第10話 いたずら電話は男の声

弟が出かけたあとは、何をする気にもなれなかった。

悠里は制服姿のまま、ソファに座っていた。

このまま静かに、夜が過ぎればいいと願った。


しかし1人きりのリビング、電話の音が無情にも静けさを切り裂いた。

ビクッと悠里は肩を竦める。


時計を確認すると、18時過ぎ。

いつもイタズラ電話が、かかり始める時刻だった。


まるで電話の向こうに存在を気取られまいとするように、悠里はそろそろと近づいて電話機を覗き込む。

ナンバーディスプレイには、非通知の文字。

悠里は思案する。

両親からの連絡という可能性も、なくはない。しかし――


『電話取んなよ! どうせイタ電だからさ』

弟の言うとおりだ。

もうひとつの嫌な可能性のことを思うと、独りの今、応答する気にはなれなかった。

ため息をつきながら、ソファに戻る。

悠里は体育座りをして身を小さくし、電話が鳴り止むのを待つことにした。



5分。10分。

その間、電話は何度も切れては掛かるを繰り返していた。

今日は、特にしつこい。

悠里は小さく唸った。

ひっきりなしに叫び続けるベルの音を聞いていると、このときが永遠であるかのような錯覚を憶える。


次第に、別の不安が頭をもたげてきた。

もしかすると、これは両親からの電話かもしれない。

何か急用があって、自分と話したくて、根気強く鳴らしているのではないだろうか……


悠里はもう一度、時計の針の進みを確認する。

ベルが鳴り始めてから、間もなく30分が過ぎようとしていた。

足をしのばせるようにして、悠里は電話機の元へ行く。


長過ぎる。

イタズラ電話が、ここまでしつこかったことはない。

やはりこれは、両親からの電話なのかも知れない。

さんざん迷ったあげく、ついに悠里は受話器を取った。

恐る恐る耳に当てる。

「……もしもし」

少し掠れてしまった自分の声に、相手は応答してこなかった。


――イタ電。

失望に唇を噛んだ。

根負けして電話を取ってしまったことを、悠里は心底後悔する。

それとともに、ふつふつと怒りの感情が沸いた。

「……誰なんですか。もう、いい加減にしてください!」

思わず悠里は、顔の見えない相手に叫んでいた。



向こうで、息を飲む気配がした。

ぎゅっと悠里は受話器を握りしめる。

ノイズが聞こえた。

――ノイズ? 違う、これは……


『……おい、やべえよ、怒ってる』

『いいじゃねえか、久しぶりに悠里ちゃん直々に電話取ってくれたんだから』

『バカしゃべんな、聞こえたらどうすんだ』


男の声、それも複数の。

なけなしの怒りは恐怖に飛散し、悠里の指先が冷たくなっていく。


『別に、いいんじゃね? もう、喋っちゃおうよ』

細かく区切るような、いびつな口調で話しているのが聞き取れた後、ガサガサ、と雑音がして、間近に荒い息が聞こえた。


『悠里ちゃん!!』

受話器から大声が飛び出してくる。

彼女の名前を、口々に叫んで。

『悠里ちゃん!』

『ゆーりちゃーん!!』


頭を殴られたような衝撃の中、悠里は次の言葉を聞いた。

『ねえ、悠里ちゃん。封筒! ちゃんと、見てくれた?』 


 単語を区切る、気味の悪い話し方。

男たちの甲高い笑い声。

悠里は声にならない悲鳴を上げた。


『悠里ちゃん、大好きー!!』

受話器を取り落としてしまった。

慌てて受話器を拾い上げ、本体に叩きつけるようにして通話を切断する。


ぺたりと床にしゃがみ込んだ。

――封筒。

ガタガタと震えながら、悠里は本棚の隅に隠した茶封筒に目を向ける。

見たくない。開けたくない。知りたくない。

心とは裏腹に、まるで操られるかのように、身体は本棚に向かった。

ほとんど四つん這いの格好で。


たどり着くと、悠里は震える指で封筒を取り出し、封をちぎった。

端まで切ったところで、封筒を取り落してしまう。

バサバサッと重い音を立てて、中身が滑り出た。

悠里はその床に目を落とす。


おびただしい量の写真だった。

悠里の顔。

全身。前、横、後から。

胸や足だけなど、身体の一部分を大きく写されたものもある。

一際目立ったのは、風でスカートが捲れ、太ももが露わになった写真。

他より大きなサイズでプリントされていた。


悠里は、ひっと息を飲む。

手紙が何枚も入っていた。

『いつも見てるよ』

『仲良くしよ』

『大好き』


それから、口に出せない卑猥な言葉が、大量に並んでいた。

無意識のうちに後ずさる。

その足が、テーブルに当たった。

ガタンッと大きな音が鳴る。

耐えきれず、ついに悠里は声に出して悲鳴を上げた。

まるで、電話の主が後ろに現れたかのような錯覚を憶えた。

今までとは比べ物にならない、全身を貫くような恐怖が悠里を支配する。


電話が再び、けたたましく鳴りだした。

心臓が勢いよく飛び跳ね、竦みあがった。

――助けて。

怖い。助けて!

誰にともなく、心が叫んだ。

電話は依然として、激しく鳴り続けている。


逃げなくては。

衝動のまま、悠里は震える足で家を飛び出した。

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