同居
朝起きてシャワーを浴びてから、私はすごく重要な問題に直面した。
私は大学生なので、講義に出なければならないのだ。その間、こいつをどうすればいいんだろうか。彼を家に残しておくのはとてつもなく不安だけど、講義に連れていくわけにもいかない。うわあ、どうしよう。
私は散々悩んだ末に、お留守番を頼むことにした。苦渋の選択だった。
「講義行ってくるけど変なことしないでね」
「するわけがないだろう」
彼は耳をピンと弾いた。
私は嫌な予感を胸に抱えたまま登校した。講義の内容は一切頭に入ってこなかったし、三百円の昼食に千二百円出してレジのおばちゃんを困惑させた。こんなことなら自主休講でもしておけばよかった、と後悔した。
講義が終わった瞬間、脱兎のごとく大学を飛び出して帰途についた。
玄関を開けると、彼はテーブルの上で何やら書き物をしていた。そして、私のお気に入りのキュロットを頭から被っていた。
私は彼を家に引き入れた昨日の自分を恨みつつ、すぐに手近なドライヤーで三発ほどぶん殴った。
「モサッサ!」
彼は変な悲鳴を上げた。
その後の話し合いで、私のキュロットが彼の国の「モサッサ」という服(小さい帽子のようなもの。頭に被って使う)に酷似していたため、勘違いして着用していたことがわかった。涙目の彼に一応謝罪し、とりあえずもう一回ぶん殴った。それとこれとは話が別だ。女子のクローゼットを勝手に開けるな。
「ところでこれを見てくれ」
彼は涙目のまま、ノートに書き殴った謎の記号の羅列を見せてきた。私に見せるならせめて日本語で書いてほしいと思うし、だいたいそれは私の数理統計学の板書用ノートだ。授業の日数を計算して残りページを配分してたのに。
「この反応式で間違いないと思うが、どうだろう」
「ごめん私それ読めない」
「ふん」彼は鼻を鳴らした。「じゃあ、ドラゴンでもわかるぐらい簡単に説明してやろう」
ドラゴンってそういう侮辱に使われるものなの? 昨日、共生関係がどうとか言ってなかったっけ?
「ドラゴンと衝突したときの撃力によって生じた物理エネルギーとドラゴンの持つ魔力エネルギーが首飾りに内蔵された構築式の中に同時に流れ込んだんだ。魔力エネルギーを消費して発動するタイプの転移魔法に、本来想定されていない物理エネルギーが加わっている。ほら、この項だ。この項が発散している。おそらくは固有振動数で共振したエネルギーが第五の壁を飛び越えるに至ったのだろう」
何を言ってるのかよくわからないけれど、とにかく別の世界から来たのは間違いないみたいだ。なのに言葉が通じるのは不思議だけど……ああ、そういえば翻訳機があったな。
いっそのこと通じなければよかったのに……。
「このノートを使ってはいけないと言うのなら代わりのを寄越せ」
「家にはないよ、買いに行かないと」
「じゃあ買いに行け」
私は散々悩んだ挙句、もう一発殴ってから彼を残して家を出た。
彼と一緒に歩いているのを目撃されるほうが嫌か、彼を家に残して行ってまた家の中を勝手に漁られるほうが嫌か……ギリギリの選択だった。絞殺と銃殺、どっちがいいか聞かれているような気分だ。どっちも嫌に決まってる。
私はノートを買い、古着屋に入って男物の服の中でも一番安いのを一揃い買った。シャツが五百円、ズボンが九百円だった。それから晩ごはん用に袋麺も買った。
家に帰ると、彼は熱心にノートに向かって何かを書き殴っていた。だからそのノートは使うなと言ったのに。私はノートを没収し、新しいのを渡した。
ぶん殴ったのが効いたらしく、勝手に服や物を漁ってはいないようだった。
私は胸を撫で下ろし、ご飯を作り始めた。
私がご飯を作っている間、そして食べている間、彼は延々と喋り続けた。ドラゴンについて、魔法の構築式や反応式について、そしてドラゴンについて。喋り始めると止まらない性質らしかった。
「ドラゴンといえば二足歩行で、翼があって……という認識はもう時代遅れだ。東方の小国では翼も脚もないのに空を飛ぶドラゴンが確認されているらしい」
「へえ」
私はスープを啜って箸を置いた。ごちそうさま。
「この構築式、よく見たらエネルギー供給のあたりがかなり適当なんだ。エネルギーの次元をこうも乱雑に取り扱っているのは初めて見た。なんだこの時定数は。これで誤魔化せるとでも思ったのか? まったく、書いたやつの顔が見たいよ」
「はあ」
私は立ち上がり、食器を台所に持っていった。あとで洗おう。
「お前はどうだ? ドラゴンといえば何をイメージする?」
「ふうん」
私は棚からタオルと部屋着を取り出し、洗面所に入ってカーテンを閉めた。
「貴様、さては真面目に聞いていないだろう!」彼がカーテンを開け放って憤怒の形相で叫んだ。「王都大での私の講義はいつも抽選、受けたくても受けられないやつがゴロゴロいるというのに貴様はこの栄誉ある一対一指導の機会を贅沢にもごッ」私は脱ぎかけていたカーディガンのボタンを丁寧に戻し、洗面台のドライヤーを引っ掴んで彼の頭に叩きつけた。
「人の風呂を覗くな!」
私がゆっくり風呂に浸かってから上がり、洗面所で服を着てからカーテンを開けると、彼はまだそこに倒れていた。
ここで死なれたらいろいろと面倒だ。「おーい」ゆっさゆっさと揺さぶると、彼は私の手を払いのけた。「ふん」どうやら拗ねているようだった。
「学者の頭を殴るなんて」
「どんな職業でもね、今のあんたが覗き魔であることに変わりはないの。おわかり?」
私はわざと彼を踏んづけてからリビングに戻った。
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