かんでいる。

剛士は感情を整理するように一瞬目を閉じ、それから真っ直ぐに悠里を見つめた。


剛士が、何かを伝えようとしてくれていることがわかった。

彼の心に耳を傾けるために、悠里は切れ長の黒い瞳を見つめ返す。

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