18話 ノアの瞳

 オリバー様にブレスレットをいただいた日の夜、私はノアさんと会っていた。

 会っていたというより、いつも通りにベランダから侵入してきたのだが。

「そのブレスレットはどうされたのですか? 今日の昼間には、つけていませんでしたよね」

 めざといなあ。私は、嘘をつくか、本当のことを言うか悩んだ。悩み終わる前に、ノアさんが話しかけてきた。

「オリバー王子ですね」

 私はドキリとした。表情が変わらないように努めたが、うまくできたかはわからない。

「オリバー王子ですよね?」

 ノアさんは、じりじりと私に近づくので、私は後退する。これは、正直に言うしかないのかな。

「オリバー様です。すみません」

「別に謝る必要はありませんよ。婚約者ですからね。まだ」

 まだ、の語気が強い。

「俺といる時は付けないで」

 ノアさんはそう言って、ブレスレットを外した。それを近くの化粧台に置く。

「いや、俺と二人きりの時は、の方がアビゲイル様に都合が良いですね」

 ノアさんはにっこりと笑った。いつもの微笑みだ。怒ったのかと思ったが、大丈夫そうだ。

「さて……」

 ノアさんは化粧台の椅子に腰掛けた。

「お座りください」

「ん? どこに?」

「ここに」

 ノアさんは自分の膝を指差した。

「え、なぜ?」

「良いから、座ってください。ね?」

 あ、やっぱり、怒ってるみたいだ。笑ってるのに、笑ってない。

 私は、仕方なくそこに座ることにした。

 とりあえずは、ノアさんに背を向ける形で座った。

 こんなに近いんだ。恥ずかしくて、顔が見れない。

「そう来ますか」

 ノアさんはそう言って、私の体を持ち上げて、ノアさんと直角になるように横に座らされた。

「こっちを向いて」

 ノアさんは私の顎に触れて、ノアさんの顔を無理やり見させられようとしたので、目を閉じた。

「ふむ……」

 ぎゅーっと強く目を瞑った。

「そういう顔も可愛いですね」

 そう言ったと思ったら、唇にキスをされた。

 私は驚いてしまい、身を引いた。目を開くと、ノアさんと目が合った。

 アクアマリンの瞳がキラキラと輝いて見えた。吸い込まれそうだ。

 あ、私の顔が映っている。

「俺の顔に何かついていますか?」

「あ、ごめん。瞳が綺麗だなと思っただけ」

「そ、そうですか……」

 ノアさんは、少し横を向いた。ほんのり頬が赤い。

「照れているの?」

「瞳を褒められるのは初めてなので」

 えー! ノアさん、可愛い!

 とは、口には出せないけれど、可愛いところもあるんだな。

「綺麗よ」

「褒めても何も出ませんよ?」

「ノアの貴重な照れが見れる」

「アビゲイル様……お戯れを」

「ふふ。ごめん。可愛くて……あ」

 つい、可愛いと言ってしまった。

「可愛いですか。それも言われたことはないですね」

「そ、そうなのね」

 ノアさんは笑顔になった。怒ってはいなさそう。可愛いって言われたら、怒るタイプではなくて良かった。オリバー様は怒るタイプだ。怒るところも可愛いけれど。

「でも、本当に可愛いのはあなただ」

 ノアさんはそう言って、私の瞼にキスをした。

「くすぐったい」

「もっとしますか?」

「え! だ、ダメ」

「ダメ? 嫌じゃなくて?」

 ダメと嫌って何か違うのかと疑問に思っていたら、今度は頬にキスをされた。

「ダメって言ったのに」

「アビゲイル様が可愛らしいのがいけない」

「もう……」

 私は何だか恥ずかしくて、ノアさんから顔を背けた。

「アビゲイル様。美しい顔を見せてください」

「いや」

 大体、オリバー様もノアさんも綺麗だの美しいだの言うけれど、アビゲイルは可愛い小悪魔顔なんだからね!

「そう言わずに。俺のアビゲイル」

 私は視線だけ、ノアさんの方に向けた。ノアさんの顔が近くにあった。そう思った途端に、今度は耳にキスをされる。

 私は驚いて、体をビクッと震わせた。変な感じがした!

「や、やめて」

 私は手でノアさんを引き離そうとしたが、動かなかった。また、このパターンなの。

「やめません」

「ダメ……」

「ダメなら、やめません」

 ええ、じゃあ、何ならやめてくれるのよう。

 耳に、頬に、首にキスされていく。

 くすぐったさと、恥ずかしさと、変な感じがして、身をよじる。そうすると、ノアさんに腰をしっかりと掴まれた。

「俺のアビゲイル。こっちを見て」

「いや」

「困りましたね」

「困れば良い」

「それは、また酷いですね」

 視線の端にいるノアさんは、口元で弧を描いた。

「アビゲイル様は、どこにキスされるのが好きですか」

「どこも好きじゃない」

「好きになってもらえるように、頑張りますね」

 頑張らなくていい!

 そう思って、言おうとしたら、また耳にキスをされる。

「それは嫌……」

「嫌ですか?」

「うん……」

「じゃあ、ここは?」

 次は頬にキスをする。

「ダメ」

「ダメなら、良いってことですね」

「そんな訳ないでしょ」

 ノアさんは、うーんと唸ってから、こう言った。

「首は?」

「く、首にはしないで!」

 首は変な感じが一番強いからダメだ。

「それは残念だな」

 ノアさんは、今日一番の低い声でそう呟いた。

 その声も体に悪い気がした。ドキドキする。

「アビゲイル様……」

 ノアさんの声が近づく。

 その時、部屋をノックする音が聞こえた。

「アビゲイル様。そろそろ、おやすみの時間ですよ」

 カンナの声だ。

「は、はーい。わかったわ」

 私はノアさんの膝の上で、大きな声で返事をした。

「では、失礼いたします」

「ありがとう。カンナ」

 足音が聞こえて、カンナの気配がなくなった。

「帰る時間ですかね」

「そうね……」

 ちょっと寂しいって思ったりは……してるけど! しているけれど!

 なんか悔しいなあ。いつもノアさんには、されっぱなしだ。

「あ!」

「どうかしましたか? アビゲイル様」

「ううん。何でもない」

「そうですか。俺はそろそろ行きますね」

 ノアさんがそう言ったので、私はノアさんの手から解放された。膝の上から退けると、ノアさんが立ち上がる。

「ノア……」

 私はノアさんを呼んだ。

「はい?」

 振り返ったノアさんの顔を掴み、頬にキスをした。

 ノアさんは、呆然としている。

「の、ノア?」

 下手だったのかなと不安になっていたら、ノアさんが私の両肩を掴んだ。

「アビゲイル様……」

 顔は下がっていて、よく見えない。どんな顔をしているのだろうか。

「俺、帰りたくない」

「帰らないと、エドワードさんに怒られるよ?」

「エドワードさんなんて、怖くないので」

 ノアさんが顔を上げると、少し眉が下がっていて、困ったような顔をしていた。

「私も寝ないと……」

「そう……そうですよね」

 ノアさんは残念そうに私の肩から手を離した。

「ごめん。そんなに嫌だった? それとも、キスするの下手だった?」

「違います!」

 ノアさんは、いつもより大きめの声で否定した。誰かに聞こえないと良いけれど。

「すみません。驚いたのと、嬉しさで……何と言ったら良いのかわからなくて」

「喜んでくれたのなら良かった」

「アビゲイル様。俺、自惚れてしまいそうです」

 それは、いつもではないかと、思ったが言わなかった。

「あなたの愛を感じられて嬉しい」

 熱っぽく言った。

「そう……。と、とりあえず、早く帰って! 早く寝たいから」

 私はなんだか照れてしまって、早く帰るようにノアさんの体を押した。

「わかりました。また、来ますね」

「うん……」

 ノアさんはそう言って、いつもの通りに帰って行った。疑問なのだが、うちの騎士たちは何をやっているのだろうか。まだ、学園の生徒の騎士に出し抜かれて、屋敷の娘の部屋に入られているのは問題になりそうだ。

 とりあえず、今日はノアさんの照れ顔が見れたので良しとした。

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