第9話 恐怖の茶封筒

数日前、A4サイズの茶封筒が、家のポストに入っていた。

「橘 悠里様」と、太いマジックで大きく書いてある。

それ以外には何も書かれていなかった。


差出人が分からない。

それに住所がなく、切手さえも貼られていなかった。

つまり、直接ポストに投函されたということだ。

それに思い当たったとき、悠里の心臓は凍りついた。


封筒の中身は厚紙で保護されているのか、固く曲がらないようになっていた。

悠里はそれを開封せず、弟の悠人の目にも触れないよう、本棚の端に隠した。

中身を確認するのが怖かった。


悠里は弟が帰宅する前に、警察に相談の電話をした。

イタズラ電話のこと、そして茶封筒のことなどを説明したが、警察の反応は型通りのものだった。


その程度のことでは、警察は動けないというのだ。

気休めのように、自宅周辺のパトロールを強化してくれるとは言われたものの、基本的には自分で気をつけなさいという内容だった。


『下手に刺激すると、エスカレートします。実害がないなら、無視が一番ですよ』

警察に言われた言葉が、よみがえる。



『実害がない』

少なからず、衝撃を受けた。


イタズラ電話や不気味な封筒は、警察にすれば、実害ではないと片づけられてしまう程度のことなのだ。


自分が、気にしすぎているだけなのだろうか。

自分が必要以上に怯えているから、周りの人に迷惑をかけてしまうのだろうか。


悠里は俯き、唇を噛む。

こんな小さなことで、警察に助けを求めるなんて……馬鹿なことだったんだ。


自分の判断力に、自信がなくなっていた。

とにかく今は、警察に言われたとおり、無視するしかない。


――しっかり、しなきゃ。

怖がっていたら、犯人に面白がられるだけ。

イタズラ電話も、変な封筒も、無視していればいい。そのうち、終わるはず。

もう少しだけ、我慢すれば……


周りの人々に、これ以上の心配を、迷惑をかけたくなかった。

悠里は、彩奈はおろか悠人にさえも、封筒と警察の対応の件は打ち明けなかった。



「ただいま」

「姉ちゃん、おかえりー!」

悠里が家の扉を開けたとき、弟の悠人はリビングで、せっせと鞄に着替えを詰め込んでいた。

「……どうしたの?」

きょとんと悠里は弟を見つめる。


悠人が言った。

「部活の合宿。学校で1泊すんの」

「今夜? そんな、いきなり」

「言ってなかったっけ?」

とぼけた弟の回答に、悠里は脱力感を覚える。


悠人の部活は、バスケ部だ。

――柴崎さんも、バスケ部だったな……

勇誠学園 籠球部。

ふいに胸に浮かんだ長身のジャージ姿に、悠里はハッとする。

慌ててパタパタと手で顔を扇ぎ、イメージをかき消そうとした。


「……何やってんの?」

「な、なんでもない、なんでもない!」

勝手に顔を赤らめ慌てる姉に、悠人は首を捻る。

「……まあ、オレはもう行くから。何かあったら、連絡して」

悠人は手を振り、リビングの扉を開けた。


「あ、電話取るなよ! どうせイタ電だからさ」


どきりとする。そうだ、悠人が出かければ、自分は独りになるのだ。

「う、うん。そうする」

言い知れぬ不安が胸をよぎる。

しかし、それを表に出すわけにはいかない。


悠里は元気な笑顔を作り、弟を見送った。

「行ってらっしゃい!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る