第33話 ゴウって、呼べよ

悠里と剛士、そして谷は校長室を辞した。

「本当に、すまないね。橘さん」

職員用の出入り口まで来たところで、谷は悠里を見つめ、ゆっくりと言った。


「分校の教諭は精鋭揃いだから、ひとまずは安心してよいと思う。……しかし、また何か心配なことがあれば、遠慮なく私に相談してくれ」

「ありがとうございます」

谷の立場としては、これが精一杯の言葉であることを理解し、悠里はそっと頷いた。


谷は剛士に目をやる。

「柴崎。彼女をしっかり守ってやれよ」

「はい」

「……ま、言うまでもないか」

しっかりと応えた剛士に、ふっと谷は笑った。


「あんなに熱くなったお前を、初めて見たぞ」

悠里を救出したときのことを思い返し、谷は言う。

バスケの試合ですら冷静なお前がな、と言うか早いか、剛士の頭を捕らえ、グシャグシャと撫でた。


「うわ」

突然のことに避けられず、剛士は目を白黒させた。

綺麗な黒髪が、無残な形に崩れてしまう。

「お前ら、気を付けて帰れよー!」

谷は豪快に笑い、去って行った。



「……大丈夫ですか?」

笑ってはいけないと思いつつ、悠里は口元を緩めながら囁いた。

剛士は頭を振り、溜め息をついた。

「いい先生なんだけど、たまにうっとおしい」


堪えきれず悠里は笑い出す。

その拍子に、サブバックに入れていた袋が、かさりと音を立てた。

「あ、」



悠里は慌てて袋を取り出し、剛士に差し出す。

「そうだ、彩奈から預かったんです。試合の写真」

「昨日の? 早い」

剛士は笑顔になり、受け取った。


「すごく、素敵でしたよ!」

ここに来る前、悠里も同じものを貰ったのだ。


美しいフォームでシュートをする剛士。

仲間とハイタッチする笑顔。

そしてボールを追うひたむきな姿。

試合の緊張感、剛士の勝利への意識までも写しこんだ、綺麗な写真ばかりだった。


写真を見たときの感動が蘇り、自然と悠里の顔がほころぶ。

「へえ。じゃ、今見よう」

剛士も微笑み、廊下の壁にもたれかかると、袋から膨大な写真を取り出した。

悠里も同じように、隣にもたれかかる。



剛士は1枚1枚、丁寧に見ては悠里に写真を手渡した。

「……すごいな。うまく撮れてる」

感心した様子で剛士が呟く。

その様子に、悠里も嬉しくなる。


改めて見返しても、戦う剛士の姿を生き生きと捉えた、素晴らしい写真ばかりだった。

彩奈の技術、何より写真に対する熱意に敬服するばかりだ。



最後の1枚。

剛士は一瞬目を丸くした後、ふわりと微笑を浮かべた。

「……へえ。いい写真」


どの写真だろう。

悠里は彼の手元を覗き込み、そして驚きに頬を赤らめた。

「これ……」


剛士が持っていた最後の写真は、悠里の横顔だった。

試合前、観客席から剛士を見つめていたとき、ふいに撮られたことを思い出す。

この写真は、悠里が貰ったものの中には入っていなかった。

わざとそうしたに違いない。


「彩奈ったら……」

悠里は恥ずかしさに目を伏せる。

剛士が微笑んだ。


「……拓真から聞いたけど。彩奈の写真のこと、暖かい空気とか、優しい色合いが詰まってて大好きだって、言ってたんだってな」

優しい声で剛士は言った。

「それ、よくわかった。俺、この写真好きだから」


その言葉は、悠里の胸をトクトクと揺さぶる。

「柴崎さん……」

「悠里」

剛士が、ゆっくりと囁いた。


「敬語で喋るの、やめろよ」

「え……?」

「それから、」

剛士が腰を屈め、目線を悠里の高さまで下ろした。

「ゴウって、呼べよ」


剛士の、切れ長の綺麗な瞳が、真っ直ぐに悠里を見つめる。

息が止まりそうだった。

彼の視線で熱を帯びてしまう頬を、悠里は持て余してしまう。


「悠里」

彼の低くて暖かい声が、柔らかく耳をくすぐる。

「……ゴウ、さん」

やっとの思いで、悠里は応えた。


心臓が、甘やかに飛び跳ねていた。

ふっと、剛士が小さく吹き出す。

「ん。……まあ、始めはそれでいいや」

そして、歩き始める。

「帰ろうぜ、悠里」


悠里は心のなかで、剛士の声を反復した。

『始めはそれでいいや』

そう。自分たちは、始まったばかりなのだ。

胸の高鳴りが、心地いい。

「……うん!」

頬をほころばせ、悠里は彼の後を追った。



「あ、」

校門では、金髪頭と赤いメガネの2人が、話し込んでいた。

盛り上がりすぎて大声になっており、周囲からの注目を浴びている。


「拓真!」

「彩奈!」

それぞれが親友の名を呼ぶ。

悠里と剛士の姿に気づくと、2人はパッと顔を輝かせ、大きく手を振ってきた。


「やっほー! 終わったのー?」

悠里たちは2人の元に駆け寄る。

「うん! 彩奈、来てくれたの?」

「やっぱり、心配でさあ」

赤メガネの奥の瞳が、柔らかく悠里を見つめた。

「それで、拓真くんに連絡取って、一緒に待ってたってわけ」

「ありがと、彩奈」

いつだって暖かい親友の笑顔に、悠里は微笑み返した。


「お疲れ、ゴウ!」

「おう」

拓真の声に軽い返事を返し、剛士は彩奈に言った。

「写真、ありがとな」

「いえいえ! お礼はジュースでいいですよ!」

彩奈の言葉に、思わず剛士は笑った。


「お、試合の写真?」

拓真が笑顔で食いつく。

「オレも見たい!」

「じゃ、どっか店行くか?」

剛士は3人の顔を見回した。

「俺、ジュース奢らなくちゃいけないし」


「さんせーい!」

彩奈が両手を上げて笑う。

「ごちでーす!」

「お前には奢らねえよ」

軽口を叩きあう拓真と剛士。

その光景に悠里は笑い出す。

偶然の出会いから始まった4人の友情が、ゆっくりと動き出した。

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