第38話 これは罰ゲームも兼ねてるんだからな

「おー、ゴウ。待ってたぞ!」

「ああ」

次いで拓真も、いつものように明るく声を掛けた。

「はい。じゃ、ゴウからね?」

言いながら、剛士に選曲用のタッチパネルを突き出す。

苦笑しながらも、彼は素直に受け取った。

特に考え込む様子もなく、すぐに曲を入れると、剛士は歌い始めた。

流行りのアーティストが昨年出したラブソングだ。



彩奈が赤メガネの瞳を丸くしながら、悠里と拓真を見る。

「……シバさん、うまっ」

悠里も、驚きの表情で頷いた。


初めて聴く彼の歌は、憂いを帯びた甘やかな声。

その声質は、恋人へのひたむきな愛情を綴った曲と相まって、男性的な色香すら漂っている。


「うん。素敵な声……」

いつもの落ち着いた話し声にはない、艶やかな香りに惹き込まれた。

そんな女子2人の反応を見て、拓真は満足そうに微笑む。


「うまいでしょ! ゴウ」

しかしそのとき、剛士は唐突に歌いやめると、曲を途中で終了させた。

歌に合わせて、キラキラ輝いていた壁も、魔法が解けたように光が遠ざかり、ただの壁に戻る。


サビの真っ只中のことだった。

歌に聴き惚れていた3人は、ぽかんと剛士を見つめる。

「ゴウ、どした?」

「いや。この曲、歌いたくなくて……」

拓真の問いかけに、剛士は不思議な返答をする。

「何だそりゃ! 自分で入れたんだろ」

場の空気を明るくするためだろう、拓真が元気に笑い飛ばした。

「しょうがねえなあ。じゃ、オレが選んでやるよ」



そう言って拓真が入れたのは、聞いたことのないタイトルの曲だった。

(知ってる?)

と問いかけるように、悠里と彩奈は互いに顔を見合わせた。

見覚えのないバンド名が、モニタに表示されている。


「はい! 改めてトップバッター、張り切ってどうぞ!」

拓真が、にっこりと剛士を見つめた。

「……この曲?」

困ったように、剛士は問う。

「いけいけ!」

拓真の勢いに苦笑しながらも、剛士は素直に歌い始めた。



重い曲調ではあるが、勢いのあるサウンド。

先ほどのラブソングとは対極に位置しそうなロックだ。

しかしこの曲も、剛士の憂いを帯びる声質と力強い歌い方が、よく似合っていた。

その歌詞には、激しい後悔を胸に抱え、のたうち回るような心情が綴られていることに悠里は気づく。


『罪』『言い訳』

繰り返し現れる言葉が、痛々しい。

剛士は今、どんな気持ちでこれを歌っているのだろう。

彼の顔を見る勇気は出ず、悠里はただモニタに記されていく歌詞を追い続けた。


サビのフレーズを聴いた瞬間、彩奈が声を上げる。

「ああ! これ、ウチのお父さんがカラオケで歌ったことある!」

嬉しそうに拓真が応えた。

「マジで? オレ、お父さんと良いトモダチになれる!」

彩奈が笑い転げる。

その様子に笑みを誘われながら、悠里も拓真に感想を伝えた。

「素敵な歌だね」


悠里にとっては初めて耳にする曲だったが、歌詞の詩的な引力に魅かれた。

「でしょでしょ? 結構昔のバンドなんだけどさ、名曲多いんだよ!」

拓真がニコニコとそう言った。

「ふうん。もっと聴いてみたいな」

悠里の言葉に、拓真は満足そうに頷き、そのバンドの曲を立て続けに2曲選択した。

「ゴウに歌わせちゃおっと!」

モニタに次々と表示されていく拓真の選曲を見て、剛士は歌いながら抗議の視線を送る。

拓真はニコニコと、その視線を跳ね飛ばした。

「悠里ちゃんのリクエストだもーん」



剛士は律儀に最後まで歌いきり、後奏に入ってから拓真に文句をつける。

「なんで俺ばっかり歌うんだよ。お前が歌えばいいだろ」

俺より上手いんだから、と剛士はマイクを突き出す。

「悠里ちゃんリクエストに、お前が応えなくてどうする! それに、オレの本職はギターだもーん」

拓真が笑顔でマイクを押し戻した。


「ギター?」

彩奈が目を丸くすると、拓真が向き直り、にっこり微笑んだ。

「そ。オレ、ギターやってんの」

「そうだったんだ!」

彩奈と悠里が感嘆の声を上げる。


金髪頭にピアス。時折、前髪を明るい色のヘアピンで留めていることもある。

そう言われてみれば拓真は、いかにもバンドマンという風貌だ。

2人の反応を見て、満足そうに拓真が言う。

「こう見えて、勇誠学園ライトミュージック部の書記よ?」

「書記!」

彩奈がお腹を抱えて笑い出す。

「何故笑う! 書記は大事よ?」

「いやそうだけど、こう見えてとか言うから、てっきり部長なのかと」


2人が笑いながら言い合いをしているうちに、次曲の前奏が流れ始めた。

拓真が再び、剛士に笑いかける。

「とにかく、ゴウが歌え! これは罰ゲームも兼ねてるんだからな」

罰ゲーム。

明るい笑顔に反する意地悪な言葉に、剛士はまた苦笑した。

諦めたように、彼はまた歌い始めた。



伸びやかに響き渡る声。

明るい曲調ではあるが、別れを歌った曲だ。

拓真の選曲の意図はわからないが、まるで剛士の心を垣間見ているような錯覚を憶える。

悠里はますます熱心に歌詞を読み続けた。

過去を仰ぎ見るような言葉が、幾度も繰り返される歌だ。

高音域に入ると少し苦しそうになる彼の歌声が、いっそう曲の切なさを引き立てた。


「セクシーボイスだねえ、シバさん!」

歌い終わった剛士を見て、彩奈の赤メガネが輝いた。

「……疲れた」

咳払いをし、ウーロン茶を飲む剛士を急き立てるように、次のアップテンポな前奏が始まる。

ふて腐れたように、剛士が拓真を見た。

「……この曲高い。キー下げたい」

「何言ってんだよ、そのままそのまま!」

剛士の要望を、拓真がにべもなく払いのける。


彼は顔をしかめたが、それ以上の文句は言わず、また歌い始めた。

剛士はヤケくそといった体で歌っているが、歌詞の内容もそうで、投げやりな歌い方が似合う曲だった。

自分を理解されない苛立ち、あるいは諦めにも似た感情が、スピード感溢れるメロディに乗せられていた。



「いえーい! ゴウ、かっこいい!」

拓真が大袈裟に手を振り、歓声を上げる。

「……勘弁してくれ」

ぐったりとソファにもたれ、剛士が静かにギブアップ宣言した。

「えー残念。まだまだ歌って欲しい曲、あるんだけどなあ」

悪戯っぽく拓真が笑う。


「2人にも歌わせてやれよ」

迷惑そうに眉をひそめ、剛士は悠里と彩奈を指した。

彩奈が、ニヤニヤ笑いを浮かべる。

「いやいや、ホント上手いからさ! シバさんの歌、ずっと聴いときたいよ」

「……ほんとに勘弁してくれ」

剛士は溜め息をついた。

「ええー? カッコよかったのに! ね、悠里?」

「え?」

悠里は慌てて微笑みを浮かべた。

「うん! 素敵な歌詞だったね!」

「ちょっと悠里、何の感想述べてんのよ。肝心なシバさんの歌については?」

笑いながら彩奈に肩を叩かれ、悠里は頬を赤らめた。

「ええと……歌詞と、ゴウさんの声が、合ってるなと思ったよ」


それは嘘ではない。

情感豊かな歌詞を剛士の声で聴くと、心に深く沁み入るようで、思わず、じっと耳を澄ませていたくなったのだ。

「悠里ちゃん、よく気づいてくれた!」

拓真が嬉しそうに声を上げた。


「歌詞はボーカルが書いてるんだけど、彼の作詞と歌の表現力が、このバンドの大きな魅力なんだよ」

拓真が勢いのまま、バンドについて語り始めようとしたが、それを遮るように部屋のインターホンが鳴り響く。



「うわ、もう時間か。早いなあ」

拓真が立ち上がり、受話器を上げながら他の3人を見渡した。

「どうするー?」

「……悪い。俺は帰るわ」

低い声で剛士は言った。


「じゃあ、」

出ます、と言いかけた拓真から受話器を引ったくり、彩奈が店員に延長を告げる。

「だって私たち、まだ歌ってないじゃん。3人で居残りカラオケしよ!」

彩奈が元気に言った。


悠里と拓真は顔を見合わせたが、彩奈の勢いに押され、頷くしかなかった。

剛士が性急に立ち上がる。

「悪いな。じゃ、お先」

拓真に代金を手渡すと、剛士は1人、部屋を出て行った。

カチャリ、と扉が閉まり、あとには3人の時間が残された。



「……さてと」

ふうっと息をつき、赤メガネの奥の瞳が、ギラリと拓真を射すくめた。

「拓真くん。いろいろ、聞かせてもらうからね!」

「はは……」

拓真は、情けない笑みを浮かべた。

「やっぱり、そういう魂胆だった?」

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