4.ディプシウム


「スマイルスロットル全開でお昼くれたくせに……詐欺だ、きみ」


 イオルがうめいた。まだ後頭部をさすっている。


「人間ね、誰だって空腹だと穏やかじゃなくなるわけ。ついでに言うけど、サイドテールの結び目狙ったからそう直撃コースじゃないよ」

「わりと直撃だよ! わざわざ昼ごはん進呈してくれちゃった優男系イケメンはどこいった!」

「君が寝てから段々駄目になってったみたい」


 けろりとカナキが言ってのけた。


「俺、朝はほとんど食べない派だから、今日に至ってはほぼ何も食べてないんだよね。もはやそのギャグみたいな氷砂糖でいいから進呈してくれてもいいよ」

「ダメだよこれだけは。 他の食べ物だったらいざしらず、これはリアル遭難対策の命綱というか、見える精神安定剤というか。さっきも言ったじゃん。この情緒わかる?」

「ああ……似たようなこと言ってたっけね。まあいいよ、なんかこのあたりのやつとかうっすら緑っぽいし、カビてる疑惑あるしね? これは確かに人に分ける用じゃないな」


 テーブルに置きっぱなしだった薄い飴色の瓶を勝手に開け、好き放題言ってカナキは興味をなくす。内容はなかなか外道だが、見てくれの優男さだけは健在だった。


「砂糖がカビるか!」

「めちゃくちゃ不純物でも含んでるとかじゃないの?」

「こういうさ、あーいえばこーいう人種が女の子を泣かせるんだよねー!」

 終わりそうもない争いに、シュウは終焉を告げることにした。鉄拳である。


「さて、バカも起きたところでまずはオレたちがここに招集された目的でも話しておくか。オレは監査官ナビゲーター、お前らはディプシライト――ディプシウム析出の際、特異な能力を得た人間。協会によって見出され認定を受けた者たち」

「うす」


 イオルが直立不動で気合の入った返事をする。

 今日一日で初対面二人に暴力をふるわれるという珍事により、社会とはかくも恐ろしいものかと思っているらしい。


「ナビゲーターをリーダーとし、任務によるが付くディプシライトは二、三人。スリーマンセル及びフォーマンセルを基本とする」

「うす」

「お前らはディプシウムの排出が三カ月前に来たばっか、ディプシライトとしての養成所も出るどころか通い始めてしばらく、位のぴっかぴかのつるっつるの新人どもだ。そんな使い物にならない確定のお前たちが集められた理由はただ一つ」

「それは我々が優秀すぎるからです」


 イオルが高らかに応える。


「もっかい寝てくるか、ああ?」


 ただしもう目覚めない眠りだけどな、は言わなくても通じたらしい。

 イオルは先ほど襲撃をうけた頭をとっさに抱え込んだ。


「使い物にならないものでも投入せざるをえないから」

「かわいくねーな正解です」 

 至極まともなカナキの答えに若干いらつきながら、シュウは続けた。


「最近、つってもここ数年の話なんだが、この国におけるディプシウムの濃度バランスがどうもおかしいってことがわかってな。ってか、ディプシウムくらい常識で知ってっよなぁ? おいイオル、一般常識テストだ。ディプシウムについて知ってること洗いざらい吐け」

「それ、脅し以外の何者でもないです隊長。しかも洗いざらいだなんて、地味にハードルの高い」


 どうみても無茶ぶりであるが、シュウはこれでもかと上から目線で回答を迫っている。カナキに『助けて』のアイコンタクトを送るが、いかんせん空腹が解消されていないためか、気だるげにイオルの要求を受け流した。

 誰だ、旅は道連れ世は情けとか言った奴。


(薄情者!)


 イオルは、頭にほんの少しこびりついている記憶を総動員した。


「えーっと、『ディプシウム』というのは、大気中に微量に含まれる物質のことで、この世界において、ちょっとくらい摂取するなら問題なし。

 たしか寿命の短い節足動物から、ディプシウムの分解器官がないことからすでに証明がされている、はず。

 でも、ある程度生きる限り摂取し続けるとなると、それは極めて強い毒性を生物に示すようになる。ヒトを除いた、そこそこの寿命を持つ生物はみんな、進化の過程で体内に何らかの浄化作用を組み込むことで、この毒性をなくして生きてる。


 でも、歴史上新しい生き物であったヒトは浄化作用を組み込む暇もなく増殖、そいでもって一時絶滅の危機。やむをえず、『ディプシウムを体内から取り出す』という非常手段もとい、程度の低い進化を遂げる。こうして体内から圧縮されて取り出されたディプシウムが凝縮された石は捨てられることなく、身に着けることでこれ以上のディプシウムの侵入を防ぐ。一生自身の身を守るバリアを張ってくれる、文字通りのお守り。


 この石の排出は通常十二~十五歳くらい。でもまれにぶっとんで早い個体もいる。……超おおざっぱな歴史編はこんな感じでどうでしょう隊長」

「お、おう、義務教育は受けてきたみたいで一安心だ」


 大雑把どころかかなり詳しい。

 彼女の意外な知識量に気圧されかかったが、努めて冷静にふるまう。


「そのディプシウムだがな、……バラついてやがるんだ。オレたち人間ってのはガキのころからこいつを身体に取り込んで、時期が来たら身体から石になって出てくるだろ? これが普通のディプシウムの濃度における普通の反応だ。ところがこの一定に保たれていたはずの濃度が地域ごとに濃かったり薄かったりしてきているみたいでな。濃度が濃すぎて身体の外に出す前に自分の身体の限界がきて死んじまうか、薄すぎて石にしても使えなくてやっぱり死んじまう、って奴が増えてきてるんだとよ。実際ディプシウム性疾患の罹患率や死亡率は増加傾向だ。今はこの国限定の問題だが……範囲が広がっている。一年後にゃこの現象は国境を超える、そういう見解が出ている」

「国境……」

「今でもまずい事態なのに、更に国際問題になる可能性があるってこと?」


 一息ついて、シュウは表情の変わった二人を見やる。


「そう。でっかく言や世界の救済だ。もうわかるな? オレたちの任務はこの現象の原因の特定・排除。まだ国内でしか発生してないのなら、原因は国内にある。で、めんどくせえことに、これが終わるまでオレたちはチームを解散することは許されない。オレの人生初・クソほどぴかぴか新人ちゃんどものお守りからの解放も許されない」

「はい先生」


 首をかしげてイオルが言った。


「生徒は手を挙げて言うように」

「はい先生!」


 首をかしげつつ、シュピッ、空気を切るように右手を挙げてイオルが言った。

 心なしか声までシュピッ、としたような気がする。


「はいイオルさん、質問を許可します」

「集められた理由もわかりましたし、とにかく相当に大変そうなのもわかりました。で、集まったところで我々は一体何からとっかかればよいのでしょう?」

「とてもいい質問ですイオルさん」


 シュウは手放しでイオルを褒めた。

 在り得べかざることである。


「それを我々は今から決めなければなりません」



「……ええ?」


 二人が思わず聞き返す。

 シュウの表情はなぜか誇らしげだ。


「あの、もう一度お願いします先生」


 今度はカナキが言った。シュピッ、とである。


「それを我々は今から決めなければなりません」

「……は?」

「……へ?」

「どうかしたかね君たち」


 とシュウが言った。腕組までして実に偉そうである。


「要するに」

「ああ」

「ずぶの新人だとかぴっかぴかのつるっつるだとか使いものにならないだとかエトセトラエトセトラ言ってくれちゃったわりに」

「おお」

「結局具体的な行動すらそのド新人どもで決めなきゃいけない、と」

「オレもいるぞ」

「わかっとるわ!」

「わかっとるわ!」


 ついぞ崩れることのなかった上官の誇らしげな態度に、新人二人は終焉を告げることにした。

 鉄拳の二連打である。

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