6.アウル研究所①


「そういう訳でしたら何なりと見学していってください。

 うちの研究所からのデータなんて洗いざらいそちらに提出ずみですからね、いまさら漏洩の心配もありません」


 アウル研究所所長、ジョセフ・カーター氏は穏やかにそう言った。

 恰幅がよく、皺の奥から人好きのする笑みをのぞかせている。


「けっこうな感じで儲けてそーな人だね」


 シュウの影にかくれながら、ひそひそとイオルがカナキに囁いた。


「でも穏やかそうでいい人じゃない。話も聞きやすいんじゃない?」


 たしなめるように返す。

 

「ご厚意感謝いたします。後ろの二人は新人ゆえ、今後ののためにもこちらで研究所の感じを少し触れさせておきたくて」


 背筋を伸ばし、社交モードに入ったらしいシュウが応える。

 真人間っぽさを押し出しすぎて、二人からしてみればかなり胡散臭い。


「どっちかっていうと、実践実践アンド実践で色んなこと忘れてきちゃったシュウのために知識詰め込みなおしましょう、の会だよね」

「どう考えてもね」

「黙れ教科書頼りの新人どもめ」


 ぐりん、と器用に顔をカーター氏からそむけ、修羅の形相でシュウが睨む。

慄くほど速い。


「はは、なかなか面白そうな二人でいいじゃありませんか。こういう世界で案外とやっていけそうだ」

「まさか」


 シュウは鼻で笑った。


「しかし、こちらの研究所の業績は素晴らしいですね。現在の全国におけるディプシウム濃度のマップは、こちらのアウル研究所が中心に作成してくださったとか」

「いえいえ、我々はまだそこまでのことは……なにせ、この分野の研究は始まったばかりです。その前からもやっていたことはいたんですが、今に比べれば小さいものでしたよ。実験に使うものがそうそう採れなかったですからね」


 突き出た腹にもかかわらず、カーター氏は物が乱雑におかれた通路を器用によけて先導する。三人のほうが手こずる有様だった。


「そんな状態を解決してくれたのがこのディプシウム集積装置です」


 そう広くないが複雑に分かれた部屋の通路内、その合流地点で彼は立ち止まった。

 大きな灰色の箱を指差している。

 ひとつ特徴的なのは、本体にそぐわぬ長く銀色をした、アンテナのようなものが突き刺さっていることくらいか。あとはおまけのようにホルンの先っぽだけがとりつけられており、無数のレバーやボタンがついていた。


「十数年前くらいでしょうか。こいつができてから、正確には、あの論文が出てからディプシウム関連の研究が大きく進み始めました」


 あの頃は我々も路頭に迷う寸前でしたねえ、と髭をなでつけながら、彼は昔を思い出しているようだった。


「ああ確か、題名は……」

「dp因子欠損『黒鷲チヨアオイ』によるディプシウム大量精製法の確立」


 カナキとイオル、二人が見事に唱和した。


「そうそうそれそれ、ってなんでお前らそんなすらすら言えんだよ?」


 シュウが訝しげに問う。


「そりゃあ協会支給の教科書にあれだけデカデカと書いてあったらね」

「もう赤文字で強調されまくってるわ何度もでてくるわ、コラムから覚える派のわたしですら危機感感じて覚えるレベル」

「協会は学校か!」

「能力者の基礎知識強化の目的で、俺たちの代からテストやるようになったからね」

「そんなことに金かけてないで現場にまわせよ全く……」


 シュウは諦めきったように脱力した。いつだって末端の声など届かないのである。


「はぁ、もういい。……で、この偉大な装置を作ったのはその論文を書いた方で?」

「ああ、いえいえ。彼はもう亡くなっていますから」


 ほんの一瞬だけ虚空を見上げ、カーター氏は続けた。


「こいつは彼の論文をもとにして装置化したものです。といっても、あの巨大な箱の中で段階的に濃度を上げていく工夫をしてあるだけで、彼の論文とそう違わないつくりだとは聞いているんですけどね。大気中からディプシウムを取り込んで、我々の目に見えるくらいの粉にしてくれます。ああ、今ちょうど結晶化したのが出てきますよ」


 彼が促すと同時、正面に取り付けられたガラスのカップの中に、銀色に光る粉がきらきらと落下していく。

 結晶化されたばかりのディプシウムはとても綺麗にきらめいていた。


「人間から析出されていないディプシウムを見るのは初めてですが、綺麗なもんですね」


 シュウが感心したようにつぶやく。

 カナキたちに対する態度はひん曲がっているが、根は案外素直なのかもしれない。


「そうですね、結晶化してすぐのディプシウムはかなり透明です。酸化してくると徐々にくすんで、灰色に近くなります。まあ、我々が常に身に着けているディプシウムは酸化された状態ですから、実験に使うのもその状態がほとんどですけどね」

「すごく今更だけど、これが本来のディプシウムの色ですよね? ヒトから出てくるとそれぞれ色が違うのはどうしてなんだろう。わたしの近所のおねえさんの石は妖しい紫だったし、シュウはなんか金色みたいな感じだし」


 首をひねってイオルが聞いた。

 わずかな動作でサイドテールがうごめく。

 微笑みながら元気な髪を受け流して、カーター氏は続けた。


「まだ具体的にはわかっていないですね。地域によって出やすい色などがあるみたいですし、その土地や文化、食生活、年齢、性別、体内に留まっていた期間……色々な因子が関わっているとしか」

「本当にまだ始まったばかりの分野ってことですね」


 しょんぼりとするイオルにかわり、カナキが後を引き取った。


「そうです」


 満足げに彼が頷く。笑うと目が皺で隠れるようだ。


「だからこそ、若い人たちに後に続いてほしい。こんな老いぼれでなくね。……あの論文の発表者、ソウジュ・セルディードのように」


 若くして逝ってしまいましたがね、と老人はひっそりと続けた。

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